1月17日(金)、スマホのSMSに、サントリーロコモアのモニター募集の広告が届いて不思議に感じていました。メッセージには、『【サントリー】今月お誕生日の方、必見!モニター募集】・・広告提供元:サントリーウェルネス㈱)』と記されていました。私の携帯番号に、ショートメッセージで広告を送って来た企業は、初めてでした。どこからか私の携帯番号を入手して送ってきたのだと思います。それから2日後、フジテレビ問題で企業CMが少なくなり、ACジャパンの広告が多くなるという記事を目にしました。
また、「ACジャパンは工作みたい」と伴侶も話して来ました。311の時のテレビCMがACジャパンの広告に替わったことを記憶しています。ACジャパンについて少し調べると、創立者がサントリーの元社長でした。「ああ、ACジャパンとサントリーのワークをやれ」というサインだと感じました。また、サントリーウェルネスの本社とサントリーの本社(ワールドヘッドクォーターズ)は、フジテレビ本社と同じお台場(東京都港区台場)でした。やはり、フジテレビと同様にサントリーも、支配層の裏の基盤として重要な企業だと感じます。まず、ACジャパンについて調べていきました。
1/19(日)のスポニチアネックスの記事《フジテレビCMが次々とACジャパンに切り替わる…異様な光景にネットざわつく「そもそもACって…」》にフジテレビのCMの代替のACジャパンについての情報が掲載されていました。『19日放送のフジテレビ「千鳥の鬼レンチャン」の日本生命のCMがACジャパンに差し替わった。日本生命は18日、「千鳥の鬼レンチャン」と「Mr.サンデー」のCMをACジャパンに差し替えるとし、20日からは「めざましテレビ」でも変更する方針を示していた。「千鳥の鬼レンチャン」はこの日、午後7時から9時54分まで放送。
7時から9時の間で計6本、また「だれかtoなかい」が放送されていた午後9時~9時54分の枠でもACジャパンへの変更があった。この状況にネット上では「出た!困った時のACジャパン」「本当にACジャパン増えてるような気がしてる胸がざわついて嫌」「CMはACだらけに…異常事態ですね」「ACジャパンのCM、またかよ…フジのCM枠埋めるだけのようだけど、なんか複雑」と違和感を覚えるコメントや、「そもそもACジャパンってどんな組織?」「このACジャパンってどういう存在なんですか?」といった疑問の声も相次いでいる。
タレント中居正広(52)の女性トラブルで同局が緊急会見してから一夜明けた18日にスポンサー各社が同局へのCM出稿を取りやめ、次々と「公益社団法人ACジャパン」に差し替わる事態が発生。スポニチ本紙の調べでは、番組CMなどを除いた全393枠のうち40本がACに変更。1割以上が差し替わった。中でも午前6時から放送された情報番組「めざましどようび」では、14本が替わった。特に番組内で午前6時44分から同局の会見について報じた後は全41枠のうち約3割に当たる12本が差し替わった』。不祥事の時や災害時に、企業のCMから切り替わるACジャパンとは、どういう組織団体なのか、です。
ACジャパンの情報はwikiに記載されています。『公益社団法人ACジャパン(エーシージャパン、英語:
Advertising Council Japan、AC JAPAN)は、日本で様々なメディアを通した公共広告により啓発活動を行っている公益社団法人である。[概要]公共広告によって、国民の公共意識を高めることを目的に活動している民間の団体である。アメリカの「広告協議会(アド・カウンシル、以下「アメリカAC」と表記)」を見本として、1971年(昭和46年)に大阪府で前身である任意団体の「関西公共広告機構」が発足。公共広告を実施する団体としては日本初のものであった。
1974年(昭和49年)、これを引き継ぐ形で「社団法人公共広告機構」を設立し、全国放送されるようになった。2009年(平成21年)7月には現名称であるACジャパンへ改称。2011年(平成23年)には公益社団法人化された。運営は全国の企業や団体、一般個人による会費制で成り立っており、税金は使用されていない。主な活動内容は様々なメディアを通した公共広告の発信であり、制作は正会員である広告会社により行われている。広告は無料で流されているが、正規料金に換算した場合の広告費は日本国内の広告主でトップクラスの規模である。
[設立背景と経緯]前身である関西公共広告機構が設立される背景となった時代は、高度経済成長期である。この時代は人々の生活水準が向上した一方で様々な社会問題が生じており、いわゆるテクノロジーアセスメント、ソーシャル・マーケティングといった概念の登場で「企業の社会的責任」が問われるようになった。この点は植条則夫が指摘しているほか、「関西公共広告機構設立趣意書」においても記載されている。1969年11月、設立者である佐治敬三はアメリカの広告会社であるケッチャム社を訪れ、そこでアメリカACの存在を知り「同じような活動を日本でもできないか」と考えた。
これが関西公共広告機構設立のきっかけである。佐治が注目したアメリカACの作品は「愛…それはあらゆる人種を超えて」である。また、佐治は「広告は人を説得するための最も強力な手段」と考えており、広告を手段に商売をしてきた大企業の社長として、公共の問題について社会に訴えていくことで広告に「お返し」をしたいと思っていたことも、設立のきっかけの一つにつながっている。会員数:正会員数1,031社 賛助会員数45社 個人会員数83名(2023年3月31日現在)』。ACジャパンの役員は、公式サイトの《役員一覧》に掲載されています。
理事長1名、副理事長3名、専務理事1名、常務理事1名、理事63名、監事2名の計71名の役員構成になっています。63名の理事には、日本の一流企業の役員が就いています。ACジャパンの設立者は、サントリーの第2代社長・佐治敬三(さじけいぞう)です。佐治敬三の経歴はwikiに記されています。佐治敬三(1919年-1999年)は、大阪府出身の実業家。サントリー第2代社長、元会長。基礎科学研究を熱心にサポートした実業家としても知られる。[経歴]1919年(大正8年)11月1日、サントリー創業者の鳥井信治郎の次男として大阪府東区に生まれる。
1932年(昭和7年)頃に母方の縁者と養子縁組をして「佐治」姓となったが、そのまま大阪の実父母のもとで暮らした。1940年に、実兄が死去。大阪府池田師範学校附属小学校、旧制浪速高等学校卒業。1942年4月、大阪帝国大学理学部化学科卒業。在学中は有機化学の権威である小竹無二雄教授に師事した。1945年10月、サントリーの前身である壽屋に入社。1946年2月、壽屋(現サントリーホールディングス株式会社)の全額出捐により、財団法人食品化学研究所(現サントリー生命科学財団)を設立、初代所長に着任。この頃、兵庫県川辺郡川西町(現・川西市)に住むようになり、死去までずっと川西市に住んでいた。
1961年、壽屋代表取締役社長に就任。1963年3月、壽屋からサントリーに社名を変更。1969年、鳥井音楽財団(現・サントリー音楽財団)を設立して理事長に就任。1971年、関西公共広告機構を設立(現在のACジャパン)。1979年、食品化学研究所を財団法人サントリー生物有機科学研究所と改称。同年、サントリー文化財団を新たに設立し、「地域文化賞」「学芸賞」を創設した。1980年、生物有機科学研究所理事長に着任し、日本で初めてポストドクトラルフェローシップを開始した。1985年、大阪商工会議所会頭に就任。1987年、大阪バイオサイエンス研究所設立に諮問委員として関与した。
1988年、首都機能移転議論のさなかに東北熊襲発言による舌禍騒動を起こし、謝罪に追われる事態になった。1990年(平成2年)、サントリー代表取締役会長に就任。1991年、サントリー生物有機科学研究所所長に就任。1999年11月3日 大阪府吹田市の大阪大学病院で肺炎のため80歳にて死去』。佐治敬三は、壽屋からサントリーに社名を変更し、サントリー生命科学財団、サントリー音楽財団、サントリー文化財団を設立し、サントリーの基盤を構築した人物です。ACジャパンの創立者・佐治敬三の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「アーク」と伝えられました。宇宙人の中枢となるアークが憑く支配層の工作員の役割のようでした。(つづく)