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2024
39()、左の首のつけ根に軽い痛みを覚えて、ワークの場所を教えるサインだと感じました。部屋の壁に貼ってある大きな日本地図を見ながら内観すると、新潟県酒田市だと感じました。酒田市と言えば、「酒田大火」が浮かびますが、これまで特にエネルギーワークを行っていないように思いました。しかし、過去記事を調べてみると1つだけありました。201597()に、山形県酒田市升田字大森地内にある「玉簾の滝」、玉簾の滝の近くにある「御嶽神社」の封印解除の遠隔ワークを行っていました。

 

玉簾の滝に光を降ろすと頭がツルピカの神様が解放され、玉簾の滝の近くにある御嶽神社を解除すると玉簾の滝から沢山の龍神たちが解き放たれました。ワークの詳細は《山形 玉簾の滝 ~巡礼の旅(302)~》の記事に記しています。今回の酒田市のワークは、松利権を有する支配層の権力者を中心とするエゴ・金の闇の解除・統合が主になると理解していました。酒田市の情報はwikiに記載されています。『酒田市は、山形県の北西に位置する庄内北部の都市である。市の人口は約95千人で、県内人口第3位の地方自治体である。

 

[概要]山形県唯一の重要港湾である酒田港と庄内空港があり、日本海と鳥海山の自然に恵まれ、庄内平野で育った良質な庄内米と鳥海山の伏流水で造られる日本酒が特産品である。中細ちぢれ麺と魚介系スープが特徴の酒田のラーメンや酒田港で水揚げされる海の幸などを求めに来る観光客も少なくはない。[歴史]平安時代に朝廷が出羽国の国府として築いたとされる城輪柵跡があるように、地域の歴史は古い。酒田の街は袖の浦(現在の酒田市宮野浦)に移り住んだ奥州藤原氏の家臣36人が、1521年頃に最上川の対岸に移り、砂浜を開拓し作ったと言われている。

 

袖の浦は中世には貿易の中継地だった。1672年に河村瑞賢が西廻り航路を確立すると、酒田はますます栄えるようになり、その繁栄ぶりは「西の堺、東の酒田」ともいわれ、秋田土崎湊と並び、羽州屈指の港町として発展した。日本永代蔵に登場する廻船問屋の鐙屋(あぶみや)や、戦後の農地改革まで日本一の地主だった本間家などの豪商が活躍し、街は三十六人衆という自治組織により運営されていた。元禄2613(1689729)に松尾芭蕉が奥の細道で訪れている』。酒田市には、江戸時代に西廻り航路の拠点だった酒田港がありました。

 

北前船・千石船などの運搬船は、表の積荷の裏で松を運んでおり、寄港する港は、エゴ・金の闇で覆われることになります。また、松尾芭蕉は、光の地を封印する裏の仕事をしていたので、酒田市を訪れたことは、酒田の地が大事な光の場所であることを示唆しています。江戸時代からの大きな松利権を引継ぐのが、その地域の支配層の上層部です。酒田市の市長・市議会議長・観光協会会長・商工会議所会頭をベースにワーク対象を選びました。wikiによると、酒田市の初代市長は中里重吉(なかざとじゅうきち)です。経歴はwikiに記されています。

 

『中里重吉(1865-1946)は、明治から昭和時代前期の政治家。山形県酒田市長。[経歴]中里重威の長男として鶴岡天王前(鶴岡八坂町、西田川郡鶴岡町を経て現鶴岡市)に生まれる。1880(明治13)家督を相続する。1884(明治17)山形師範学校を卒業し、小学校教員となる。14年の勤続を経て、1900(明治33)4月、西田川郡視学となり、1910(明治43)4月、山形県視学に転じた。ついで1914(大正3)東田川郡長、1920(大正9)10月には飽海郡長となり、1923(大正12)官職を辞した。

 

同年、酒田町長に就任し、酒田浜畑町に移住。隣村との合併を進めた。その後、1933(昭和8)5月に市制施行と共に初代酒田市長に就任した。1937(昭和12)10月まで在任したのち、東京で没した。墓所は鶴岡総隠寺』。酒田市の初代市長・中里重吉の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「八咫烏」と伝えられました。やはり初代市長は、純粋の闇の役割の八咫烏の工作員でした。闇は純粋の闇から深い闇としてのエゴの闇に変遷していきます。酒田市の現市長は、矢口明子(やぐちあきこ)で、経歴はwikiに記載されています。

 

『矢口明子(1966-)は、東京都出身の政治家。酒田市長。[人物]1990年慶應義塾大学経済学部卒業、北海道東北開発公庫入社。1991年神奈川県庁入庁。1999年ニュージーランドのビクトリア大学行政大学院修了。酒田市に移住し、2001年に東北公益文科大学専任講師。2005年に同大学助教授。2013年に同大学教授就任。2016年酒田市副市長。副市長は2022年まで務めた。20236月、8月に行われる酒田市長選挙に出馬表明し、8月の市長選挙は無投票で当選した。山形県では初の女性市長となった。

 

96日、市長に就任し、初登庁後、市職員に対する訓示で自身の後継として1月に就任した東北経済産業局出身の安川智之副市長と鈴木和仁教育長を続投させると表明した』。現酒田市長・矢口明子に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「統一」と伝えられました。矢口明子は、無投票で酒田市長に就いており、不可解に感じました。酒田市の前市長・丸山至(まるやまいたる・1954-2)の時は2回とも選挙になっていますので、何か工作された感があります。前市長・丸山至は、自ら意志表明して市長2期の任期満了で退任しています。

 

丸山至のwikiには、『2023530日、定例会見で「年齢や体力を考え、次の4年間、市長の責務を果たすのは厳しいと判断した」と述べ、8月の市長選挙に立候補しない意向を表明。95日、任期満了を迎え、市政運営を支えた職員に感謝の意を伝えて庁舎を後にした』と記されています。支配層・八咫烏の胴元工作組織・統一教会の裏の力をもって水面下で計画されて市長の引継ぎが成されたと想像すると頷けます。現実的に、酒田市の前市長・丸山至と現市長・矢口明子は、経歴からも繋がっており、水面下での裏工作が垣間見えます。

 

wikiによると、前酒田市長・丸山至は、庄内地域の自治体が共同で設立した「公設民営」の私立東北公益文科大学の創設に関わりを持ちます。また、現酒田市長・矢口明子は、1999年ニュージーランドのビクトリア大学行政大学院修了し後、酒田市に移住して2001年に東北公益文科大学専任講師となり、最終的に2013年に同大学教授就任しています。酒田市長になるために酒田市に移住したと見るのが自然です。松利権の仕組を維持拡大するために、こうした支配層による中央から大きな松利権を持つ地方自治体の首長への工作員の派遣が成されているのです。(つづく)