自然の光のエネルギーを利用した繊維について、ネットで調べていくと《発熱(吸湿・遠赤外線放射)/日本化学繊維協会》に有用情報が掲載されていました。『日本の化学繊維メーカーが得意とする高機能素材の中には、冬季の快適性を高める発熱素材が数多くラインアップされています。機能や軽量性、ストレッチ性などを備えた素材が中心になります。〈肌着などで注目の発熱素材〉近年注目を集めている吸湿発熱素材は、繊維自身が熱を発して体を暖める機能を持たせた素材です。これは物質が水分を吸着した時に熱を発するという特性(吸着熱)を生かしています。
発熱素材にはアクリル系素材やキュプラを使用した素材など多様な種類がありますが、最近では発熱機能だけでなく、柔らかな風合いや吸水速乾などの別の特長を付与して、快適性をさらに高めた素材が人気を集めています。例えば、旭化成の「Thermogear(サーモギア)」は、キュプラ繊維「ベンベルグ」と毛玉になりにくい機能を持たせたマイクロアクリルを組み合わせた吸湿発熱素材ですが、ベンベルグの吸放湿機能によって、暖かさだけでなく衣服内の蒸れを抑える機能も有しています。〈光エネルギーを熱に変換〉保温素材の中では繊維が太陽光を吸収し、それを熱に変換して衣服内を暖めるという素材も人気です。
この手法は「蓄熱保温」と呼ばれ、各社それぞれの技術を駆使して機能性を付与しています。一つの例を挙げると、ユニチカトレーディングの「Thermotron(サーモトロン)」は、特殊な糸構造のポリエステルの芯部に、太陽光を吸収して熱エネルギーに変換する物質を練り込んでいます。さらに機能を上げるために他の機能と複合させた商品もあり、遠赤外線放射効果を有する特殊な機能剤を練り込んだ「Radipoka(ラジポカ)」と「サーモトロン」を一本の糸内に融合させた素材も市場投入されています(※サーモトロンは繊維中心にセラミックを練り込んでいる)。
これらのほか、東洋紡STCの「メタルギア」のように、生地の裏面に薄い金属アルミニウムを均一に貼り、体からの熱線(赤外線)を反射して暖めるという素材も出ています。帝人フロンティアは、ポリマー自体に特殊な炭素系無機微粒子を配合する「ヒートエナジー」と、後加工により蓄熱保温機能を付与した「サーモコンポW」の2種類を展開しています。両素材はそれぞれに特徴があります。ポリマー自体に機能を付与することで洗濯を重ねることによる機能低下を抑えるなどのメリットがあり、一方で後加工には他機能との複合化が可能になるなどの特徴があります。
クラレトレーディングは北海道で採掘される稀少な鉱石、ブラックシリカを繊維に練り込んだ保温素材「マイクロウォーム」を展開しています。ブラックシリカは岩盤浴にも使われる鉱石で、日射・熱線を吸収し蓄熱・保温機能をもたらします。また、蓄熱保温機能に他の機能を複合して保温性をさらに高める手法もみられます。ユニチカトレーディングの「サーモトロン」は、光エネルギーを熱に変換する機能を持つ機能性セラミックを繊維に練り込んだ蓄熱保温素材ですが、さらに遠赤外線放射機能を加えた「サーモトロン
ラジポカ」も展開しています。
〈ダウンの中綿に機能素材〉ダウンジャケットの中綿に機能素材を使うケースも増えています。ダウンジャケットが持つ軽量性や保温性などの特徴に加えて、化学繊維の機能性を付与することで、さらに暖かく快適な衣料とすることが可能です。例えば三菱ケミカルの導電微粒子を練り込んだ芯鞘構造のアクリル繊維「コアブリッドB」は工業用ブラシなどの用途で使われていますが、最近ではダウンジャケットの中綿としての展開も広がっています。練り込んだ微粒子が太陽光を熱エネルギーに素早く変換するとともに、高い導電性を発揮し、より暖かで快適な衣料とすることができるためです』。
クラレは、加茂繊維と同様に、ブラックシリカを繊維に練り込んだ新素材を開発しています。大手繊維メーカーも、石や鉱物を利用した新しいハイテク素材を開発して製品として上市しているのが分かります。予想以上に隠されてきた自然の光の叡智としてのテクノロジーが繊維製品に応用されて、世の中に広まっている現実があります。BAKUNEを販売する㈱TENTIALの本社所在地(東京都品川区北品川6-7-29 ガーデンシティ品川御殿山 西館5階)の場所をグーグルマップの地図で確認していると、「三菱開東閣(みつびしかいとうかく)」と記された東側に隣接する大きな敷地が目に入りました。
ネットで調べると三菱財閥(現・三菱グループ)の創業家の旧岩崎家高輪別邸だと分かりました。三菱開東閣の詳細情報はwikiに記載されています。『開東閣は、東京都港区高輪にある洋風建築であり、旧岩崎家高輪別邸である。[概要]晩年の岩崎弥之助は1889年(明治22年)に伊藤博文の邸宅地16,500坪を10万円(現在の価値で約20億円)で購入して別邸地とし、ジョサイア・コンドルに設計を依頼した。弥之助は駿河台にある屋敷を息子の三菱財閥第4代総帥である岩崎小弥太に譲り、そこから敷地内へ移築した日本家屋に移り住んで洋館の完成する日を待った。
しかし、完成を見ることなく1908年(明治41年)3月25日に癌により死去。同年に11,200坪の広大な敷地面積を有する大邸宅が完成した。1911年(明治44年)に小弥太は温室や小弥太の弟の輝弥の邸宅があった邸宅西側に36坪の書庫と事務所、関覧室を建設し、保岡勝也設計の静嘉堂文庫(現存せず)を移築した。この書庫は鉄筋コンクリート造の3階建で、中間に空気層を設けた二重壁の構造や書棚の配置から割り出した窓の配置、鉄骨造の防火扉を設置するなど、貴重な蔵書の保全に細心の注意を払ったものであった。
この邸宅は小弥太夫妻の住まいやもてなしの場に使用され、1938年(昭和13年)に三菱財閥に譲渡され、開東閣と名付けられた。敷地内には巨大な洋館と洋風庭園があり、離れには駿河台から移築した邸宅と釈迦堂、正門には旧国宝であった旧備前池田候江戸上屋敷表門が移築され、弥之助の設計による1,500坪もの広さの温室や500坪の牡丹園、200坪の藤棚があった。1945年(昭和20年)5月に発生した東京大空襲によって、洋館は外壁のみ残し内部を焼失し、旧国宝であった正門や日本邸宅、釈迦堂、温室などが焼失した。小弥太は晩年ここで療養生活を送り、同年12月2日に死去した。
GHQの接収が解除された後、1963年(昭和38年)に内装の復旧工事が始まり、翌年に完成した。一般公開はされておらず、現在は三菱グループの倶楽部として使われている。周囲は鬱蒼とした森となっており、外部からは建物は見えない』。三菱開東閣の画像を見ると、西洋の古城のような洋館にも感じられ、生贄や松の儀式が成される地下施設があると感じます。目黒雅叙園の源流の地や芝浦屠場の東京品川や目黒一帯は、水の場所です。本来は大事な光の地底があり、それが闇に変えられた場所になっていると理解しています。設立者の岩崎弥之助は、三菱財閥の2代目総帥であり、三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の弟です。
支配層・八咫烏の中核である三菱を含めた支配層の大事な拠点だったと見ています。また、品川御殿山の名前の由来を調べるとwikiがありました。『徳川家康が江戸城に入ってからは、この場所にあった城は正式に「品川御殿」と呼ばれ、このことからこの場所は正しく御殿山と呼ばれるようになった。・・歴代将軍の鷹狩の休息所として、また幕府重臣を招いての茶会の場として利用されていたほか、桜の名所として有名であった』と記されています。御殿山は、江戸時代に徳川家の将軍が「鷹狩」を行った場所でした。ヒプノセラピーでは、鷹狩の真意は、鷹を使った動物の狩ではなく、人の松取りだと伝えられています。
詳細は《「徳川家の闇に光を当ててくれないか。ディズニーは徳川ランド」》にあります。また、《源頼朝の富士の巻狩から見える真実が隠蔽された歴史的な出来事》には、鎌倉幕府を開いた源頼朝の巻狩りについて記述されています。巻狩りは当時の軍事訓練とされていますが、先住民を犠牲にした松取りだと分かっています。こうしたことから、東京都の品川御殿山周辺で古くから松取りが行われており、地底の光の精霊が闇に変えられて、封印されているのです。三菱開東閣に地下の闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「いいです」と伝えられました。(つづく)