札幌市桑園地区のグーグルマップを調べて、ワーク対象として「札幌競馬場」と「札幌市中央卸売市場」を選びました。桑園地区の調査とワークを行うきっかけの1つが、「馬と糸を伝って降りる子猫の夢」でした。「馬」が主役となる「競馬場」を暗示していました。札幌競馬場の情報はwikiに記されています。『札幌競馬場は、北海道札幌市中央区にある中央競馬の競馬場。1907年(明治40年)10月に、桑園駅付近の現在地にて開設。施設所有者は日本中央競馬会(JRA)で、ホッカイドウ競馬が開催していた際は施設をJRAから賃借していた。
JRAでは非開催時も場外発売所として使用しているほか、トレーニングセールの会場としても使用される。札幌市の「広域避難場所」に指定されており、大規模火災の発生時には避難所としても使用される』。札幌競馬場の沿革は、《札幌競馬場》に記述されています。『札幌競馬のルーツは明治5(1872)年、北海道神宮(札幌神社)の路上での祭典競馬と言われ、その後北6条通り、北海道大学構内でも行われた。明治12(1879)年 札幌共同競馬会社設立。明治20年 中島遊園地南側に競馬場新設。明治38年 札幌共同競馬会社、競馬事業を北海道乗馬会に譲渡。
明治39年 北海道乗馬会から競馬部門が分離して北海道競馬会設立。明治40年 現在地に新競馬場を建設。明治43年 北海道競馬会、札幌競馬倶楽部と改称。昭和11(1936)年12月10日 日本競馬会設立。札幌競馬倶楽部解散。昭和21年7月27日 米国進駐軍主導による札幌競馬開催。昭和22年 日本競馬会主催競馬再開。昭和23年7月13日 新競馬法公布。日本競馬会解散、国営となる。昭和28年10月2日 北海道営地方競馬初開催。昭和29年9月16日 日本中央競馬会発足。平成21(2009)年5月14日 北海道営地方競馬最終開催(5月13、14日(2日間)』。
札幌競馬のルーツは北海道神宮(旧・札幌神社)の路上での祭典競馬でした。札幌育種場競馬場-wikiの「札幌における競馬の始まり」に詳細が記されています。『札幌における競馬で記録に残るものの最初は1872年(明治5年)9月14日札幌神社の祭礼の際に行われたものである。北海道には江戸時代から虻田に乗用馬の牧場があったが、明治新政府が1871年(明治3年)にこれを廃止し、牧場の馬を札幌の庶民に払い下げた。開拓民の多くはこの時はじめて馬を所有するようになった。翌1872年、北海道で初めての一宮として札幌神社が誕生する。
当時の開拓長官黒田清隆は、札幌神社の祭礼にあたっては、官民とも仕事を休んで参拝・遥拝するように全道に命じた。これに応じ、開拓民は払い下げられたばかりの馬に乗って札幌神社に向かったが、その往還路にあたる琴似街道(銭函街道)で「自然発生的に」行われたのが札幌での競馬の濫觴(らんしょう)とされている。このときの競馬は、琴似街道の直線部分300間約545メートル(現・札幌市立円山小学校前、西25丁目通りの南1条から北5条まで)で行われ、祭礼に来るのに農耕馬や荷役馬に乗ってきた近郊の農民など数十騎が早さを競ったものである。
当時の札幌周辺の農民は東北諸藩の元武士(戊辰戦争の負け組)だった者が多く、元武士ゆえに騎乗を心得ているものが多く、また農作業や荷役に馬は欠かせないものだったため馬を所有している農民が多かったものと考えられている。・・1873年(明治6年)7月9日と1874年(明治7年)8月15日の札幌神社の祭礼の際にも同じ琴似街道で有志が競馬を行ったが、明治6-7年の競馬では時の開拓判官松本十郎が参加している。自身が乗馬好きで乗馬術に長けた松本は馬に乗って琴似街道の競馬を指揮し、スタートの合図も行い、自ら騎乗して範も示した』。
札幌競馬場の歴史には、現・山形県の庄内藩出身の開拓判官・松本十郎や元武士たちが深く関わっていたのです。《人間のエゴに気づく》には、札幌円山の「馬頭大神碑」のワークについて記していますが、馬は、本来、ペガサスから降ろされた光の役割でした。しかし、人間のエゴによって、馬は松取りの犠牲となり、農耕馬、軍馬、競馬として使役されて封じられてきました。北海道神宮の例祭として祭上げることで、闇の真実が隠されてきました。札幌競馬場の場長は、植田嘉奈子(うえだかなこ)です。経歴は、《財さつJP》に記載されています。
『1968年、京都府生まれ。大阪大学人間科学部卒。91年日本中央競馬会(JRA)入会。2015年施設部施設総務課長、20年福島競馬場副場長、22年総合企画部経営企画室長などを経て、24年3月から現職』。札幌競馬場の場長・植田嘉奈子と所在地(北海道札幌市中央区北16条西16丁目1-1)に闇の解除・統合を意図して各々に光を降ろすと「統一」「いいです」と伝えられました。札幌競馬場の場長は、統一工作員の役割のようです。ラスベガスなどにあるカジノやパチンコなどのギャンブルは、統一教会が絡む支配層の蓄財の仕組だと捉えています。
《パチンコ業界と癒着関係にある警察と日本の金を北朝鮮絡みの朝鮮半島に流す闇の仕組となるパチンコ》に詳細があります。当然のことながら、松利権が伴う競馬も統一の管轄だと感じます。札幌競馬場の所有者は、日本中央競馬会(JRA)です。日本中央競馬会については、《JRAのワークが暗示する日本DSによる光の馬の封印と松利権が絡む「競馬」という金とエゴの闇の仕組》のワークで光を降ろしていますが、理事長が変わっているので、再度、ワークを行いました。JRAの現・理事長は、吉田正義(よしだまさよし)です。
経歴は、《上毛新聞社のニュースサイト》によると、『1958年群馬県甘楽町生まれ。 高崎高―早稲田大卒。 83年JRA入会。 経営企画室長、中京競馬場長、競走部長などを経て2023年9月に理事長就任』とあります。JRAの理事長・吉田正義と本社所在地(東京都港区西新橋1丁目1-1 日比谷フォートタワー)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「ゴム。半島。統一」「いいです」と伝えられました。JRAのトップは、統一工作員の役割ですが、既に替え玉になっているようです。「札幌市中央卸売市場」の情報はwikiに記されています。
『札幌市中央卸売市場は、札幌市が設置している中央卸売市場。略称は、「中央市場」「札幌中央市場」「札幌市場」。地方公営企業法の財務規定等が適用されている。札幌市経済局中央卸売市場管理課に属する。[概要]青果・水産生産物が流通される場所であり、毎年初夏に行われる夕張メロン・でんすけ西瓜・らいでん西瓜の初競りの風景がメディアに取り上げられることでも有名である。[歴史・沿革]・1923年(大正12年)3月30日-中央卸売市場法(法律第32号)が制定。11月1日施行。・1958年(昭和33年)10月10日-国鉄の市場引込線開通。・1959年(昭和34年)12月6日-「札幌市中央卸売市場」が開設』。
「市場」は昔の屠場に深く関係しており、地下に松施設があると見ています。《東京博善の筆頭株主になった廣済堂創業者で黒幕の児玉誉士夫らと人脈を築いたフィクサー櫻井義晃》には、『芝浦のwikiに「芝浦屠場(正式名称:東京都中央卸売市場食肉市場)」の記載がありました。芝浦には「屠場」が置かれていたのです。《地下施設の存在が暗示される葛西臨海公園》のワークからディズニーを含めた東京湾の埋立地には地下施設があると見ています。地上の家畜の屠場と地下の遺体の松取り場の可能性も浮かびます』と記されています。
札幌市中央卸売市場の市場長・片貝太と所在地(北海道札幌市中央区北12条西20丁目2-1)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「サンカ」「いいです」と伝えられました。やはり、札幌市中央卸売市場のトップは、サンカの役割のようです。札幌市桑園の地は、本来、湧水地などの水の場所という光の地でした。その光の地が山形の庄内藩の人たちが、支配層の命でサンカの役割として松取りを成すことで、地下・地底に宿っていた光の精霊が闇に反転して、深い闇の場所に変えられてきました。札幌市桑園の地が本来の光の姿に戻ることを願っています。(おわり)