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富山県下新川郡入善町の議会議長は、本田均(ほんだひとし)です。経歴は、入善町公式サイトによると、『生年月:昭和331月 党派:無所属 会派:アクト 期数:3期 所属委員会:総務常任委員会 交通網対策特別委員会 議会改革特別委員会 新川広域圏事務組合議会議員 新川地域介護保険・ケーブルテレビ事業組合議会議員 新川地域消防組合議会議員』と記されています。《2024年度 美しい富山湾クラブ 役員》によると、入善町観光物産協会会長は、入善町長の笹島春人です。笹島春人については、既に行ったワークで「アーク」と伝えられていました。

 

入善町商工会》によると、入善町商工会会長は藤井開です。藤井開は、株式会社新川ビルサービス 代表取締役でもあります。入善町議会議長・本田均、入善町商工会会長・藤井開に闇の解除・統合を意図して各々に光を降ろすと「中国」「サンカ」と伝えられました。次に、入善町の湧水地や水の場所を具体的に探して行きました。グーグルマップで入善町の気になる場所を調べていくと「園家山(そのけやま)湧水池公園」が目に留まりました。グーグルマップの画像を見ると、湧水が出る設備が整っているようでした。

 

園家山湧水池公園の情報は、《立山黒部ジオパーク》に記されています。『昭和60年に環境庁から黒部川扇状地湧水群が名水百選に選ばれ、それを契機に扇状地の扇端における昭和より前の風景を復元するために設置された公園。池にはガマや葦などの水辺の植物が茂っている。公園の休憩所が園家湧水の庭として整備されており、湧水の味と冷たさを楽しむことができる。また、園家山砂丘(園家山キャンプ場)とも隣接している』。園家山湧水池公園の所在地(富山県下新川郡入善町下飯野401)に闇の解除・統合を意図して光を降ろしました。

 

「人が死んでいる場所」と伝えられました。松取りが行われた場所だと感じました。水の場所は、光を封じるために松取りの闇が置かれます。亡くなった人の全ての御魂が上がるよう意図して光の柱を降ろすと「いいです」と伝えられました。2番目に入善町の地図を見て気になった場所は、「扇状地湧水公苑」です。扇状地湧水公苑の情報は、《扇状地湧水公苑/入善町》に記載されています。『全国でも数少ない湧水群を有し、環境庁から名水百選の指定を受けた黒部川扇状地湧水群の名水をシンボル化した公園です。

 

この一帯にしか見られない自噴水を利用し、水の動態をさまざまに表現しています。町では、水質保全活動を推進するため地下水の総合研究を実施。名水を保存し、水に親しむことができるような計画を進めています』。扇状地湧水公苑のグーグルマップの画像から、アークによって、水の場所という光の地が封印されたと感じました。画像の1つには、円錐形の噴水を中心にして四方にオベリスク状の四角柱の柱4本で囲まれた神殿のような広場があり、奥には2つのピラミッドの造形物もありました。また、裸婦像が中央に置かれ、その上にはピラミッド型の屋根が写っている画像もあります。

 

さらに、グーグルマップの上空写真を見ると「目玉」の形になっており、目玉の闇が置かれていると感じます。明らかに闇を置いて結界を張ったという印だと捉えました。扇状地湧水公苑の所在地(富山県下新川郡入善町下飯野185)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「人が死んでいる場所」と伝えられました。やはり、扇状地湧水公苑の場所は、園家山湧水池公園と同様に松取りの闇が置かれて封じられた場所のようでした。扇状地湧水公苑の地に留まっている全ての御魂が上がるよう光の柱を降ろすと「いいです」と伝えられました。

 

扇状地湧水公苑のネット検索の過程で、《飯野「人魚の肉を食べた娘」》に掲載された、入善町飯野に残る伝説「人魚の肉をたべた娘」を知りました。『下飯野(しもいいの)の田茂(たも)川の西がわに、「寺やしき」というところがあります。むかし、ここに善称寺があったのです。 園家の砂山がまだなかったころ、おとらという娘が善称寺に女中としてはたらいていました。 そのころ、お寺の近くにある池の底に竜宮があるといわれていました。ある年のこと、善称寺の報恩講に、お椀がたりなかったので、竜宮さまからかしてもらいました。

 

そんなことが何年もつづいたのです。 ある年の報恩講に、見なれぬ上品なお方がお参りになりました。やがて、お帰りになったあとをみると、かりたお椀の底にさしみが一きれのこっていました。奥さんは、 「この肉はたべてはいけないよ」と、いわれたので、おとらは、よけいにたべたくなり、こっそりとたべてしまいました。 それが、なんと、不老不死の薬といわれる人魚の肉たったのです。さて、その肉のききめで、不老不死の身となったおとらは、何十年か後に大津波がくることを予言しましたが、村人にききいれられず、ついに園家千軒は、波にのまれて、大きな砂山となってしまったのです。

 

ただ一人生きのこったおとらは、旅をして若狭(わかさ)の国へいき、生き神様としてうやまわれ、「おとら明神さま」といわれていました。 いつか、ここの人がそこをたずねたとき、ばあさんは大へん喜んで、鼻の下までたれさがった、ひたいのしわをかきあげ、かすんだ目をかがやかせながら、 「なつかしや、下飯野の衆よ」と、いって、いろいろ故郷のことをきいたといいます。そして、しわがたれさがっているときは何百歳かに見えましたが、しわをかき上げると若々しい顔になったといいます』。

 

伝説「人魚の肉をたべた娘」は、現代のアドレノクロムや松喰いに通じていると感じます。「不老不死の薬といわれる人魚の肉」「しわをかき上げると若々しい顔になった」の記述は、不老長寿・若返りの薬効があるとされる松製品に繋がります。こうした伝説も現在にも残る深い闇の真実を探求するヒントになります。人魚と松取りに関わる話は、過去のヒプノセラピーでも伝えられています。《人と恋をして騙され自害した人魚の過去世が光に還る》には、『仲間たちと海の中で光のネットワークを作っていた。

 

フィリピンから沖縄の広い範囲。ある時、地上に出た時に恋に取りつかれて光の仕事を忘れた。人と恋をした。その人に騙された。後で気づいたけど戻れなかった。珍しい血を誰かにあげた。子供を産んで取られた。みんな悲しい思い出をした。海に還った。自害した』とあります。レムリア、アトランティスを経由して来た人魚たちがフィリピン~沖縄の海域でトカゲが化けた男性の人間に騙されて、出産した子どもを取られて松取りの犠牲になったといいます。松取りというエゴのために、純粋な女性たちが封印されてきたことが暗示されます。

 

伝説「人魚の肉をたべた娘」は、八百比丘尼(やおびくに)伝説にも繋がります。《静岡 八百比丘尼伝説とカーリーの解除 ~巡礼の旅(477)~》は、静岡県賀茂郡東伊豆町稲取でのエネルギーワークの内容です。『稲取岬に光を降ろすと亡くなった人たちの御魂が昇って行った。どんつく祭り、吊るし雛、八百比丘尼伝説から、稲取の地は、裏インドの闇で封じられた光の場所であり、カーリーがいると確信した。小高い丘に光を降ろすと、裏インドの闇の女神・カーリーが解除された』とあります。

 

「八百比丘尼伝説」とは、人魚の肉など特に変わったものを食べたため、娘の姿のまま老いることなく八百歳まで生存したという比丘尼の話であり、若狭国小浜に結びつけて説くものが多いとされます。東日本を中心にして、北は岩手県から西は佐賀県まで、日本全国のうち28都道府県121ヵ所にも伝わっているといいます。稲取にも漁港の所に八百比丘尼像があり、社の中に祀られています。日本列島の端の岬を闇にして封印するために、生贄や松取りが置かれて精霊が闇に変えられてきたことが分かります。(つづく)