戦後の上野の地がどのようにして深い闇の地になったのかを、さらにネットで調べていきました。2015.06.15の「70seeds」には、分かりやすい有用記事がありました。《満洲やシベリアからの引き揚げ者が作り上げた上野闇市》には、アメ横や闇市の歴史についての具体的な情報が記されています。上野の「アメ横」にて、アメ横商店街連合会の名誉会長と広報担当の方が、飴を売るアメ横丁とアメリカ製品を売るアメリカ横丁が合体して、「アメ横」という総称になったことなど非常に興味深い話をしています。
『他の闇市はチンピラ風なテキヤが多かった一方、上野の闇市は満洲からの復員兵が集まって出来たものなんです。私の父も、満洲から引き揚げてすぐに野菜やタイヤを売る行商をしていて上野に辿り着きました。当時の上野には、引き揚げ者だけでも400人ぐらいが集まっていたんじゃないかな』。上野が満州の引揚者によって深い闇になったと感じます。満州は、中国と朝鮮が入り混じった自然豊かな水の場所です。欧州・中国派の八咫烏・鶴派と米国・朝鮮派の八咫烏・亀派が重なった同和派の地でもあります。
満州は、非常に重要なタルタリアの光の地でした。その光のタルタリアの満州が満蒙開拓や満州国によって松取りの闇で深い闇の地に変えられました。ヒプノセラピー《松果体収穫は精霊を闇にするプロセスだった》から松果体収穫(松取り)は光の精霊を闇に変えるプロセスであることが分かっています。精霊の闇は、闇のエネルギーでもあり、満州からの引揚者には、大きく深い闇が付随していました。そして、現実的には、戦争孤児などの子どもの松取りなど、支配層の松・薬・人身売買の裏利権に手を染める現場工作員になっていったと推測します。
戦争孤児-wikiには、戦後東京の子どもの松取りの現実を垣間見える写真が掲載されています。特に『「狩込」によって強制収容された「浮浪児」(お台場の収容施設)』の画像は、殆ど裸の子どもたちが鉄格子の牢屋のコンテナに入れられており、思わず目を背けてしまう程の悲惨さを感じます。こうした深い闇に変えられた上野の地が本来の光の姿に戻るために、現在の松利権を有すると見る台東区の支配層を中心に調査とワークを進めていきました。東京都台東区の情報はwikiに記されています。
『台東区は、日本の東京都の区部北東部に位置する特別区。面積は23区の中で最も小さい。[概要]1947年に旧下谷区と旧浅草区が合併して誕生した。現在の千代田区や中央区などとともに江戸時代を通じて東京で最も古い市街地のひとつで、江戸時代は元禄文化(町民文化)が息づいた下町エリアである。浅草にある浅草寺(正式名:金龍山浅草寺)は建立1400年の歴史を持つ。かつての浅草は「浅草六区」を中心に劇場や映画館などの興行施設が集積する東京最大の繁華街であったが、高度成長期以降そういった興行施設は娯楽の多様化に伴い衰退していった。
また新宿・渋谷・池袋・六本木といった山手の新興繁華街の発展により、相対的に浅草の繁華街としての地位は失われていった。現在は国内外から多くの人が訪れる観光地としての性格が強くなっており、東京の中でも日本情緒が味わえる地区として外国人観光客にも人気が高い。下谷地区の中心である上野に位置する上野公園には東京国立博物館など日本を代表する美術館や博物館が多数集積しているほか、芸術系大学の最高峰である東京芸術大学が立地しており、上野は「芸術・文化の発信地」となっている。
また、上野駅から一駅南側の御徒町駅にかけて、アメ横などの繁華街や歓楽街が広がっており、区内随一の商業地として賑わっている。関東大震災(1923年)や第二次世界大戦により壊滅的な被害を受けたが、焼け残った浅草橋界隈の問屋街などにはいまだ大正、昭和初期の街並みや下町の風情が色濃く残っている。浅草の外れにある吉原は江戸時代から吉原遊廓があった名残で現在でも日本一の風俗街(ソープランド街)である。また、山谷は日本三大ドヤ街の一つに数えられる日雇い労働者の街である。
区の中心駅である上野駅は古くから北関東・東北・信越地方からの玄関口として知られ、新幹線も停車するターミナル駅である。(財)古都保存財団が選定する「美しい日本の歴史的風土100選」において、次世代に残す美しい日本の歴史的風土が良好に保存されている全国の事例の一つとして、寛永寺・上野公園周辺、谷中の街並みが選ばれた。
ル・コルビュジエの国立西洋美術館が世界遺産に登録されている。他にも東京国立博物館表慶館や東京国立博物館など、国の重要文化財が多い区である』。台東区のワーク対象として、区長、区議会議長、観光協会会長、商工会議所会頭をベースにピックアップしました。
台東区長は服部征夫(はっとりゆくお・3期目)です。経歴はwikiにあります。『服部征夫(1943年-)は、日本の政治家。東京都台東区長(3期)。元東京都議会議員(5期)、元台東区議会議員(5期)。父親は福岡県八女市長を務めた服部寅雄。[来歴・人物]東京府で五人兄弟の末っ子として生まれる。生後、母親の出身地であり、疎開先の埼玉県羽生市で疎開する。戦後、東京都杉並区荻窪に転居し、杉並区立桃井第二小学校に入学し、卒業。卒業後に、父親の出身地である、福岡県八女市に転居し、高校卒業まで当市で育った。
八女市立岡山中学校、福岡県立八女高等学校、日本大学法学部管理行政学科卒業。大学卒業後はブリヂストンタイヤ東京販売に勤務。その後、山田久就元衆議院議員の秘書を務める。台東区議会議員(5期)、東京都議会議員(5期)を経て、2015年3月吉住弘の在任中の死去に伴い実施された台東区長選に立候補し初当選。2019年の台東区長選挙では新人で元区職員で、元台東区議会議員の小高明などの2人の候補を破り再選。2023年の台東区長選挙で元台東区議の堀越秀生を破り3選』。台東区長・服部征夫が育った福岡県八女市が目に留まります。
《松田聖子の蒲池氏所領や八角形飛行場の特攻隊養成所などで封印された八女津媛の光の地・八女市》にありますが、本来、大きな光の地だった八女市が、支配層の松取りによって深い闇の地に変えられてきました。台東区長・服部征夫に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「ゴム。八咫烏」と伝えられました。やはり既に替え玉になっているようです。台東区議会議長・髙森喜美子(自由民主党・当選5回)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「創価」と伝えられました。台東区は、徳川家に由来する支配層・八咫烏の工作組織・創価学会の闇が深い場所と感じます。(つづく)