総務省の初代総務大臣は、片山虎之助(かたやまとらのすけ)です。片山虎之助の経歴はwikiに記されています。『片山虎之助(1935年-)は、岡山県笠岡市出身の政治家、自治官僚。総務大臣(初代・第2代)、郵政大臣(第68代)、自治大臣(第56代)、総務庁長官(第26代)、参議院議員(5期)、参議院予算委員長、自由民主党参議院幹事長・参議院国会対策委員長、たちあがれ日本参議院幹事長、旧日本維新の会国会議員団政策調査会長兼参議院議員団会長、維新の党総務会長兼参議院会長、日本維新の会共同代表兼国会議員団代表兼参議院会長、日本消防協会会長、日本防火協会会長等を歴任。
日本維新の会所属の参議院議員の片山大介は次男。東京大学法学部、自治省の後輩にあたる元静岡県知事の石川嘉延は義弟。娘婿に財務省職員(理財局総務課長)の湯下敦史がいる。[来歴]〈政界入り前〉岡山県立岡山朝日高等学校を経て、東京大学法学部卒業。東大では行政法の大家である田中二郎のもとで学び、ゼミの同期には第25代通商産業事務次官となる棚橋祐治がいた。七帝柔道にも所属していた。東大卒業後、1958年に自治庁(その後自治省)へ入庁し、静岡県総務部長、自治省大臣官房審議官、地元岡山県副知事などを歴任し、1988年7月に自治省消防庁次長を最後に退官している』。
片山虎之助は、2021年11月10日の夜に片山は自宅マンションの部屋に向かう途中で倒れ、心臓停止の状態で発見され病院に搬送されました。2022年7月25日の任期満了をもって参議院議員を退任しましたが、現在も病気療養中で意識不明とされます。初代総務大臣・片山虎之助に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「創価」と伝えられました。支配層・八咫烏の胴元工作組織である創価の工作員の役割を担っていたようです。現在の総務省の大臣である総務大臣は、村上誠一郎(むらかみせいいちろう)です。村上誠一郎の経歴はwikiにあります。『村上誠一郎(1952年-)は、愛媛県越智郡宮窪町(現・今治市)の政治家。
自由民主党所属の衆議院議員(13期)、自由民主党愛媛県連常任顧問。総務大臣(第31・32代)、内閣総理大臣臨時代理就任順位第3位。第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣で内閣府特命担当大臣(規制改革・産業再生機構)、第2次森改造内閣・第1次小泉内閣で財務副大臣などを務めた。次席検事を務めた村上常太郎は祖父、衆議院議員を務めた村上信二郎は父にあたる。衆議院議員で副総理を務めた岡田克也は義弟(妹の夫)で長男は愛媛県議村上信太郎。[来歴]曾祖父が初代町長を務めた愛媛県越智郡宮窪町(現・今治市)生まれ。
1965年(昭和40年)に東京教育大学附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、1971年(昭和46年)に東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。1977年、東京大学法学部第3類(政治コース)を卒業。大学時代は、第一高等学校・東京大学弁論部で活動する。東大在学中、亡父・信二郎が所属していた三木派を引き継いだ河本敏夫の知遇を得て、東大卒業後は河本の秘書を務める。1983年(昭和58年)、第37回衆議院議員総選挙に旧愛媛2区(定数3)から無所属で出馬したが、森清、井原岸高、越智伊平と自民党候補が既に3人いたこともあり、落選。
なお旧愛媛2区は父・信二郎の選出選挙区でもあるが、信二郎は1972年に議員在職のまま死去し、誠一郎は同年の補欠選挙に出馬しなかったために1983年の誠一郎の出馬まで別の自民党候補3人と社会党候補一人で定数3の議席を争う形の選挙区となっていた』。村上誠一郎は、安倍晋三・元首相の反対派勢力としての反安倍として有名でした。《読売新聞の記事》には、『村上氏は石破氏と並ぶ安倍政権時代の「党内野党」の代表格で、2022年に銃撃されて死亡した安倍晋三元首相を「国賊」と難じたことが報じられるなど、安倍氏と極めて折り合いが悪かったことで知られる』と記されています。
とは言え、同じ自民党の中での立ち位置の違いがありますが、所詮、同じ穴のムジナという支配層の工作員仲間です。村上誠一郎に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「八咫烏の気配。ゴム」と伝えられました。やはり、既に替え玉に変わっているようです。今の国会議員は全てが本人ではなく替え玉に変わっていると見ています。2024/10/6の週刊女性PRIMEの記事《石破茂首相「老人会の記念写真」内閣発足もだらしない集合写真に批判、生じた“加工疑惑”と選挙への不安》にもありますが、替え玉の村上誠一郎は、石破首相と同様に意図的に演技をしています。
だらしない恰好をしたり、下品な食べ方をしたりして、支配層の評価を下げ、国民が気づくように芝居をしているのです。wikiの「総務事務次官」によると、初代総務事務次官は、山地進(やまじすすむ)です。山地進の経歴はwikiに記されています。『山地進(1925年-2005年)は、元・日本航空名誉顧問。東京都世田谷区出身。趣味・特技はゴルフ、社交ダンス。[家族]山地光子(妻)[経歴]旧制府立一中、旧制一高を経て東京帝国大学工学部造船工学科を卒業、更に同法学部第3類(政治コース)へと進む。1951年に卒業し、運輸省に入省。配属先は海運局海運調査部。1961年7月に齋藤運輸大臣秘書官(事務取扱)。
1972年7月に総理府官房人事課長。1978年1月に鉄道監督局国有鉄道部長。1979年7月に鉄道監督局長。1981年1月から再び総理府に転じ、人事局長、総務副長官を経て、1984年7月1日に新設された総務事務次官に就任。1985年5月14日に辞任し日本航空に移籍し常勤顧問となるも同年8月、日航ジャンボ機墜落事故が発生し遺族補償問題に取り組んだ。同年12月に同社の代表取締役社長に就任。1987年には政府出資企業だった同社の完全民営化を実現させた。1990年6月に副会長。1991年6月に会長となる。1998年に相談役を経て、2004年に名誉顧問となる』。
初代総務事務次官・山地進の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「創価」と伝えられました。やはり、創価の工作員の役割だったようです。現在の総務事務次官は、竹内芳明(たけうちよしあき)です。経歴はwikiにあります。『竹内芳明(1962年-)は、香川県仲多度郡多度津町出身の郵政・総務技官。総務事務次官(第20代)。総務審議官(郵政・通信担当)、総務省総合通信基盤局長、サイバーセキュリティ統括官などを歴任。[人物]1982年、高松工業高等専門学校電気工学科卒業、東北大学工学部電気系編入学。1985年、東北大学工学部通信工学科卒業、郵政省入省。1998年、東北電気通信監理局総務部長。
1999年、郵政省電気通信局電波部衛星移動通信課次世代航空通信システム開発室長。2001年、総務省情報通信政策局宇宙通信政策課宇宙通信調査室長。2003年、総務省情報通信政策局技術政策課研究推進室長。2006年、総務省情報通信政策局宇宙通信政策課長。2007年、総務省総合通信基盤局電気通信事業部電気通信技術システム課長。2008年、総務省総合通信基盤局電波部移動通信課長。2010年、総務省情報通信国際戦略局技術政策課長。2011年、総務省総合通信基盤局電波部電波政策課長。2014年、東北総合通信局長。2015年、経済産業省大臣官房審議官(IT戦略担当)。2017年、総務省総合通信基盤局電波部長。
2018年から総務省サイバーセキュリティ統括官を務め、IoT機器に関する新技術基準の策定や、情報開示の促進などにあたった。2020年、総務省総合通信基盤局長。2021年、東北新社役職員による総務省幹部接待問題で空席となっていた総務審議官(郵政・通信担当)に就任。総務事務官ではなく総務技官が総務審議官に就任するのは史上初のことであった。2024年(令和6年)7月5日、総務事務次官に就任。総務技官として初めて事務次官に起用された』。総務事務次官・竹内芳明に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「半島。統一」と伝えられました。現・総務事務次官は、統一工作員の役割を担っているようです。
初代総務事務次官が創価学会の工作員で、現・総務事務次官が統一教会の工作員の任務を成していることは、闇の変遷からも自然な流れです。支配層・八咫烏の胴元工作組織には、鶴派の創価学会と亀派の統一教会があります。鶴派は、純粋の闇の役割で、欧州・ロスチャイルド・中国派であり、亀派は、エゴの闇の役割で、米国・ロックフェラー・朝鮮派です。地球の闇は、純粋の闇の土台にエゴの闇の建屋が乗る構図になります。実質的に、統一教会が、創価学会を吸収した形になっており、安倍晋三・元首相の政権時に、統一教会の全盛期を迎えていたと捉えています。(つづく)