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ジャパン・ソサエティは、日米友好関係を促進するために米国ニューヨーク・マンハッタンに設立された組織である非営利団体(NPO)です。同様に、日英関係の強化を目的とした英国を代表する独立機関としての「ジャパン・ソサエティ(英国日本協会)」もあります。wikiには『この組織は、当時英国日本協会の名誉会長であった青木とジョン・ヒューストン・フィンリーによって運営されました』と記されています。この「英国日本協会(ジャパン・ソサエティ)」について追っていきました。英国日本協会の情報はwikiに記載されています。

 

『英国日本協会は、1891年に設立された日英関係の促進のための組織。これは、ヨーロッパ諸国と日本の異文化理解と前向きな関係を専門とする最も古い組織である。ロンドン日本協会とも呼ばれ、単にジャパン・ソサエティと呼ばれることもある。[歴史]189199日にロンドンで開催された国際東洋学者会議で、「日本研究を奨励し、日本問題に関心を持つ英国および世界中のすべての人々を結集することを目的とした」協会の設立を求める決議が可決されたことから、協会は発展した。

 

協会の創設者であるアーサー・ディオシー(1856-1923)は、流暢な日本語を話し、「新極東」などの著書を執筆した。[メンバーシップ]協会によると、1,000人以上の個人および法人会員がおり、その45%が日本人である。[合併]200710月、慈善団体「ジャパン21」が合併し、日本に関する教育・草の根活動と、既存のビジネス関連、学術、文化活動を引き継いだ』。日本の支配層・八咫烏の同和派は、米国と英国にジャパン・ソサエティの工作組織を設立して、世界を動かして来たと捉えています。

 

米国・ロックフェラーと欧州(英国・仏国)・ロスチャイルドを上手く操っていたと感じます。英国日本協会の創設者のアーサー・ディオシー(1856-1923)は、流暢な日本語を話し、「新極東」などの著書を執筆したことから八咫烏の工作員だったと感じます。アーサー・ディオシーの経歴はwikiに記載されています。『アーサー・ディオシー(Arthur Diósy1856-1923)は、イギリスの講演活動家、著述家。ロンドン日本協会設立者であり、理事長、副会長を務めた。[生涯・生い立ち]185666日、ロンドンのパディントンで生まれた。

 

幼少時に病弱であったディオシーは、主として家庭で父から教育を受けた。幼少の時から外国語に親しむ環境にあり、長じて英語・ハンガリー語・フランス語・ドイツ語・イタリア語・スペイン語・日本語に堪能、オランダ語・ポルトガル語も理解可能という言語通になる。日本への関心は、10歳のころに読んだ中国に関するフランス語の本の中に登場する日本に興味を持ったことにはじまるという。[活動]1877年、ロンドンにいる各国留学生の交流を目的に「ジュニア・コスモポリタン・クラブ」を結成。

 

長くは続かなかった会ではあるが、日本人・ハンガリー人・イギリス人を中心とする約70名の会員を擁した。日本人メンバーには、井上勝之助や長岡護美、大越成徳、中上川彦次郎らがいた。189199日、ロンドンで開催された「国際東洋学者会議」日本分科会においてディオシーは、日本研究促進のための協会設立を提案し、満場一致で可決された。こうして発足したのがロンドン日本協会であり、ディオシーは協会設立以来名誉幹事などとして会務に携わる。1894年には青木周蔵駐英公使の申請により、日本から勲三等旭日章が授与された。

 

日清戦争を受け、イギリスで日本への関心が高まると、ディオシーは各地で日本に関する講演を行った。1898年には「新しい極東(New Far East)」を出版、好評を博して版を重ねた』。英国日本協会の創設者は、アーサー・ディオシーですが、中心的な役割をしたのは、米国のジャパン・ソサエティの運営者でもあった外相で後の英国公使の青木周蔵だと感じます。英国日本協会の創設者アーサー・ディオシーの御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「レプ」と伝えられました。英国日本協会の役員は公式サイトに掲載されています。

 

英国日本協会の現会長はビル・エモットです。経歴はwikiに記されています。『ビル・エモット(Bill Emmott1956-)はイギリスのジャーナリスト。[略歴]ロンドン出身。オックスフォード大学モードリン・カレッジ卒。1980年エコノミストに入社。ベルギーのブリュッセル、ロンドンで記者を務めた後、1983年から3年間東京支局長(日本・韓国担当)1993年に同誌編集長。20063月まで13年間務めた後は編集者を引退し、国際ジャーナリストとして活動中。1990年の著書「日はまた沈む」は、日本のバブル崩壊を予測し、ベストセラーとなった。

 

また2006年の「日はまた昇る」では、日本経済の復活を予測した。2008年に日本・中国・インドの覇権争いを描いた「アジア三国志」を発表し、2017年の「「西洋」の終わり」では中国やロシアなどの台頭と欧米の没落を分析した』。英国日本協会の会長ビル・エモット(Bill Emmott)、副会長マーティン・ハットフル(Martin Hatfull)本部所在地(13, 14 Cornwall Terrace Mews, London NW1 5LL イギリス)に闇の解除・統合を意図して各々に光を降ろすと「ゴム。悪魔崇拝者」「DS」「いいです」と伝えられました。

 

公式サイトには、『事務局 ジャパン・ソサエティ(英国日本協会)は、以下の団体の事務局を務めています。日英全党議員連盟 日英21世紀グループ』と記されています。日英全党議員連盟の公式サイトによると、『1980年初頭に設立された英日議員連盟は、ウェストミンスターにおける超党派「カントリーグループ」の中でも最大規模の連盟のひとつです。当連盟の会員数は現在120名を上回り、主要な政府機関の大臣など全政党からの議員を含みます。会員には、貴族院や大使館の現職及び元議員、元外交官も含みます。

 

当連盟の目的は、英国と日本の議会とのリンクを構築及び促進することであり、お互いの文化へのより一層の理解を奨励することです。さらに、二国間の交易を促進するという重要な役割も担っています』とあります。日英全党議員連盟のスポンサーには、『日本銀行 中外ファーマヨーロッパ エーザイヨーロッパ 日立ヨーロッパ 日本航空 JR 川崎重工業 ヨーロッパ三井物産 商船三井バルクシッピング(ヨーロッパ) ミツトヨ(英国) ノムラ・インターナショナル・ピーエルシー 東京電力 トヨタ自動車』と記載されています。

 

日銀やトヨタなど日本の大手企業名が列挙されています。明らかに支配層の松利権が絡む組織が出資していることが分かります。また、公式サイトによると『日英21世紀グループは、1984年に日英のマーガレット・サッチャー首相と中曽根康弘首相の共同推薦により「日英2000グループ」として設立されました。日英関係の分野で活動する二国間機関としては最高位であり、日英両国政府や関連機関と緊密な関係を維持しています。日英21世紀グループの共同議長は、ランズリー卿(PC)と武見敬三議員です。

 

両国の政治、経済、社会の発展、産業協力の機会、貿易と投資、世界の安全保障、保健、国際開発、教育に関する問題についての議論を主導しています。22日から4日にかけて、第40回日英21世紀年次総会が東京と神奈川県小田原で開催され、2019年以来2回目の対面式プログラムとなりました。一行は東京に滞在し、英国代表団は岸田首相と会談し、上川陽子外務大臣主催のレセプションに出席しました』と記されています。公式サイトには、第40回年次大会(202422-4日、東京・小田原)の日英21世紀グループメンバーの集合写真が掲載されています。

 

集合写真の中には、武見敬三(厚生労働大臣)、木原誠二(前内閣官房副長官)らの日本の政治家を含まれています。しかし、殆どの政治家は替え玉に成っていると見ています。英国日本協会の事務局は、日英全党議員連盟と日英21世紀グループの事務局を兼ねており、英国における日本の支配層が大きな力を有していることが窺えます。日本の支配層は、日米と日英の友好関係の促進を大義名分にして工作組織の「ジャパン・ソサエティ」を設立しました。それは、日本の支配層を中心とする世界の松利権としての裏金を得る仕組を構築してきたと捉えています。(つづく)