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フジテレビの初代社長は、水野成夫(みずのしげお)です。水野成夫の経歴はwikiに記載されています。『水野成夫(1899-1972)は、静岡県小笠郡佐倉村(現・御前崎市)出身の実業家、文学者、翻訳家、社会運動家。フジテレビジョン(現 フジ・メディア・ホールディングス)の創業者で初代・代表取締役社長。元日経連常任理事、経済団体連合会理事、経済同友会幹事、元日本共産党員で赤旗(しんぶん赤旗)初代編集長。[来歴・人物]父水野彦次郎、母いね(池新田村長の丸尾鎌三郎の二女)の三男として静岡県小笠郡佐倉村(現・御前崎市)に生まれる。

 

旧制静岡中学(現・静岡県立静岡高等学校)から、旧制第一高等学校を経て、1924年に東京帝国大学法学部法律学科仏法科を卒業。学生時代は、文学に親しみ、夏目漱石、島崎藤村、森鷗外の作品に親しむ一方で、中学、高校時代柔道部に所属し、一高では猛者として鳴らした。東大時代には新人会に入り共産主義運動に身を投じる』。水野成夫は、共産党員だったので、ロスチャ系八咫烏鶴派の工作員だったと捉えています。1957年に、ニッポン放送専務の鹿内信隆と共に「株式会社富士テレビジョン」(のちフジテレビジョン、現フジ・メディア・ホールディングス)を設立し、同社初代社長に就任しました。

 

日航機墜落事故当時の首相・中曽根康弘やODA利権の源流・瀬島龍三に繋がる日本DSの東急会長・五島昇》のワークで、水野成夫の御魂が上がるよう意図して光を降ろしており、「中国工作員。松喰い」と伝えられました。生の松やアドレノクロムなどの松製品を嗜む松利権を有する工作員の役割を担っていたようです。フジテレビの代表取締役社長は、港浩一(みなとこういち)です。経歴はwikiに記されています。『港浩一(1952- )は、北海道上磯郡木古内町出身のテレビプロデューサー。フジテレビジョン代表取締役社長。[来歴]北海道札幌西高等学校、1976年に早稲田大学第一文学部を卒業後、フジテレビ入社。

 

制作現場を希望していたが、当時同社の制作部門は系列子会社のフジポニーなどに移していたために人事部に配属。1979年に制作部門の子会社に出向すると、1980年の社内改編で制作部門を本社に復帰させたため、念願叶い制作部に所属することとなる。制作畑が長く、フジテレビが最も勢いがあった19801990年代にバラエティの現場で活躍、ディレクター、プロデューサーとして「とんねるずのみなさんのおかげです」などの番組を手がける。第二制作部部長やバラエティ制作センター室長、バラエティ制作センター担当局長などを歴任。2013627日付で常務取締役(編成制作局バラエティ制作・アナウンス室・美術制作担当)に就任。

 

同年12月に発生したほこ×たてが不適切な演出を理由に打ち切りとなった件で常務でもある港が減俸処分を受けた。2015611日、共同テレビ代表取締役社長に就任。これに伴い、同月にフジテレビ常務取締役を退任した。2022628日付でフジテレビジョン代表取締役社長およびフジ・メディア・ホールディングス取締役に就任。タレントの中居正広と女性とのトラブルに「フジテレビの社員が関与していた」などと週刊誌で報じられたことをめぐり、フジテレビは2025117日、問題が指摘されてから、初めて記者会見し、港社長が「関係者に多大な迷惑をかけた」と陳謝した。

 

その上で「新たに第三者の弁護士を中心とした調査委員会を立ち上げ、事実関係や会社の対応について検証する」と明らかにした。[人物]石田弘(現・フジテレビ嘱託エグゼクティブプロデューサー)の一番弟子として知られ、ディレクター・プロデューサーとして数々の人気バラエティ番組を手掛ける。同社とんねるず班のトップであり、木梨憲武が「小港さん」としてものまねすることで有名になった。相方の石橋貴明は石田(ダーイシ)をものまねしている。「とんねるずのこんとinなえば」に参加していた。また近年では、明石家さんまの枠も多く担当している。

 

先輩である三宅恵介が担当しないさんまの番組は港担当になっていることも多かった。B21スペシャルのヒロミとも親交があり、1or8ではプロデューサーもしていた。その交流からとんねるずをはじめ芸能関係者からは「港っち」と呼ばれている。作詞家の秋元康は、港が1980年にディレクターデビューした時の構成作家であり、「オールナイトフジ」、「夕やけニャンニャン」、とんねるずの番組等を通じて、深い親交がある。「さん付けすると他人行儀になる」という理由で「秋元」と呼び捨てにしており、秋元のことを「長年の盟友」と称している。

 

秋元は、港の肝いりで始まった「オールナイトフジ」の後継番組「オールナイトフジコ」の総合プロデューサーを務めている。スポーツ紙で好きなのは競馬面』。港浩一には、「港会(みなとかい)」と称される女子アナを接待に飲み会の場があることが文春などの雑誌報道で流れています。2025.01.23のまぐまぐニュース!の記事《中居正広が引退発表! それでも渡邊渚の復讐は続く!? 文春砲4弾が暴くフジテレビ「港会」とラスボス総務省 官僚天下りの闇》には、女性アナをホステスのように接待に利用する港会の存在と総務省の天下りやプチエンジェル事件にも絡んでいることが暗示されています。

 

『過去に女子アナを大量動員して定期的に開催された港社長主催の飲み会「港会」のハレンチぶりについて、元フジ幹部が証言したのも大きいでしょう。ただでさえ批判が多かった会見内容への信頼が、これによって完全に崩壊しました。中居にX子さんを“上納”したとされる編成幹部A氏を、なぜフジは厳正に処分できないのか?多くの人が疑問に感じる点だと思います。これは要するに、港社長自身が“女子アナ接待”で組織をのし上がってきた人間であるため、その伝統を受け継ぐA氏を全力でかばっている、という構図のようで…。先の会見での「女子アナ接待はなかったと信じたい」が聞いて呆れてしまう話です。

 

さらに今回の文春砲では、“元”ではない現役フジ幹部の証言がこれでもかと掲載されているのも注目点のひとつ。つまりフジ内部に情報提供者がおり、文春側がほぼリアルタイムで社内事情を把握していることがハッキリしたのです』。港浩一のwikiに掲載の人脈を追っていくと、今回の中居問題や女子アナの上納性接待から広がる支配層の性的人身売買が絡む広範な仕組が浮かんできます。港浩一は、お笑い番組などのバラエティ制作の仕事で出世してきました。フジテレビに縁が深いとんねるず、明石家さんま、ヒロミなどの芸能人と交流があります。明石家さんまから、吉本興業との関係も見えます。

 

また、港がディレクターデビューした時の構成作家が、AKBなどの女性グループを手掛けている秋元康であることから、支配層の闇のシステムの全体像が容易に想像できます。wikiによると、フジテレビの社員には、支配層の著名人の子息などが多いとされます。『社員にはテレビ局の中でも特に政治家、芸能人、財界人、スポーツ選手、文化人等の子弟が多い事で知られている。元社長で副会長の遠藤龍之介は遠藤周作の子弟であり、岸信夫の息子(安倍晋三元首相の甥)で衆議院議員岸信千世も元社員である。政治家だと、中曽根康弘の孫、加藤勝信の娘、中川昭一・中川郁子の娘。

 

タレントだと、高橋英樹の娘、宇津井健の息子、生田斗真の弟、陣内孝則の息子、藤井フミヤの息子、永島昭浩の娘、田淵幸一の息子、佐々木主浩の息子、高津臣吾の息子、若田部健一の娘らも入社した。入社式には近年は芸能人が来賓で登場するのが恒例である』とあります。フジテレビは、支配層の裏のシステムのハブという闇の土台の役割になっていたとも捉えられます。ちなみに、プチエンジェル事件については、《中田翔・西川遥輝と記念撮影しカジノ店経営で逮捕された反社から繋がる名古屋版プチエンジェル事件の闇》で言及しています。

 

20037月に東京都赤坂にあるウィークリーマンション一室で起きた、小学6年生の少女4人が誘拐・監禁された事件です。プチエンジェルとは、犯人が経営していた児童買春デートクラブの名称または会社名です。フジテレビの代表取締役社長・港浩一に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「ゴム」と伝えられました。やはり、既に替え玉になっているようです。2025/01/24の読売新聞オンラインの記事《港浩一社長の進退など議論か…フジテレビ、27日に臨時取締役会》には、鼻の穴が白いゴムマスクを被った替え玉の目印(ナハニダ)となる港浩一の写真が掲載されています。(つづく)