1月中旬、ナスカの地上絵のテレビ番組を観ていて、山形大学が関係していることを知りました。「どうして東北の山形大学が南米ペルーのナスカの地上絵に深く関係しているのだろうか?」という率直な疑問が浮かびました。また、1月26日(日)に開催したお話会には、山形県出身の方が参加していました。その方が発言する際などにスカイプの音声が、ハウリングや宇宙船の音のような電子音が響いていました。直感的には、アヌンナキなどの宇宙人からのサインだと思いました。今年1月から幾度か「山形」のワードが来ていました。
2月には、札幌の百貨店の催事で、山形の大豆の秘伝豆を知りました。個人的には、豆類は余り好みではなかったのですが、秘伝豆を食べると美味しくて認識を新たにしました。さらに、《明治期に桑園を拓いた山形・庄内藩の人々と庄内藩出身の開拓大判事で八咫烏のサンカの役割の松本十郎》にありますが、札幌市中央区の桑園のヒントから、桑園を開拓した現・山形県の庄内藩のワークに繋がっていました。《山形 湯殿山神社 ~巡礼の旅(266)~》には、2015年5月に行った山形県鶴岡市にある羽黒山を封印する役目の出羽神社の遠隔ワークについて記しています。
出羽神社に光を降ろすと「光が入った。ここが日本だと誰かが伝えて来た」と伝えられました。太古の昔、羽黒山などの山形の地が日本の中心だったのです。それは、光の時代の先住民の中心地だと感じます。純粋な光の地である故に、深い闇に変えられてきました。純粋な人ほど汚れた闇に染まってしまいます。純粋な魂を持つ先住民が暮らしていた山形の地は、渡来人の配下で松取りの汚い仕事を裏で強いられることで、エゴ・金の闇に覆われて汚れてしまったのだと理解しています。山形の地が、サンカという土着の闇に覆われて光が封じられてきたと感じます。
今回、これまでの「山形」のサインに繋がる「ナスカの地上絵」と「山形大学」について調査とワークを行うことにしました。ナスカの地上絵の情報はwikiに記されています。『ナスカの地上絵は、南米大陸ペルーのナスカ台地の砂漠地表面に、砂利の色分けによって描かれた幾何学図形や動植物の絵の総称。古代ナスカ文明の遺産であり、ナスカ文明早期(西暦紀元前3世紀~1世紀)と推定される地上絵もある。あまりに巨大なため地上からは全体像を把握しにくく、1920年代末にペルーの首都リマと南部アレキパを結ぶ定期空路が開設され、上空からの「発見」で有名になった。
ナスカ台地は約400平方キロメートルの広さがあり、ナスカ川とインヘニオ川に囲まれているが、乾燥した気候で地上絵は浸食されず残って来た。航空機からの目視で判別できる絵のほか、日本の山形大学ナスカ研究所などはドローンによる撮影を含む航空写真、人工衛星の撮影画像を人工知能(AI)で解析して地上絵候補地点を探す手法を導入し、確認された地上絵は2023年2月までに733点(「面タイプ」683点、「線タイプ」50点)に急増している。これから分析・調査するエリアにも多数の地上絵があると推測されている。
割れた土器が落ちている地上絵もあり、描かれた理由としては宗教上の儀礼や巡礼のためなど諸説ある。ナスカの地上絵のエリアのすぐ北には、川を挟んでパルパの地上絵と呼ばれる同じぐらい広大な山岳地帯の地上絵のエリアがある。ナスカの地上絵の1000年前パラカス文化の時代に描かれたとされる数多くの幾何学図形と地上絵が描かれているが、観光地化されていないので一般にはあまり知られていない。ナスカの地上絵とパルパの地上絵はともに世界文化遺産に登録されている。また、ナスカの地上絵のエリアから川を挟んですぐ南にはカワチの階段ピラミッド群があり、その関係性は深いと予想されている。
TBSの世界遺産 World Heritage公式YouTubeチャンネルでは、ドローンによる非常に高画質な地上絵の映像を見ることが出来る』。世界遺産 World HeritageのYouTubeチャンネルの動画《【絶景】空から見るナスカの地上絵!》には、ナスカの地上絵の航空映像が収録されています。山形大学ナスカ研究所がドローン撮影などによって多くの新規の地上絵を発見していることが分かります。地上絵がつくられたというナスカ文化は、紀元前後から800年頃まで現在のペルー共和国海岸地帯のナスカ市周辺に栄えた文化で、ナスカの地上絵で知られています。
アンデス文明のうち、灌漑設備が整備され開拓の進んだ前期中間期ないし地方発展期にあたり、同時代のモチェ、カハマルカ、ティアワナコと並びます。宗教的中心(巡礼地であるとされる)は、ナスカ川流域のカワチ遺跡とされています。山形大学ナスカ研究所の情報はwikiに記載されています。『ナスカ研究所は、ペルーのイカ県ナスカ市にある、山形大学の付属研究所である。2012年10月30日に開所した。2004年から山形大学の坂井正人、阿子島功、渡邊洋一、本多薫らのチームがナスカの地上絵の研究を行い、新しい地上絵の発見などの研究成果をあげてきた。
研究をさらに推進するためにナスカ研究所が設立された。現地で立ち入り調査を認められている数少ない研究機関である』。公式サイトには、ナスカ研究所について「研究所長あいさつ(山形大学ナスカ研究所長 森岡卓司)」の中で述べられています。『新しい地上絵の発見がたびたび報道されてきたこともあり、ナスカ地上絵研究は現在ではすっかり山形大学の看板のようになりました。それは元々は、2004年、坂井正人教授(文化人類学)を中心に、阿子島功名誉教授(自然地理学)、渡邊洋一名誉教授(認知心理学)、本多薫教授(情報科学)の4人による学際的な共同研究として出発したものでした。
その後も地道な研究を積み重ねてきたことが実を結び、本研究は世界的な研究へと発展しました。研究成果はペルー文化省によっても高く評価され、人文社会科学部のナスカ研究グループは現在、現地での立ち入り調査を認められている世界で唯一の研究チームとなっています。山形大学人文学部附属ナスカ研究所(平成30年4月から山形大学ナスカ研究所)は、こうした現地での研究推進のための拠点として、2012年10月30日に開所しました。以後、山形大学の研究者が滞在して研究や現地との連絡調整に当たるとともに、時に派遣学生をも交えた調査研究の場として運用されています。
現在は、研究や社会連携に加えて、さらに学部・大学院を通じての教育の場としての機能を高めていけるよう準備を進めています。本ホームページは、現地での調査研究の様子や多彩な研究成果について、日本だけでなく、世界に向けて発信するために開設しました。どうか皆様のご支援をよろしくお願いいたします』。山形大学ナスカ研究所の関係者6名をワーク対象に選びました。渡邊洋一教授(前人文学部長・山形大学人文学部附属ナスカ研究所の開所発表者)、阿子島功(チーム員)、本多薫(チーム員)に闇の解除・統合を意図して各々に光を降ろすと「サンカ」「サンカ」「中国工作員」と伝えられました。
また、北川忠明教授(人文学部長・山形大学人文学部附属ナスカ研究所の初代所長)、坂井正人教授(山形大学人文学部附属ナスカ研究所初代副所長)、山形大学ナスカ研究所の現所長・森岡卓司(山形大学
人文社会科学部 人文社会科学科 教授)に闇の解除・統合を意図して各々に光を降ろすと「アーク」「同和」「サンカ」と伝えられました。ワークの結果から、山形大学ナスカ研究所の関係者は、総じて、サンカという現場工作員の役割をになっていると感じます。それは、渡来人の配下の先住民がサンカ・同和の闇に陥った山形の地の歴史に由来していると捉えています。(つづく)