2024年12月にセッションを受講したクライアントの方から「消防団は火を消しながら龍も消していたとシリウスの存在が伝えてきた」という情報を提供して頂きました。消防組織の後ろに火の龍を消すシリウスの存在がいたというのです。《地龍を封じていたアークの天龍がドカンとやる》から、アークが統合した金龍や火の龍は、日本の闇を終わらせる働きをすると感じています。米国カリフォルニア州ロサンゼルスの大規模な山火事のように、人間のエゴの闇を終わらせるのが「火」です。エゴの闇を燃やし尽くすことで終わりにするのです。
昨今、日本各地で起きている火事や火災は、目に見えないエゴの闇を燃やし尽くすための事象でもあると理解しています。また、消防組織は、麻薬などの薬利権の闇に絡んでいることが、ヒプノセラピーで伝えられています。《消防士の裏で薬物を融通していた祖父が光に還る》には、『母方の祖父は消防士。裏の仕事でお金を貰っていた。薬を融通していた。消防の裏の仕事は昔から引継がれてきたもの。家族を養うためにやっていた。偉そうな人だった。悪かったことを認めてもらいたかった。もう少し優しくしていたら。凄く悪い人。
鬼のお面を被っていた。まだまだ続くから光を降ろしていってください』と記されています。また、《安田財閥の祖・安田善次郎が設立し松・薬利権の闇が潜むWebサイト改竄の攻撃を受けた「帝国繊維」》では、帝国繊維関連のワークを行っており、麻薬などの松・薬利権に関係していると分かっています。帝国繊維は、麻の繊維会社を源流にし、現在は消防ホースなどの消防設備や消防車を製造販売する会社です。《大船観音などの支配層の松利権ネットワーク拠点に光を降ろす》では、鎌倉市の消防署について言及されています。
アークが管轄する地下施設が絡んでいることも伝えられています。『ミミズが教えた消防署の地下を意図して光を降ろすと「蓋が閉まった。消防士5~6人がこっちを見てドアが閉まった」と伝えてきました。消防署は、全国各地に置かれており、松関係の地下施設の仕事も行っていると見ています。光を降ろすことで闇の仕事を終わらせることになると感じます』とあります。自作自演の工作を意味する「マッチポンプ」の言葉があります。マッチポンプは、自らマッチで火をつけておいて、それを自らポンプで水を掛けて消すと言う意味で、偽善的な自作自演の手法・行為を意味します。
マッチで火を点けて、水で消すということは、消防組織が工作機関であることを暗示しています。今までは、警察庁や警視庁の組織に関しては、調査とワークを行ってきました。しかし、消防庁については、ワークを行っていませんでした。今回、消防庁(総務省消防庁)と東京消防庁について、調査とワークを行っていくことにしました。消防庁の情報はwikiに記載されています。『消防庁は、日本の行政機関のひとつ。日本の消防活動を統括する総務省の外局である。なお、「東京消防庁」は東京都の組織であり、消防庁とは全く別の組織である。
東京消防庁との混同を避けるために「総務省消防庁」と呼ばれる場合も多く、公式HPでも「総務省消防庁」と表示している。[概要]国家行政組織法第3条第2項及び消防組織法第2条に基づき設置され、日本の消防行政の企画・立案、各種法令・基準の策定など行う。職員は消防吏員ではなく官僚で、実働部隊を持たない。支援車等の消防車両や消防ヘリコプターを所有するが、実際の維持管理は貸与先の自治体が行なっている。消防庁は消防機関への直接的な指揮権はなく、助言や指導、調整等にとどまる(消防組織法第6条)。これは、日本の消防は市町村長の管理下にあり、市町村が消防の責任を負っているためである。
そのため、消防庁長官又は都道府県知事は市町村消防へ助言・勧告・指導を行うにとどまり、市町村消防を管理する権限を持っていない(同法第36条・第37条・第38条)。ほか、都道府県レベルで消防本部を設置しているのは東京都のみである。国民保護法の施行に伴い、消防庁には武力攻撃事態等における国民保護の国と地方公共団体との総合的な窓口としての役割が与えられた。災害時の非常対応も行うが、2003年以前のアメリカ合衆国の連邦緊急事態管理庁のような非常災害時の公的機関に対する統括指揮権の掌握はできない。
内閣危機管理監が首相官邸危機管理センターに設置する対策室や、最終的には内閣に設置される緊急災害対策本部などが指揮する』。消防庁長官-wikiによると、初代消防庁長官に当たる人物は、加藤陽三(かとうようぞう・内務省警保局公安第二課長 ※消防課長兼務)です。加藤陽三の経歴はwikiにあります。『加藤陽三(1910年-1989)は、日本の内務及び防衛官僚、政治家。防衛事務次官、衆議院議員(2期)。経歴 1910年(明治43年)-広島県安芸郡海田町生まれ。広島県立広島第一中学校、第三高等学校卒業。1934年(昭和9年)-東京帝国大学法学部卒業。4月-内務省入省。土木局属。
その後、栃木県庁、厚生省社会局勤務。1943年(昭和18年)-内務省地方局勤務。1945年(昭和20年)-内務省調査部総務課長。その後、内務省警保局公安第二課長、内務省企画課長。静岡県庁勤務。1950年(昭和25年)-国家地方警察本部総務部長。8月-警察予備隊本部人事局長。1952年(昭和27年)-保安庁長官官房長・人事局長。1954年(昭和29年)-防衛庁人事局長。1960年(昭和35年)-防衛庁官官房長。1963年(昭和38年)-防衛事務次官就任。1964年(昭和39年)- 辞職。1965年(昭和40年)-第7回参議院議員通常選挙全国区に自由民主党で出馬し、落選。
1967年(昭和42年)-第31回衆議院議員総選挙広島2区から無所属で出馬したが、落選。1969年(昭和44年)-第32回衆議院議員総選挙で自由民主党から出馬し、初当選。2期連続当選。1975年(昭和50年)-三木内閣防衛政務次官。1976年(昭和51年)-第34回衆議院議員総選挙で落選し、政界引退。1979年(昭和54年)-防衛弘済会会長。1980年(昭和55年)-秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章。1989年(平成元年)-死去、79歳。死没日をもって従五位から正四位に叙される。2004年(平成16年)-広島県安芸郡海田町名誉町民。[その他]・1952年、海田町に米軍の弾薬陸揚げ施設の建設計画が浮上したが、加藤の尽力で阻止。
・海田町の加藤会館前には、灘尾弘吉書の加藤陽三先生顕彰碑が建っている』。加藤陽三が所属した内務省は、大日本帝国憲法下の日本では内政・民政を担う行政機関でした。強大な権限の集中から「官庁の中の官庁」「官僚勢力の総本山」「官僚の本拠」などと呼ばれる最有力官庁です。設立当初から国民生活統制の中核となりましたが、太平洋戦争の敗戦後、GHQの指令によって解体・廃止されました。初代消防庁長官(内務省警保局消防課長)の加藤陽三の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「八咫烏」と伝えられました。八咫烏の純粋の闇の役割だったようです。(つづく)