2月25日(火)のヤフーニュースの記事で、北海道庁の食堂の食事提供業務を受託しているのが「シダックス」だと知りました。北海道庁の食堂の配食の仕事を受注しているシダックスは、力のある会社だと感じました。シダックスの創業者は、私と同じ静岡県伊豆の国市の出身者だと分かっていました。伊豆の国市をはじめとして静岡県は、裏の徳川利権が潜む場所であり、支配層の創価学会の中心的拠点でもあります。明治期の北海道開拓から北海道の地は、松取り工作が成されてきており、創価の闇で覆われ、自然の光が封じられてきました。
過去の調査とワークから、既に替え玉になっている北海道の鈴木直道知事は、菅義偉元首相の子分として、中国・創価の影響力を背景として今の地位に昇りつめてきたと感じています。こうした経緯から今回、シダックスの調査とワークを行うことにしました。シダックスの情報はwikiに記載されています。『シダックス株式会社は、外食産業、学校給食・企業食堂の給食(コントラクト)事業を展開する持株会社である。キャッチコピーは「MOTHER FOOD SHIDAX」、「SHIDAX Please!」。オイシックス・ラ・大地の子会社。
かつては「レストランカラオケ SHIDAX」としてカラオケボックス事業も行っていたが、郊外型の大型店(ロードサイド店舗)を主に展開していたため不採算店舗が増えたこと、飲酒運転の厳罰化、低価格カラオケ店の台頭や一人カラオケ(ヒトカラ)の流行により客単価が低下したことなどにより、「カラオケ館」を運営するB&Vに事業を売却し、シダックスグループとしてはカラオケ事業から撤退した(但し、現在もシダックス・コミュニティーの社名は残っており、一部のカラオケボックスにも、引き続き、シダックスの名前は残っている=事実上ライセンス契約同義)。
[沿革]・1959年1月5日-志太勤が創業。・1965年5月11日-東京都調布市に学校・企業食堂の給食事業を運営する「富士食品工業」(現:シダックスフードサービス)を設立。なお、会社ではこの日をシダックスグループの創立日としている。・1964年10月-東京オリンピック運営スタッフの食事提供業務を受託。・1967年4月-東京都調布市に「フジ調理師専門学校」を開校(1987年10月「志太学園調理師学校」に改称、2001年3月閉校)。・1970年3月-大阪万博の警備員食堂と見学者用レストランの業務を受託。・1974年12月-本社を東京都新宿区へ移転。
・1991年1月-売店とコンビニエンスストア事業を運営する「コンビニエンスシダックス」(現・シダックスアイ)設立。10月-東京都内にレストランカラオケの実験店をオープン。・1993年8月-レストランとカラオケボックスを一体化したレストランカラオケ事業を主体とする「シダックス・コミュニティープラーザ」(現:シダックス・コミュニティー)を設立。12月-レストランカラオケ第1号店を、東京都立川市栄町にオープン。1995年9月-本社を再び東京都調布市へ移転。1996年4月-シダックス(現:シダックスフードサービス)株式を店頭登録。
公式ウェブサイトを開設。1998年10月-シダックスを「シダックスフードサービス」へ社名変更』。シダックスは、1964年の東京オリンピックや1970年の大阪万博という国家プロジェクトの大口の仕事を受注しており、やはり表裏の力があることが頷けます。シダックスの創業者は、志太勤(しだつとむ)です。経歴はwikiに記されています。『志太勤(1934年-)は、静岡県田方郡韮山町(現・伊豆の国市)出身の実業家。シダックス創業者、取締役最高顧問。[来歴]静岡県立韮山高等学校卒業。高校3年生の時に、義兄から譲り受けた大衆食堂「大炬燵(おおごたつ)」を経営。
1960年、東京都調布市に給食事業を運営する「富士食品工業」(現・シダックスフードサービス)を設立し、社長に就任。従来の定食からカフェテリア方式にしたことで急成長を遂げた。集団給食を主体としたフードサービス事業とレストランカラオケ事業で業界トップクラス。1997年、社長を長男・勤一に譲っている。2012年6月、代表取締役会長から取締役最高顧問となる。1993年に藍綬褒章、2006年には旭日重光章を受章。教育に関しては特に熱心であり、本社に志太学園調理師学校を併設したり、志太起業塾では中高年層に対して起業について自ら熱弁をふるった。
大学は出ていないが、2007年には、多くの元プロスポーツ選手や企業家などが履修生として名を連ねる早稲田大学スポーツ科学学術院平田竹男研究室の社会人修士1年制の卒業生となった。また、無類の野球好きで知られる。高校球児であったが多発性関節炎を患い、野球を断念した。その後、実業家として軌道に乗ってから自社にシダックス野球部を創設し総監督に就任。2003年~2005年には友人の野村克也がGM兼監督として指揮を執り、注目を集めた。現在でも日本中学生野球連盟の会長を務めるなど、野球を通じた健全な青少年の育成に尽力している』。
シダックスの創業者・志太勤に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「創価」と伝えられました。やはり、支配層の創価工作員の役割を担っているようです。志太勤-wikiにある『高校3年生の時に、義兄から譲り受けた大衆食堂「大炬燵(おおごたつ)」を経営』の一文の大衆食堂「大炬燵」が気になり、ネットで調べました。すると、株式会社にしはらグループの公式サイトの沿革に、『昭和26年2月 三島市加屋町にトラック食堂「大炬燵」開店』と記載されていました。シダックスの創業者・志太勤と西原グループの創業家・西原家は親戚関係の可能性があると思いました。
さらに調べると《ベンチャー通信Online》に答えが載っていました。『志太:高校3年生の秋に、親戚の西原さんという人から、大衆食堂「大ごたつ」の経営を譲り受けました。西原さんは、食堂の経営をやめて、もっと大きな食堂を新たに展開することになったので、私にその話がきたんです。私は高校に通いながら、その食堂の仕事をしました。食堂は、俗に言う「トラック昼夜食堂」という大衆食堂でした。店は繁盛していて、ひたすら働いた。1日に3,4時間くらいしか寝なかった。でも、その繁盛していた食堂が、廃業に追い込まれたんです。
というのも、新しいバイパス道路が開通して、トラックがうちの食堂に寄らなくなったから。こうして、その食堂は旧道に残された廃屋同然になりました』。やはり、シダックスの創業者・志太勤と西原グループの創業家・西原家は、血縁関係がありました。《静岡 三嶋大社の鳥居前町として栄え暗闇にされた湧水の地・三島市 ~巡礼の旅(752)~》にありますが、株式会社にしはらグループの代表取締役会長・西原宏夫は、三島市観光協会会長を務めており、ワークで「DS」と伝えられています。シダックスの創業者・志太勤の志太家と西原グループの創業家・西原家は、共に支配層の工作員の家系だったと見ています。(つづく)