イスラム教シーア派に関するワーク対象をネットで探していくと「ヒズボラ」に行き着きました。ヒズボラの情報はwikiに記されています。『ヒズボラは、レバノンのシーア派イスラム主義の政治組織、武装組織。1982年に結成された。イランとシリアの政治支援を受け、その軍事部門はアラブ世界、イスラム世界の大半で、イスラエルや欧米に対する抵抗運動の組織と見なされている。欧州連合(EU)、米国、オランダ、バーレーン、エジプト、英国、豪州、カナダ、イスラエルは、ヒズボラの全体または一部をテロ組織に指定している。
[概要]レバノンを中心に活動している急進的シーア派イスラム主義組織で、イラン型のイスラム共和制をレバノンに建国し、非イスラム的影響をその地域から除くことを運動の中心とする。反欧米の立場を取り、イスラエルの殲滅を掲げている。ヒズボラはレバノン内戦の最中の1982年、イスラエル国防軍によるレバノンでの軍事作戦への抵抗を契機に生まれた。イスラエルの軍事作戦は南レバノンのテロ・グループによるテロ攻撃と、シュロモ・アルゴフ駐英国イスラエル大使への暗殺未遂事件に対する反撃として遂行された。
ヒズボラ指導部は、イラン革命を主導したルーホッラー・ホメイニーの薫陶を受け、その部隊はイラン革命防衛隊から訓練を受けて組織された』。現実的に、レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラはイスラエルとの間で戦いを行っています。欧米勢力 vs アラブ勢力、キリスト教・ユダヤ教 vs イスラム教やパレスチナ問題であるアラブ人 vs ユダヤ人対立構図がつくられています。しかし、こうした中東での戦争の裏には、支配層の工作があります。日米が戦った太平洋戦争などと同じく、偽装の対立工作が構築されてきました。
2つの軍の上層部が手を組んで戦場の兵士や市民を犠牲にした松取り工作による松利権を得ることが成されています。中東で常に戦争が起きていたのは、こうした支配層の工作があるからです。ヒズボラは、イスラム教シーア派の武装組織ですが、スンニ派の武装組織が「ハマス」です。《イスラエルとパレスチナのガザ地区を支配するハマスの紛争は松工作の拠点と工作員の一掃のための裏工作》にありますが、イスラエルと戦闘を交えていたイスラム教スンニ派の武装組織・ハマスについては、既に「Q」による掃除が終わっていると見ています。
客観的に見れば、イスラム教は、キリスト教の対立工作の勢力として作られたと感じます。ヒズボラ指導者の調査とワークを進めました。ヒズボラの初代事務総長は、スブヒ・アッ=トゥファイリ(在任1989年〜1991年)です。経歴はwikiにあります。『スビ・アル・トゥファイリ(1947年-)は、レバノンのシーア派聖職者、政治家で、1982年にヒズボラの設立に貢献し、1989年から1991年まで初代事務総長を務めた。比較的若い頃から、トゥファイリはレバノンのシーア派コミュニティの間で人気を博し、彼らは彼をベッカー渓谷で最も学識のあるシーア派学者と見なしていた。
アル・トゥファイリはシーア派イスラム主義者だが、イランと現在のヒズボラ指導部に対して非常に声高に批判している。トゥファイリとヒズボラとの分裂は、共同創設者アッバス・アル・ムーサヴィーの死後、イランが好むハッサン・ナスラッラーの派閥が優位に立ち始めた1990年代に起こった。主な論争は、レバノンの政治を避け、代わりにイスラエルに対する武装反乱との戦いに焦点を当てるというトゥファイリの主張をめぐるものであったが、ナスラッラー派はそれを軽視していた。トゥファイリの信奉者とヒズボラのメンバーとの間の暴力的な対立の後、彼は1998年にヒズボラから追放された。
聖職者はそれ以来、ヒズボラとイランの激しい反対者として活動してきた。そして、彼の支持者たちに、この地域におけるイランの覇権に反対するよう促した』。ヒズボラの初代事務総長は、現在、ヒズボラとの仲間割れで追放されたようです。ヒズボラの初代事務総長スブヒ・アッ=トゥファイリに闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「イスラム教もキリスト教」と伝えられました。イスラム教もキリスト教も同じアブラハムの宗教です。キリスト教勢力にとってのプロレスの悪役としてのイスラム教勢力の位置づけになっています。
ヒズボラ共同創設者で第2代事務総長のアッバース・アル=ムーサーウィ(故人・1952年-1992:在任1991年-1992年)と第3代事務総長のハサン・ナスララ(故人・1960年-2024年:在任1992年-2024年)の御魂が上がるよう意図して各々に光を降ろすと「テロ組織」「テロ組織」と伝えられました。やはりヒズボラは、テロ工作組織です。現在のヒズボラ指導者は、第4代事務総長のナイーム・カーセム(2024年-)です。経歴はwikiに記されています。『シェイフ・ナイーム・カーセム(1953年-)は、レバノンのシーア派イスラム主義組織、ヒズボラの4代目書記長である。
[経歴]レバノンの首都ベイルートに生まれる。成人すると化学教師となる。1974年にアマルで政治活動に入る。その後アマルを離れて1982年にヒズボラを他のメンバーと共に創設。1991年からヒズボラの副書記長を30年ほど務めた。[ヒズボラ最高指導者就任後]2024年9月27日にヒズボラ最高指導者であるハサン・ナスララが殺害されると、2024年10月29日に4代目ヒズボラ最高指導者に選出された。カーセムは2023年パレスチナ・イスラエル戦争についてイスラエルへの徹底抗戦を主張していたが、11月20日にイスラエルに停戦を提案し、アメリカ特使とも停戦について協議を行った。
そして、同月29日にイスラエルもその停戦案を承諾し、イスラエルとの戦争開始から1年、停戦を達成した』。現・ヒズボラ指導者である第4代事務総長のナイーム・カーセムに闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「DS」と伝えられました。DS工作員である故に「Q」の手が入っていると感じます。現・ヒズボラ指導者は、ヒズボラの中でも強硬派として知られており、イスラエルへの徹底抗戦を主張していましたが、イスラエルとの戦争の停戦を実現しています。このことは、イスラエルやヒズボラ、ハマスを含めたプロレス工作が終焉しつつあることを示唆します。
また、イスラム教武装勢力が成してきたパレスチナ・イスラエル戦争という松利権工作に「Q」の掃除が入ったことを意味します。ヒズボラを支援するのは、イランとシリアです。シリアは、2024年12月にアサド大統領がダマスカスを脱出しアサド政権は崩壊し、反体制派が政権を掌握しました。シリアにも「Q」による工作の闇の掃除が入っていると見ています。ヒズボラを支援する外国勢力の権力者の3人に光を降ろしました。イランの最高指導者(初代)のルーホッラー・ホメイニー(ホメイニ師・1902年-1989年)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「術師」と伝えられました。
イランの最高指導者(第2代)のアリー・ハーメネイー(ハメネイ師・1939年-)、イラクのシーア派指導者のムクタダー・アッ=サドル(サドル師・1973年-)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「アーク」「恨みを持っている人」と伝えられました。今後は、イスラム教勢力の中核となるイランがどう変わっていくのかが焦点になります。戦争や内戦・紛争は、全てが支配層の工作であり、裏の金儲けである松利権に繋がります。日本と世界の支配層の松利権工作の闇の仕組が終焉することを願っています。(おわり)