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酒田市のwikiの「酒田市に拠点を置く主な企業」から「本間ゴルフ」をワーク対象に選びました。本間ゴルフの情報はwikiに記載されています。『株式会社本間ゴルフは、中国資本で東京都港区に本社を置くゴルフクラブ・スポーツ用品のメーカー。 ゴルフクラブの草分け的な老舗メーカーである。かつては「パーシモン(persimmon:柿)といえば本間」というほどの知名度があり、木製ウッド全盛の時代には、「ヒロホンマ」ブランドのクラブは高級品としてゴルファーに絶大な人気を誇った。石原裕次郎が愛用したことでも有名であり、西部警察の山形ロケの舞台にもなった。

 

創業者兄弟は酒田本間氏庶流にあたる。[沿革]19581月に横浜市に開業したゴルフ練習場が母体。 1959(昭和34)218日に「有限会社鶴見ゴルフセンター」を設立。1963年に「有限会社本間ゴルフクラブ製作所」を設立してクラブの製造・販売を開始する。1972(昭和47)1月に鶴見ゴルフセンターを「有限会社ホンマ」と商号を改める。1978(昭和53)10月に株式会社ホンマに改組。1990年にそれぞれの商号を「本間ゴルフ製作所」「本間ゴルフ」に変更。1992年、本間ゴルフ製作所とゴルフ場開発の本間ゴルフ興産を本間ゴルフに吸収合併し一本化する。

 

1973年、日本のゴルフクラブメーカーとして初のカーボンシャフト(ブラックシャフト)クラブの販売を始めたほか、1978年には自社製造も開始した。加えて1982年には、創業者が血を引く豪商本間氏のお膝元山形県酒田市の有力者から、酒田大火以来の雇用不足解消を狙い、進出を懇願されていた酒田工場が竣工、操業を開始した。これによって製造・販売の一貫体制も整備された。このころは未だ木製ウッドが主流の時代であり、本間は「パーシモンのウッドでは右に出るものはない」とまで言われた。1995年には株式の店頭公開も果たし、全国主要都市に販売直営店を展開していた。

 

そのほか、ゴルフ場運営も手掛けていた。しかし、ゴルフクラブの趨勢はチタンなどのメタル(金属製)ウッドが全盛の時代に突入。飛距離の点で有利なメタルウッドに人気が集まる中、パーシモン主流の本間はこの分野で完全に出遅れたほか、バブル経済崩壊によってゴルフ市場も低迷し始めた。20012月には、ゴルフクラブの密輸に関与していたとして大阪支店長が逮捕されたほか、インターネット販売で不当な二重価格表示をしていたとして公正取引委員会から排除命令を受けた。これら事態によって兄の社長が相談役に退き、弟の副社長が社長に昇格した。

 

また同年10月には、ゴルフクラブを販売した際に消費税を徴収せず脱税したとして東京地検が法人としての本間ゴルフと相談役に退いた兄を在宅起訴した。20048月、弟が社長から代表権のない会長に退き、社長には兄の長男の副社長が昇格した。2005620日、東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請。経営破綻した。負債総額は約3057200万円。翌月ジャスダックも上場廃止とされた。2006314日、創業者ファミリーと本間ゴルフの関係は解消された。また同年11月には、新たにゴルフクラブ製造会社を立ち上げた兄の長男の元社長が、新会社に製造や開発部門の従業員を引き抜くことなどを企図。

 

そのもと、同年2月、実行役の男らと共謀し酒田工場に放火したとして山形県警に非現住建造物等放火の容疑で逮捕されている。200741日に李孝が社長に就任。それまでの「裕福なシニアクラス」が使うクラブのイメージを一新しようと比較的リーズナブルな価格のモデル「アスポート」シリーズをリリースする。20102月、中華人民共和国の大手企業が共同出資する持ち株会社のマーライオンホールディングスの傘下に入ることを発表。マーライオンホールディングスは投資会社から過半数の株式を譲り受け(株式総数や売却金額は非公表)、今後は中国での販売拡大を目指すこととなった。

 

それに伴い、本間ゴルフ会長に中国人で愛帮網総裁の劉建国が就任。2016106日、香港証券取引所に株式上場。同年1117日、世界で初めて政府首脳で大統領選勝利後のドナルド・トランプ次期大統領と非公式会談した安倍晋三からトランプに本間ゴルフの特注品「BERES S-05」が贈られた』。石原裕次郎や安倍晋三元首相などの支配層の有名人が愛用したパーシモンのクラブで一世を風靡した本間ゴルフは経営破綻しました。本間ゴルフの創業家の源流は酒田本間氏です。《本間ゴルフの破たん》には、『「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」。

 

江戸時代、俗謡に謳われるほどの豪商として名を轟かせた酒田の本間家。米相場の投機で手にした多額の金を土地に替え、やがて1000万坪以上を保有する日本一の大地主になった。家業の北前船交易や大名貸し、商人貸しなどの金融業でも成功し巨万の財を成した』とあります。本間氏の宗家は、佐渡島を支配し、金山と裏の松利権で巨万の富を得ていました。酒田本間氏も、北前船で同様に松利権などの蓄財を成していたのです。先祖からの松利権は、本間ゴルフの創業家にも引継がれていたと見ています。表ではゴルフクラブの製造販売を中心とするゴルフ全般の事業です。

 

しかし、裏には大きな松利権があったと感じます。それ故に、経営破たん後は中国資本に買収されたと見ています。本間ゴルフの代表取締役会長は、劉建国(りゅうけんこく)です。プロフィールは《GDO ゴルフダイジェスト・オンライン》によると、『中国の家電メーカーPOVOS(奔騰電器)社を率いてきた劉建国氏が、本間ゴルフの株式の51%を入手して会長に就任したのが2010年。その後、POVOS社の一部事業を売却し、本間ゴルフの発行済み株式の100%を取得して同社の本格経営に乗り出した。16年には香港で株式を上場。

 

今年18年には賞金総額200万ドル(2.2億円)の欧州ツアー「ホンマ香港オープン」のタイトルスポンサーとして、新たな一歩をスタートした』と記されています。また、本間ゴルフのプレスリリースによると、劉建国は、上海奔騰企業(集団)有限公司董事会主席でもあります。本間ゴルフの最高経営責任者兼社長は、小川典利大(おがわのりお)です。経歴は《NESTBOWL》に記されています。『1969年生まれ。青山学院大学卒業後、米国にてMBA取得。NYにて3年間のCoopers&Lybrand LLP(PwC)勤務の後、日本コカ・コーラで、ファイナンス、セールスとブランドマーケティングに4年従事。

 

その後、アディダスジャパンの副社長として、マーケティングとセールスの総責任者を10年以上務める。コールハーン合同会社の副社長兼チーフコマーシャルオフィサーを経て、現在はデサントジャパンの代表取締役社長として日本事業の収益性向上とともに日本のスポーツの魅力を発信すべく尽力している』。本間ゴルフの代表取締役会長・劉建国、最高経営責任者兼社長・小川典利大本社所在地(東京都港区六本木6丁目10-1 六本木ヒルズ森タワー 35F)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「DS」「DS」「いいです」と伝えられました。

 

やはり、会長、社長ともDS工作員のようです。公式サイトを見ると、本間ゴルフの開発・製造工場は、酒田工場だけです。ワークの後から気づきましたが、グーグルマップで、本間ゴルフ・酒田工場を調べると、所在地が「山形県酒田市中砂畑27-18」で、酒田共同火力発電所などが所在する酒田港近くの海岸線の埋立工業地帯にあります。これまでの経験から、海岸線埋立地には、明らかに地下施設があると感じており、本間ゴルフ・酒田工場にも光を降ろしました。支配層の闇の仕組が終焉し、最上川が海に流れ着く山形県酒田市の地が本来の光の地に変わることを願っています。(おわり)