2月26日(水)、朝起きると、奇妙な夢を見たことを覚えていました。夢は2つの場面がありました。1つは、自分が手で触って馬の顔を撫でている場面です。もう1つの場面も非常に面白いものでした。天井から垂れ下がった1本の細い糸を伝って子猫が上手に降りて来るのです。その様子を自分が見ていている場面でした。これまでの経験から、夢は、光を降ろす必要がある対象を教えてくれるヒントであり、メッセージだと分かっています。見た夢を振返って何を意味しているのだろうかと思案しました。
キーワードは「馬」と「糸を伝って降りる子猫」です。その日は、ワークの対象が何か全く分からない状態でした。しかし、2日後、伴侶を通じてヒントが与えられました。「何故か分からないけど、公文式桑園教室から着信があったのよ。間違い電話だと思うけど」と伴侶が話してきました。公文式桑園教室を調べると実在していました。「公文式桑園教室」の公文式については過去にワークを行って光を降ろしていました。《公文公が叡智を降ろして公文式学習指導法を考案・創業しDSの松工作組織に変貌した「公文教育研究会」》に詳細が記されています。
とすると、ワーク対象は「桑園(そうえん)」だと感じました。グーグルマップで、公文式桑園教室を調べると、北側の約1km先に「札幌競馬場」がありました。夢で見た「馬」は、この札幌競馬場のことだと感じました。桑園は、札幌市中央区の一帯の地域の名称ですが、住所の地名としては、残っていません。唯一あるのは、JRの「桑園駅」です。過去の調査とワークから、桑園の名称は、その一帯が桑畑であったことに由来することを知っていました。桑園の場所は、明治時代に桑畑があり養蚕がされていた場所なのです。
桑園から桑・養蚕、絹糸(シルク)、製糸業に繋がっていきます。秦氏などの渡来人が日本に伝えたとされる養蚕と絹には、支配層の生贄・松取りによる蓄財という松利権の闇が絡んでいることが分かっています。《伊勢神宮に絹織物の神御衣を運ぶ「赤引糸の旅」と中央構造線》には、伊勢神宮が関係する祭祀としての赤引糸の旅について記しています。概要には、『伊勢神宮に絹織物である神御衣を運ぶ儀式の赤引糸の旅は裏で生贄していた経路だと感じます。赤引糸は赤みを帯びた艶のある絹糸で、血やエゴを暗示します。
浜松から渥美半島沿いに伊勢神宮までの赤引糸の旅のルートは中央構造線と重なり、生贄・松取りの闇による封印と捉えられます』とあります。表面的には伊勢神宮への奉納物として絹織物を運ぶ祭祀ですが、その裏には、巫女などの女性を生贄として捧げているという意味が隠されていると推測します。古くから製糸業や繊維業の裏には、支配層の松利権の闇が潜んでいるのです。養蚕の主役である蚕(かいこ)の糞から松の防腐剤の塩硝(えんしょう・硝酸カリウム)がつくられていることが分かっています。
《紅麹にコレステロール降下作用を付加した三共出身の遠藤章と松利権の基盤の養蚕が源流の東京農工大学》に詳細が記されています。『渡来人の秦氏が伝えた養蚕は、生糸や絹織物の生産に繋がることは分かります。しかし、それだけではなく、蚕の糞は、表の火薬の原料であり、裏の松(人肉・内臓など)の保存料となる硝酸カリウム(塩硝)の生成にも関係しています。塩硝は、五箇山などで人尿、蚕糞、野草などを材料とし、土壌微生物の働きを利用して生産していました。養蚕業は、支配層の表裏の金儲けに利用できる優れた産業だったのです。
しかし、発酵の光を闇に変えることになっています。それ故に、今でも皇居には紅葉山御養蚕所が置かれて歴代の皇后による養蚕の儀式が執り行われているのです』。蚕が桑の葉を食べて口から吐く絹糸の繭をつくり、排せつする糞がハム・ソーセージにも使われる添加物の防腐剤の原料となるのです。渡来人の秦氏が日本に持ち込んだ養蚕業は、そのものが大金を生む闇の叡智とも言えます。そうすると、夢で見た子猫が糸を伝って降りて来る場面も理解できます。猫の中には、ドラコニアン(ドラコ)の宇宙人がいます。
ドラコは、松工作の知恵を授けていた宇宙人だと分かっています。ヒプノセラピー記事の《ピラミッドの中で奴隷の松取りをしてミイラにした》には、『眠気が襲って来たのは闇からのサインだった。エジプト。エジプトの過去世で、人を殺している。松を取っていた。他の国から連れて来た奴隷の松を取っていた。ピラミッドで松取りをしていた。ドラコニアンに命令されて松取りをしていた。松を取ってミイラにしていた。隠すために』と記されています。宇宙人のドラコは、真実を隠す工作の叡智を持っている存在です。
養蚕、絹、製糸業の裏には、支配層の松利権があるのです。《女性を封印する米国派として闇の役割》には、富岡制糸場に隠された女工を犠牲にした松取りの闇について言及しています。女工など製糸工場の女性労働者を犠牲にした支配層の松取りが密かに行われていました。だから、絹糸を伝って降りる子猫というドラコを意味していたのです。謎解きのような面白おかしく与えてくれる夢のヒントや携帯のメッセージでした。札幌市中央区の桑園の一帯に桑畑があり養蚕業が成されていたことは、裏で松取りの犠牲になった人たちがいるということです。
その地で松取りが行われると、亡くなった人の魂が闇で留まり、土地や地下の光の精霊が闇になり封印されるのです。桑園の地が暗いということです。これは私の実感からも頷けます。桑園は円山公園駅からほぼ北東方向にありますが、円山公園から北側に歩いていくと非常に暗い感じがするのです。自然の光である精霊が闇に変えられて暗闇の地になっています。円山公園駅から北側が暗い原因の1つが、桑園の養蚕業に隠された松取りの闇だと感じます。北海道開拓の時に、どういう人たちが入植して桑畑と養蚕を行っていたのか、桑園の歴史を調べる必要があります。(つづく)