Asahiyama_Memorial_Park


12/10(
)23時頃、お風呂に入ってシャワーを浴びていると、浴室のドアの外から女の人が私の名前を呼ぶような声が聞えました。ちょうどシャワーの水を出していたので、何を言ったのかはっきりと分かりませんでした。一瞬、気のせいかなとも思いましたが、確かに声が聞こえたように感じました。伴侶は就寝しているので違うと思っていましたが、翌朝、聞いてみると、「私じゃないわよ」と言いました。「それより、洗面台の下から水が漏れていて雑巾で拭いたのよ。隣の洗濯機の排水が原因かもしれない」と話してきました。

 

洗面台または、洗濯機から水漏れがしているようでした。次の日に、伴侶が洗面台の収納スペースの整理を兼ねて排水管を見ると、パイプがずれていて水が漏れていることが分かりました。もう、マンションに居住してから10年以上経過しているので、排水管が劣化して漏れたのかなと思いました。すぐに、管理会社で電話して、業者に来てもらって調べてもらいました。結果的には、洗面台の下の収納スペースにある排水管のネジがゆるんでパイプが下にずれて水が漏れていたということでした。

 

「こんなところのネジを誰が回すのだろうか?」と思いました。目に見える現実世界の不可思議なことは、目に見えない本質のエネルギーの世界では起こすことが可能です。これは間違いなくサインだと感じました。ヒプノセラピー光の講座の中で、水回りの詰まりや水漏れは、水のエネルギーの流れを封じる闇があるサインだと分かっていました。居住するマンションは、札幌円山の近辺であり、円山の麓を流れる川の精霊や龍を解放する必要があるのかもしれないと直感しました。すぐに、円山周辺の河川を調べることにしました。

 

円山の麓を流れる川を調べると「界川(さかいがわ)」と分かりました。河川地図の《界川 北海道 新川水系 - 川の名前を調べる地図》には、界川の経路が表示されています。ネット情報には、『札幌市の環状線の地下を流れてくる界川』『界川は、この道路沿いを流れ下る自然の小河川で、旧円山村と藻岩村の境界であったことから名付けられた。この川は、本通の坂道を流れ下ると環状通下の暗渠に入り、西区二十四軒地区で琴似川に合流する』『界川の暗渠は、幹線道路(市道「南19条宮の沢線」)(ではなく、下)を流れています』とあります。

 

界川は、暗渠(あんきょ)化されて、札幌市の環状線の地下を流れていました。暗渠とは、地下に埋設された、あるいは地表にあっても蓋(ふた)をした導水路のことです。界川は、物理的にも封印されている感じでした。「界川」について、さらに調べていくと界川(地名)のWikipediaがありました。「界川」は川の名前だけではなく、地名としてもあります。『界川(さかいがわ)は、北海道札幌市中央区の地名。町名としては1丁目から4丁目までが設定されている。[地理・歴史]藻岩山の中腹に位置し、南に行くほど標高が高くなる。

 

中央部を界川が北へ流れる。可住地は1-3丁目であり、4丁目は全域が旭山記念公園にあたる。同公園は札幌都心部を一望できる市内有数の観光地である。一帯は昭和30年代から40年代にかけて急速に宅地化が進む中で自然発生的に街区が形成されたため、道路は幅員が狭く、また山の中腹という性格から急勾配や行き止まりが目立つ状態である。大正時代には陶器の入手が難しかった中で、中井賢次郎が当地域に中井陶器工場を構え「札幌焼」の生産を行った。周辺の薪材や沢水・粘土を利用し、最盛期には道内屈指の陶器生産拠点であった。

 

大正末期には、定山渓温泉からの引湯による札幌温泉が開業し、温泉への足として札幌温泉電気軌道も開業したが、どちらも施設の故障や火災により短期間で廃業となっている。現在は隣接する双子山・旭ケ丘地域などとともに南円山地域に属する』。注目した箇所は、『大正時代には陶器の入手が難しかった中で、中井賢次郎が当地域に中井陶器工場を構え「札幌焼」の生産を行った。周辺の薪材や沢水・粘土を利用し、最盛期には道内屈指の陶器生産拠点であった。 大正末期には、定山渓温泉からの引湯による札幌温泉が開業した。

 

温泉への足として札幌温泉電気軌道も開業したが、どちらも施設の故障や火災により短期間で廃業となっている』です。札幌市中央区界川の地は、札幌焼の生産や札幌温泉の開業、札幌温泉電気軌道の開業が成されて、支配層の松利権が絡んでいました。《加賀藩の華やかな日本庭園・兼六園に隠された松果体収穫の闇》にありますが、九谷焼などの焼物の窯は、火を使うので松取り後の遺体の証拠隠しのためと分かっています。温泉についても、多くの観光客を集める支配層の松取り拠点だと見ています。

 

詳細は《松取りのための温泉場というエゴの闇の仕組を映し出す熱海の地》などの記事に記されています。鉄道についても人の運搬の役割の裏で松の運搬を担っており、支配層の松工作の1つであり、現在では観光業と深く関わっています。《北海道 札幌軟石の運搬の裏で松輸送の役割を担っていた札幌市電の前身・札幌石材馬車鉄道 ~巡礼の旅(758)~》では、現在の札幌市電の前身・札幌石材馬車鉄道についての調査とワークを行っています。札幌市中央区界川の地は、大正時代(19121926)に、松取りの闇が置かれてきた場所だと分かります。

 

松取りの闇が置かれたことは、光の精霊が闇に変えられて光が封印されたことを意味します。また、《藻岩山を封じる役割の社会福祉法人札幌慈啓会と地下の入口が浮かぶ札幌軟石づくりのマルゲンビル》にありますが、札幌市中央区界川の隣接する藻岩山麓の札幌市中央区旭ヶ丘の地は、屯田兵の「火薬庫」があった場所です。現在は、社会福祉法人 札幌慈啓会の慈啓会老人保健施設や慈啓会病院が所在しています。火薬庫は、鉄砲などの兵器の火薬として利用されますが、実は裏で松の防腐剤として使われてきたのです。火薬庫の所在地は、松工作が成されたことを意味します。(つづく)