
伊豆の国市の関連ワークの締め括りとして、土地を封じる役割の神社、鉱山跡と山を対象にしました。具体的には、伊豆の国市で最も古い神社とされる広瀬神社、金鉱があった大仁鉱山、葛城山、城山、発端丈山、大平山、大男山、静浦山地、玄岳、多賀火山などの山々です。伊豆半島の中央を流れる一級河川の狩野川については、過去に幾度もエネルギーワークを行っていました。広瀬神社の情報はwikiに記載されています。『広瀬神社は、静岡県伊豆の国市田京にある神社。式内社で、旧社格は県社。
[歴史]1596年の上梁文によると、天平年中(729-749年)、伊予国福田荘から遷すという。「全国神社祭祀祭礼総合調査」には733年創建とある。延喜式の式内社(小)「広瀬神社」に比定されている。1590年の小田原攻めの際に兵火に遭い焼失したが、1596年に再建された。祭神の島溝樴姫は三嶋大社の祭神事代主命の后である。三嶋大社が現在後に遷祀する途中、一時的に祀られていたとされ、現在も同大社とは密接なつながりがある。毎年11月3日には例大祭が行われ、三番叟が演じられるほか、各地域から6台の山車が運行される。
山車の運行は2020年(令和2年)に新型コロナウイルスの感染拡大を受けて中止。2023年(令和5年)に再開されたが経験不足が生じて1台の山車が転倒、19人が死傷する事故も起きた。境内には、地元の歌人穂積忠の歌碑がある。忠は折口信夫、北原白秋の門下生である。息子に俳優の穂積隆信がいる』。神社や寺院などの宗教施設は、古くから支配層の隠された松取り場所でした。歴史が古い宗教施設ほど、松の闇が深いことになります。広瀬神社の宮司・西島善正、所在地(静岡県伊豆の国市田京1-1)に闇の解除・統合を意図して光を降ろしました。
「金春アヌンナキ」「いいです」と伝えられました。エゴ・金の闇の役割の金春アヌンナキが憑いていたようです。土地を封印する仕掛けの1つに鉱山があります。金・銀・銅・石炭などの鉱物を採掘する鉱山もまた、古くからの支配層の隠された松取り場所でした。支配層の松取りの手法は、肉体労働する作業員を犠牲にする松取り工作です。例えば、製糸工場、治水工事などと同様に密かに労働者を犠牲にして松取りを行ってきました。松取りを行うことで光の精霊が闇に変えられ深い闇の地になるのです。大仁鉱山の情報はwikiに記載されています。
『大仁鉱山は、静岡県伊豆市瓜生野(うりゅうの)にあった金山である。大仁金山ともいう。伊豆の国市との境界があった狩野川のほとり、台地上にある瓜生野地区南方の柳沢洞と呼ばれるU字型の谷が主な金の採掘場であり、この谷の入り口の西方斜面に象徴的な浮遊選鉱場が存在していた。なお、江戸時代には瓜生野金山(鉱山)と称されていたが、昭和時代の再開時に隣接する八幡鉱床などを併合し、狩野川を挟んで大仁町(現・伊豆の国市)に隣接していたため大仁鉱山と改称された。[鉱床・鉱物]鉱床は典型的な熱水鉱床で、主要鉱物は自然金。ほかに石英、黄鉄鉱、閃亜鉛鉱が副産物として産出される。
また、坑内からは温泉が湧出している。鉱床は瓜生野の他に、八幡、横瀬など。[歴史]天正年間に発見され、伊豆金山の開発に注力した江戸幕府金山奉行・大久保長安によって慶長年間に最盛期を迎えたものの、その後は休山した。昭和期の再開時の探鉱の際に、坑内から当時の坑夫の私物と見られるキセルなどが発見されている。1933年、帝國産金興業株式會社(現在の帝産観光バスの母体)が既存の鉱区を買収し、大仁鉱山として操業を再開する。当時、国策によって金鉱山の開発が奨励されており、同鉱山の開発もそうしたあらわれの一つであった。
同鉱山は隣接する零細鉱山を買収すると共に、金鉱石の処理能力を高めるため1936年には一日100トンの鉱石の処理が可能な浮遊選鉱場を建設した。ここで処理された金精鉱は伊豆箱根鉄道の貨物列車で茨城県日立鉱山に運搬された。戦前の最盛期には、自山鉱石の他に、大仁鉱山周辺にある零細の金鉱山からの売鉱も受け入れていた。なお、大仁鉱山は、鴻之舞鉱山(一時期、大仁産精鉱の受入先となった事もある)や持越鉱山、同じ帝国産金興業が保有していた北ノ王鉱山に見られるような製錬および金地金の生産(精錬)は行われなかった』。
伊豆金山の開発に注力した江戸幕府金山奉行の「大久保長安」に着目しました。大久保長安の経歴はwikiに記されています。『大久保長安(土屋長安・1545年-1613年)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。甲斐武田氏、次いで徳川氏の家臣となった。徳川家康のもとで吏僚として活躍し、鉱山の開発を担った。[生涯]天文14年(1545年)、猿楽師の大蔵信安の次男として生まれる。長安の祖父は春日大社で奉仕する猿楽(現能)金春流の猿楽師で、父の信安の時代に大和国から播磨国大蔵に流れて大蔵流を創始した。
この頃に生まれたのが長安であったという。父の信安は猿楽師として甲斐国に流れ、武田信玄お抱えの猿楽師として仕えるようになったという。長安は信玄に見出されて、猿楽師ではなく家臣として取り立てられ、譜代家老・土屋昌続の与力に任じられたという』。大久保長安の祖父は春日大社で奉仕する猿楽(現能)金春流の猿楽師で、父・信安は武田信玄お抱えの猿楽師として仕えていました。《銀座覆面強盗事件の現場から繋がる能楽の始祖・秦河勝と逃走車のNo「大宮333ぬ314」が暗示する八咫烏》から猿楽(現能)金春流は、八咫烏であることが分かっています。
大久保長安の家系は八咫烏工作員の家系だと感じます。大久保長安(土屋長安)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「八咫烏」と伝えられました。大仁鉱山跡所在地(静岡県伊豆市瓜生野)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「いいです」と伝えられました。最後に、伊豆の国市-wikiの地理に掲載されている山々のワークを行いました。葛城山(かつらぎやま・452m)、城山(じょうやま・342m)、発端丈山(ほったんじょうさん・410m)、大平山(おおひらやま・356m)、静浦山地(しずうらさんち・最高峰452m)、玄岳(くろたけ・798m)に順に光を降ろしました。
また、宇佐美火山(うさみかざん)、多賀火山(たがかざん)、湯河原火山(ゆがわらかざん)に各々本来の姿になるよう意図して光を降ろしました。特に城山と静浦山地については、「燃えている。火のエネルギー」「龍が出た」と伝えられました。伊豆半島の南端から富士山に向かってエネルギーが流れるように意図して光を降ろすと「いいです」と伝えられました。伊豆半島は、マグマの火のエネルギーが解放される地です。闇の終焉には、光の火が重要になります。伊豆の国市を含めた伊豆の地が本来の姿に戻ることを願っています。(おわり)