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国内トップの総合ジュエリーメーカー「桑山」が絡む支配層の松利権としての人工ダイヤモンドについて昨日書きましたが、ネットニュースを調べていくと、5/27()TBS NEWS WEDGEの記事を見つけました。《在日ベトナム人らに違法薬物が蔓延か 浅草のナイトクラブを摘発 ベトナム人13人と日本人経営者を逮捕 警視庁》の記事で詳細を伝えています。『東京・浅草にある在日ベトナム人らが出入りするナイトクラブが摘発され、違法薬物を所持していたなどとしてベトナム人の男女ら13人と日本人の経営者の男が警視庁に逮捕されました。

 

麻薬取締法違反の疑いで逮捕されたのは、台東区浅草のクラブ「DIAMOND」に出入りしていた客のベトナム人の男7人です。ベトナム人の男7人は、違法薬物の「ケタミン」を所持するなどした疑いがもたれていて、ほかにも客や従業員のベトナム人の男女6人が「不法滞在」などの疑いで逮捕されました。また、ベトナム人とは別に、クラブ「DIAMOND」を経営する20代の日本人の男が大麻を所持した疑いで逮捕されました。警視庁は26日の未明から、200人以上の捜査員と警察犬2頭による家宅捜索を行い、店の机の上に置かれた「ケタミン」を見つけたということです。

 

DIAMOND」は在日ベトナム人らに人気のクラブで、警視庁はベトナム人を中心にクラブ内で違法薬物がまん延していた疑いがあるとみて捜査を進めています』。台東区浅草のクラブ「DIAMOND」に出入りしていた客のベトナム人と日本人の経営者が麻薬取締法違反などの疑いで逮捕されました。クラブの名前が「DIAMOND」でシンクロします。台東区の地には、裏世界の松・薬・人身売買の闇が潜んでいることが表に出て来ています。埼玉県川口市・蕨市で表面化しているクルド人問題と同じ現象が東京台東区でも起こっていると感じます。

 

また、台東区の地でも、日本の支配層の配下で、ベトナム人などの外国人が金儲けの現場工作員として働いていることを示唆しています。台東区には、多くの観光名所があり、大勢の人々が集まる場所である故に、古くから支配層の松取りの闇が置かれてきました。過去に、台東区の浅草寺雷門やコロナの院内感染が確認された永寿総合病院などのワークも行っていました。《東京 天神・天満宮の目玉による封印の仕組の解除 ~巡礼の旅(476)~》には、浅草寺雷門に大きな目玉のエネルギー体が置かれていて、光を降ろして解除・統合したことを記しています。

 

目玉のエネルギー体は、人々を金の闇で支配する役割です。目玉のエネルギー体を通じてエゴの闇が憑依して人々の魂の光を封印する仕組になっています。《東京 院内感染が拡大した東京台東区の永寿総合病院の闇の解除 ~巡礼の旅(607)~》では、多くのコロナ患者が出た永寿総合病院を探ると、病院開設者が731部隊出身でした。731部隊出身であることは、人体実験・データ収集・松取りを行ってきたことを暗示します。コロナウイルスは、汚いエゴの闇の地を浄化する役割があり、金やエゴの闇で染まったエネルギーの病院や福祉施設など汚い場所に感染患者が多く発生することが分かっています。

 

支配層の裏のワクチン工作はありますが、コロナ自体は、地球を覆っていた人間のエゴの闇を浄化して本来の純粋な姿ににする役割を持っていたと捉えています。それ程までに台東区の地は、汚い闇に染まってしまっているということでもあります。今回、台東区のワーク対象として「浅草寺」と「仲見世通り」と選びました。浅草寺の情報はwikiにあります。『浅草寺は、東京都台東区浅草二丁目にある都内最古の寺で、正式には金龍山浅草寺と号する。聖観世音菩薩を本尊とすることから、浅草観音として知られている。山号は金龍山。

 

元は天台宗に属していたが、昭和25(1950)に独立して聖観音宗の本山となった。都内では、坂東三十三箇所観音霊場唯一の札所(13)、また江戸三十三箇所観音霊場の札所(1)でもある。全国有数の観光地であるため、正月の初詣では毎年多数の参拝客が訪れ、参拝客数は常に全国トップ10に入っている』。サイト情報によると、浅草寺の年間参拝者は、約3000万人といいます。浅草寺は、凄まじい集客力を有する観光名所であることが分かります。浅草寺についても過去のワークで幾度か光を降ろしています。

 

同和の闇のエネルギーを覆う仕組》の際のワークでは、「光は入った。ハワイのエネルギーと同じ。ここに来るとゴキブリ化する」と伝えられました。人々を汚いエゴの闇で封じる仕組がつくられていました。ネットで調べるとサイト情報から浅草寺(金龍山浅草寺)の住職は清水谷尚順と分かりました。浅草寺の住職・清水谷尚順所在地(東京都台東区浅草2丁目3-1)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「DS」「いいです」と伝えられました。浅草寺は支配層の重要な松利権拠点と捉えています。浅草寺のwikiに『瓜生岩子像-「新奥山」にある。瓜生岩子(1829 - 1897)は、今の福島県喜多方市の出身。

 

生涯を弱者、貧困者の救済、社会事業に捧げ、日本のナイチンゲールと称される人物である。銅像は明治34(1901)に造立されたが、第二次大戦時の金属供出で失われ、昭和30(1955)に再建されたもの』という記述がありました。瓜生岩子(うりゅういわこ)が気になり、wikiを調べると『日清戦争が始まると岩は東京下谷に移り、いも飴、飴粕の利用で戦時食品の普及を図る一方、後藤新平と出会い、無料診療所の全国設置を企画、台湾の救養活動を計画して長男祐三を台湾に送った』と記されていました。瓜生岩子は、後藤新平と魂を共有する私にとって縁ある人物でした。

 

瓜生岩子(1829-1897)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「子どもさらい」と伝えられました。やはり、支配層の松工作員として働いていたようです。仲見世通りの情報はwikiに記されています。『仲見世通りは、東京都台東区浅草の浅草寺参道にある商店街。[概要]浅草寺の雷門から宝蔵門までの参道約250mに約90店舗がある。江戸時代前期に浅草寺の境内や参道の清掃の賦役が課せられていた地元住民に対して、特権として参道等での営業の特権が与えられたのが起源になっている。元禄から享保年間(一説には貞享2(1685))にかけて形成された日本で最も古い商店街の一つとされる。

 

江戸時代には伝法院から仁王門寄りの店を役店(やくだな)と呼び、「二十軒茶屋」と呼ばれる20件の水茶屋が並んでいた。また、雷門寄りの店は平店(ひらみせ)と呼び、玩具、菓子、土産品などを販売していた。明治時代になると廃仏毀釈の影響もあり、寺領は政府に没収されて東京府の管轄となり、公園法の制定により江戸時代に認められていた一切の特権が失われた。1885(明治18)5月には東京府から全店の取り払いが命じられた。188512月には赤煉瓦造りの建物が新たに完成して近代仲見世が誕生した。

 

赤煉瓦造りの建物も1923(大正12)の関東大震災で壊滅し、1925(大正14)に桃山風朱塗りの鉄筋コンクリート造りの商店街に生まれ変わった。第二次世界大戦で被災し建物内部は焼失したが、大正末期の外観は失われず復興された。商店街の土地は浅草寺所有、建物はかつて東京都が所有していたものを2017年寺が買い取ったことに伴い固定資産税が課されることになり、商店街側は反発したが向こう8年間かけて約16倍に家賃を改定することで20184月に合意に至った。[主な店舗]江戸趣味小玩具仲見世 助六(玩具) 木村家本店(人形焼) 浅草九重(あげまんじゅう) 前田商店(雷おこし)』。

 

浅草寺の仲見世通りとは、「参道等での営業の特権が与えられた」地元の人たちの店舗の商店街であり、店の主人は浅草寺の配下で表裏の仕事を成してきたと推測されます。仲見世通りの組合を調べると「浅草仲見世商店街振興組合」と「浅草新仲見世商店街振興組合」の2つがありました。浅草仲見世商店街振興組合代表・木村淳(人形焼店「木村家本店」)と浅草新仲見世商店街振興組合理事長・大谷友孝(財布・小物「デイジー」)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「サンカ」「統一」と伝えられました。やはり、支配層の現場工作員のようです。(つづく)