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昨日118()の夜10時半過ぎに、ブログ記事《大谷翔平をCMで起用し元首相・小渕恵三や東急G・五島昇など政治経済の重鎮と深い縁のある伊藤園》をPCデスクに座って書いている時、突然の体調不良に襲われました。正確に言えば、下書きを終えてブログ編集でリンクを挿入している時に起きました。ドリル小渕(小渕優子)のことが書かれているSmartFLASHの記事《「マジでネタとしか思えない」小渕優子氏、税調入りに疑問の声…尾を引く「ドリル事件」国民の不信は終わらない》を挿入する作業の時でした。

 

フラッシュの記事を開いて小渕優子の画像を見た途端、軽いめまいがして、血の気が引き、悪寒と吐き気を吐き気を催したのです。その後、首の後ろが冷たくなり、背筋に冷汗が流れました。今までにこんな急激な重度の不調は経験ありませんでした。机に座って調べ物をしている時に、wikiの写真を見て目まいがしたことは幾度もあります。目まいの経験は、その写真の主が自分の過去世であるということに気づくための闇のサインだと分かっていました。しかし、今回の急激な体調不良はただ事ではありませんでした。

 

吐き気から嗚咽を起こしそうになり、しばらく机で突っ伏していましたが、症状は改善しませんでした。伴侶に手助けしてもらうために、無理をしながらも居間に移動しました。感覚的には何かの闇が憑いたと思っていました。思い当たる対象は幾つかありました。自分の不調になった状況を伴侶に話して、自分に憑依した闇の解除・統合を意図して自分に光を降ろしました。「死霊(しりょう)。凄く強い闇が入ってきた」と伴侶が言いました。伴侶から伝えられた闇は予想外のものでした。

 

伴侶が感じた「死霊」という闇について色々と話を聞きました。「死んだ人もいる。留まっている魂もいる。死んだ動物の魂もある」「色々なもの混じっているので形はない」「学びやカルマというものではなく下等の存在」「意志や意図はなく、ただ人に憑依したりする」など伝えてくれました。伴侶は、今回の私と同じ不調を9月末の父親の通夜の晩に宿泊した葬祭場で経験していました。「あの時も、同じような得体の知れない闇に触れて、自分の首の後ろが冷たくなった。手を当てながら温めて光を入れていた」と伴侶が話しました。

 

葬祭場で宿泊した時に、亡くなった人たちの魂が集まってきて光の柱を降ろしていました。人の首の後ろは霊道と言われる目に見えない霊やエネルギーが出入りするところです。人が光になると、背骨に沿って光の柱が立ち、光が放たれる大事な場所でもあります。祈って自分に光を降ろす時には、この首の後ろを意図して降ろすといいと思います。もう1つ、父親の通夜の時に、同様な闇の憑依現象を目の当たりにしました。初老の男性が急に気分が悪くなり倒れ込みました。

 

話を聞くと、病院や葬儀場など人が集まる場所に行くと体調不良になるということでした。その方は「塩を持ってきてくれ」と言って一時的な闇の祓いをしていました。伴侶が話してくれた闇の情報は大切なものでした。私に憑依した闇の存在のイメージが掴めました。祈りを通して光を降ろす場合、統合する闇を良く知って捉えることが重要です。対象を良く把握することでしっかりした光が入ります。私は再度、私の中に入ってきた闇の存在を意図して自分に光の柱を降ろしました。

 

いつものように鼻の内側が乾くような感覚になり、闇が剥がれて上がっていくようになって軽くなりました。私は「これで元に戻る」と確信しました。突然、私に憑依した死霊という闇の存在は、個人的には、亡くなった人や動物の魂を中心に様々な闇が古くから蓄積して形のない魑魅魍魎の闇の存在になっていると捉えています。そしてその形のないヘドロの液のような闇が地底に溜まっていて地上に湧き出ているのではないかと感じました。次に、何故、このタイミングで死霊が憑いたのか、です。

 

そして、どうして小渕優子の写真を見た時だったのか、について自分なりに考察してみました。死霊が憑依した時に書いていた記事は、「伊藤園」がテーマでした。元々は、集団ストーカー被害者のクライアントの方が、スサノオ神社で伊藤園の自動販売機が置かれていることが気になったことがきっかけでした。そのスサノオ神社には富士塚があります。富士塚は富士山の地底と繋がっていて闇のエネルギーの出入口だと見ています。富士山を主に地下・地底世界が関係していると感じています。

 

10月下旬に富士山の麓の御殿場にある駒門風穴に訪れてエネルギーワークを行ってきました。経験的に亡き父が入所した病院や老人施設は、ワークのヒントになっていました。父親が息を引き取った沼津の老人施設からワークの対象を探していくと門池公園駒門風穴に行き着きました。門池公園と駒門風穴でそれぞれ現地で光を降ろすと、いずれも龍が解放されました。特に、駒門風穴から出てきた龍は富士山の地底に封じられていた重要な龍だと感じました。その後、富士山周辺の13箇所の風穴・氷穴をピックアップしてワークを行っていました。

 

深い闇に変えられてしまった富士山の地底を本来の光の姿に戻す必要があります。今回の死霊は富士山などの地底に溜まっている闇と同種だと感じます。死霊が私に憑依したタイミングが、どうして小渕優子の写真を見た時だったのか、ですが、色々と考えると父親の小渕恵三と同じく群馬県に所縁があります。《Dappiから繋がる米国派の群馬人脈と自民党の金庫番の元宿仁・事務総長》にありますが、群馬県は山口県と同じくらい首相を多く輩出している県です。裏を返せば、闇が深い場所と言えます。

 

闇が深い場所は、闇の精霊が多くいる魔物の地底がある場所でもあります。ちょうど陸軍中野学校について調べていって分かったことですが、群馬県富岡市七日市には、「陸軍中野学校終焉之地碑」が置かれています。東京都中野区中野の地にあった陸軍中野学校が最終的に群馬県富岡市七日市に移り終焉を迎えたのです。グーグルマップで見ると陸軍中野学校終焉之地碑がある場所は、「七日市藩邸跡」でもあります。七日市藩は、前田利家の五男・前田利孝が初代藩主で、徳川家康の三男で第2代将軍・徳川秀忠の小姓(実質的な家臣)でした。

 

江戸幕府の将軍家の徳川、百万石の加賀藩・藩主の前田家、陸軍中野学校が繋がっているのです。富岡市には、世界遺産の富岡製糸場があります。表では有名な観光名所ですが、裏では女工を犠牲にした松利権工作の拠点だと捉えています。そこには、多くの命を金に換えられた人たちがいるのです。地底から闇のエネルギーを供給されて支配層の権力者やサンカ・同和・反社という底辺の闇の役割の人たちが闇の仕事を成していました。今回、私は、魑魅魍魎で強力な力を持つ地底の闇に憑依されることで、自らそれを感じる経験したと思っています。

 

死霊の闇がどのようなものなのかを知る機会になりました。富士山の裾野では、古くから巻狩、鷹狩と称して権力者による純粋な人々を犠牲にした松取りが密かに行われてきました。「自然が形の無い強い死霊の闇を終わりにするのかもしれない」と伴侶が言いました。あちこちに散在している死霊の闇は、富士山の噴火によるマグマの火によって終わりになると感じています。家の建屋であるエゴの闇が取り払われて、土台の闇の底辺にある死霊の闇が表面化してきたのです。闇の終焉も、そう遠くないと感じています。