神奈川県鎌倉市にある「イエズス会日本殉教者修道院」を借りて活動している「アルペなんみんセンター」の名前の由来は、イエズス会第28代総長ペドロ・アルペ神父です。ペドロ・アルペの経歴はwikiに記載されています。『ペドロ・アルペ(Fr. Pedro Arrupe, S.J., 1907年-1991年)は、スペイン・ビスカヤ県ビルバオ生まれのカトリック司祭、イエズス会第28代総長(1965年-1983年)。元上智大学教授。[生涯・生い立ちと教育]裕福なバスク人の家庭に生まれたペドロ・アルペはビルバオのサンティアゴ使徒学院に学び、マドリード大学の医学部に進んだ。
そこで彼は後にノーベル生理学・医学賞を受賞するセベロ・オチョアと出逢った。また生理学のパイオニアでスペイン内戦時代の首相となるフアン・ネグリンも教官の一人であった。1927年にイエズス会に入会し、オランダのフォルケンブルクで養成を受け、1936年に叙階された。修練期にはアメリカ合衆国・カンザス州の聖マリア学院
で学び、クリーブランドで過ごした。[日本へ]ペドロ・アルペは修練期を終えると1940年に日本に派遣され、山口カトリック教会で主任司祭となった。真珠湾攻撃が行なわれた1941年12月8日は、日本では無原罪の聖母の祝日であり、アルペはスパイ容疑でミサ後に投獄された。
投獄中、アルペは厳しい尋問に耐え、祈りの日々を過ごした。後の述懐では、この経験はアルペの重要な霊的変容の機会のひとつとなったという。彼の非攻撃的な態度と振舞いに獄吏と裁判官は敬意を示し、約1か月で釈放された。 1942年3月からアルペは、広島にあった長束修練院の院長を務めた。1945年8月6日に広島に原爆が投下されると、広島市内で生き残った数少ない医師の一人として被爆者の第一次救護にあたった。アルペは、後にこの時のことを「私の記憶に刻まれた歴史の外の永遠の経験」と述べた。彼は修練院を臨時の病院として、およそ200人の被爆者を献身的に手当した。
その中には長束修練院の建設に深く関わった広島カトリック教会(幟町天主公教会)の主任司祭フーゴ・ラッサール神父もいた。 戦後もしばらく広島で司牧に従事したのち、1958年に、アルペはイエズス会の初代日本管区長 (1958年 - 1965年) に選ばれた』。ペドロ・アルペのwikiには、重要なヒントが置かれていると感じます。まず、第二次世界大戦において、山本五十六が立案し日本が宣戦布告なしに米国ハワイの真珠湾を奇襲したとされる「真珠湾攻撃」についてです。『真珠湾攻撃が行なわれた1941年12月8日は、日本では無原罪の聖母の祝日』とあります。
wikiには、『無原罪の御宿り(むげんざいのおんやどり)とは、聖母マリアが、神の恵みの特別なはからいによって、原罪の汚れと穢れを存在のはじめから一切受けていなかったとする、カトリック教会における教義である。・・おもにスペインなどラテン地域で「無原罪の御宿り」の信心は一般的になっていき、特にイエズス会の擁護が強く、1854年12月8日、教皇ピウス9世の回勅 によって、無原罪の御宿りの教義は公認された』とあります。無原罪の聖母の祝日である12月8日に真珠湾攻撃が行われたことは、真珠湾攻撃にキリスト教カトリックのイエズス会が絡んでいるというヒントだと感じます。
そもそも第二次世界大戦(太平洋戦争)などの戦争は、敵対する2つの軍のトップが裏で手を握る八百長と捉えています。戦争自体が裏に遺体を集める目的がある支配層の松取り工作です。純粋に戦う若い兵士や市民の命を犠牲にした支配層の裏の金儲けです。もう1つは、wikiに『1945年8月6日に広島に原爆が投下されると、広島市内で生き残った数少ない医師の一人として被爆者の第一次救護にあたった』とあり、ペドロ・アルペが広島で被爆している点です。広島・長崎に投下された原爆は、フェイク原発の工作だったと推測しています。
《広島・長崎の原爆地上起爆説から導かれるフェイク原爆と壮大なスケールの原子力工作》にありますが、広島・長崎に投下された原爆は、支配層の工作であり、実際はエノラゲイから投下された原子爆弾ではなく地上据置の爆弾だったと見ています。それ故、放射線の被曝はなく、嘘・工作だったと捉えています。支配層にとっての原爆投下の目的が人体実験とデータ収集を兼ねた松取り(遺体集め)という裏の金儲け工作だからです。広島・長崎の原爆によって、放射能に対する人々の恐怖心を増大させ、今の原発の工作に繋がってきます。支配層は、今も原子力施設の裏の金儲けの松工作を行っているのです。
私を含めて、戦争が純粋な戦いだと思っている人たちの殆ど全てが支配層による戦争の嘘・工作に騙されてきました。ペドロ・アルペが広島で被爆したことも同和の闇の手法を用いた嘘・工作です。被爆者を装うことで人々の同情を集め、より効果的・効率的な裏の金儲けを行うことが出来るのです。原爆工作の中心は、天皇を頂点とする支配層・八咫烏です。キリスト教は表裏で分けて真実を隠す闇の役割です。キリスト教カトリックの男子修道会のイエズス会は、キリスト教の中でも工作の闇の叡智を有する組織であり、八咫烏の一部として活動していたと見ています。
ペドロ・アルペと共に、もう1人の重要なイエズス会関係者が、広島カトリック教会(幟町天主公教会)の主任司祭フーゴ・ラッサールです。フーゴ・ラッサールの経歴はwikiに記されています。『フーゴ・マキビ・エノミヤ=ラッサール(1898年-1990年)は、ドイツ生まれのイエズス会員で、カトリック教会の司祭、宣教師。1948年(昭和23年)に日本に帰化しており、日本名は愛宮真備(えのみや まきび)。キリスト教の聖職者として初めて、坐禅を宗教生活のなかに実践的に導入した。1945年(昭和20年)8月6日に広島市の幟町天主公教会(幟町教会)で原子爆弾の投下に会い直接被爆した。
このことで、犠牲者への慰霊のためだけではなく、世界平和を目指した祈念の場の必要性を痛感し、ヒロシマの地に世界平和記念聖堂を建設することに尽力した。それら広島の文化福祉の発展に広く貢献した功績が認められて、1968年(昭和43年)4月広島市の名誉市民として顕彰されている。帰化名にもよく現れているように日本文化に対する造詣が深く、特に日本人の霊性への関心から禅宗に深い興味を抱き、自ら参禅しただけでなく他のキリスト教関係者にも積極的に坐禅を勧めた。日本国外ではむしろ、その理論と実践において「カトリック禅」ともいえる新境地を開拓したことで知られる』。
フーゴ・ラッサールは、1945年に広島市の幟町天主公教会(幟町教会)で被曝し、1948年に日本に帰化して愛宮真備の日本名をつけました。wikiによると、愛宮真備の由来は「吉備真備(きびのまきび)」です。《児童福祉に貢献した岡山四聖人に隠された原始キリスト教の闇と岡山に生まれた八咫烏の始祖・吉備真備》にありますが、個人的に吉備真備は、八咫烏鶴派の源流の術師と見ています。その後、フーゴ・ラッサールは、禅に惹かれ「カトリック禅」を広めていきました。キリスト教カトリックのイエズス会神父を表の看板にした八咫烏工作員だったと感じます。
ちなみに、アップルの創業者スティーブ・ジョブズも禅僧の師を有して参禅した人物であり、八咫烏の工作員だったと捉えています。《曹洞宗の禅僧・乙川弘文を師と仰ぎ偽装死で八咫烏の役割を続けたアップルの創業者スティーブ・ジョブズ》に詳細があります。広島で被爆したペドロ・アルペとフーゴ・ラッサールは、表はイエズス会で裏は八咫烏の工作員だったと見ています。イエズス会の第28代総長ペドロ・アルペと広島カトリック教会(幟町天主公教会)の主任司祭フーゴ・ラッサールの御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「ペド」「工作員」と伝えられました。(つづく)