330px-三田演説館-慶應三田


静岡県賀茂郡松崎町の観光名所をピックアップして調査とワークを進めることにしました。松崎町には、20151月に巡礼の旅で下田市と共に訪れており、その際には、「伊那下神社(祭神:彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、住吉三柱大神)」と「雲見浅間神社(祭神:磐長姫尊(いわながひめのみこと)」でのワークを行っています。伊那下神社では、光を降ろすと黒龍と白龍が解放されました。雲見浅間神社では、光を降ろすと「ポータルが開いた」と伝えられました。ワークの詳細については《伊豆 伊那下神社 ~巡礼の旅(206)~》に記載されています。

 

今回の遠隔ワークでは、松崎町の史跡に重点を置きました。松崎町-wikiの「名所・旧跡・観光スポット」の《史跡》の項目の中から選んでいきました。まず、最初に選んだのが「なまこ壁」です。wikiには『なまこ壁 - なまこ壁の通りは、平成元年度手づくり郷土賞(歴史をいかした街並み)受賞』と記載されています。なまこ壁の情報はwikiに記されています。『生子壁/海鼠壁/なまこ壁(なまこかべ)とは、土蔵などに用いられる、日本伝統の壁塗りの様式の一つで、その壁をも指す。生子/海鼠/なまこともいう。

 

壁面に平瓦を並べて貼り、瓦の目地(継ぎ目)に漆喰を蒲鉾形に盛り付けて塗る工法によるもので、目地の盛り上がった形がナマコ(海鼠)に似ていることからその名がある。[機能・特徴]なまこ壁は江戸時代以降に、庶民の家の屋根葺きに瓦が利用されるようになるのと同時期に出現した。潮風や台風などの自然災害に強く、土壁や板壁よりも耐火性に優れることから全国的に普及した。工法としては、平瓦を水平に並べて張っていく「いも張り」が最も古いが、平瓦を斜めに張る「四半張り」が最も普及した工法となっている。

 

他に、いも張りの端を重ねて張る「馬乗り張り」や「青海波型」「亀甲型」「七宝型」などの技巧を凝らした張り方もある。豪商の蔵では、なまこ壁とともに「ゑぶり」と呼ばれる漆喰細工が施される事が多く、施主の財力や漆喰職人の腕前を現すステイタスシンボルとなっている』。実は、豪商の土蔵などの建造物に使っていた「なまこ壁」には、支配層の松利権の闇を浮き彫りにする非常に巧妙な仕掛けが隠されています。なまこ壁の原料となる漆喰(しっくい)は石灰石がベースになっています。漆喰は、水酸化カルシウム(消石灰)を主成分とする建築材料です。

 

日本の漆喰は消石灰を主成分に、骨材、すさ()、海藻のりなどの有機物を混ぜて練り上げたものです。石灰石や、麻、海藻を原料にした漆喰は、光の精霊が宿る自然の石などを使うことから、本来は光のエネルギーのものです。この漆喰に、血液を含む松の廃棄物(遺体の部位)を混入すると、建材としての強度が増すのです。これは、現在の建築材料の中核となるコンクリートと同じです。《反社が絡む生コン利権からコンクリートに混和剤としての添加の可能性が浮かぶ松取り後の遺体廃棄物》にありますが、コンクリートに馬の毛や血を混ぜると性能が向上するというのです。

 

馬が人間に変わっても同じだと見ています。現実的に、馬も人間も松取りの素材になるからです。コンクリートが生の状態の「生コン」には、遺体の松取り後の廃棄物(松カス)が混ぜられていると推測しています。ここから反社・同和が絡む生コン利権が生まれてきます。生コン利権は、松利権なのです。なまこ壁の漆喰とセメントの主原料は、石灰石であり、本来は精霊が宿る光の自然物です。それを松の廃棄物を混入させることで闇に変えるのです。松の添加・混入で光の精霊を闇の精霊に変えて、闇のエネルギーを放つ闇のものに変えているのです。

 

この手法は、味噌・醬油・酢などの光の発酵食品を闇に変えてきたのと同じです。松の廃棄物を添加物として製剤化して、食品・化粧品・美容製品・セメントなどの建材に使っているのです。光の精霊を松取りによって闇に変えているように、松の廃棄物を様々なものに加えることで光の物を闇の物に変えてきたのです。2025(令和7)226日に発生し47日に鎮火が宣言された岩手県大船渡市の山林火災も、松利権が絡むセメントが関係しています。岩手県大船渡市の山火事の場所の太平洋セメント工場がある場所です。

 

少なくとも江戸時代からは石灰石を採掘するための坑道など地下施設がつくられてきた場所です。セメント工場や石灰石の採掘場は、裏で支配層の松関連の地下施設がある場所であることを示唆するのです。岩手県大船渡市の山林火災は、松取りの現場である土着の闇・サンカの闇を終わらせるための大規模火災だったと見ています。漆喰やセメントには、松の廃棄物(松カス)が混ぜることで強度増加と松の証拠隠滅の一石二鳥にも三鳥にもなる金儲けの手法が隠されてきたのです。なまこ壁の建築物は、現実的な強度・耐久性に優れたものです。

 

しかし、エネルギー的にも闇の精霊を使った闇のエネルギーが放出されるものとなります。経験的には、闇の精霊と絡むなまこ壁は、闇のエネルギーである金を多く集められるようになると推察しています。それ故に、支配層の権力者が率先して、ステイタスシンボルでもある、なまこ壁の建築物をつくってきたのです。それは、逆に、なまこ壁の建築物が松利権を有する人物を特定する証拠にもなります。なまこ壁-wikiには、なまこ壁を使った建築物の画像が掲載されています。『近藤平三郎生家(明治初期・静岡県松崎町所在) 三田演説館(1875(明治8)51日竣工・慶應義塾大学三田キャンパス内) 

 

出雲街道上の津山にある蔵 生子壁の結構(石川県金沢城内)依田邸の海鼠壁(静岡県松崎町)』また、なまこ壁-wikiには「生子壁のある街並み」が記載されています。『・静岡県下田市および賀茂郡松崎町 ・愛知県名古屋市緑区有松 ・岡山県倉敷市倉敷美観地区 ・広島県東広島市西条酒蔵通り ・山口県萩市菊屋横丁 ・福岡県うきは市吉井町「蔵しっく通り」 ・長野県松本市「中町通り」 ・大分県大分市中戸次「本町通り」』。なまこ壁のある地域は、裏で松取りが行われ、松利権を有する支配層が存在してことを示唆しています。

 

なまこ壁は、物理的に高い強度を有し、エネルギー的には金を集める闇となるもので、一種の闇の叡智でもあります。なまこ壁が、静岡県松崎町や下田市をはじめ、愛知県名古屋市、岡山県倉敷市、広島県広島市、山口県萩市、福岡県うきは市、長野県松本市、大分県大分市など全国各地に広まっていたことは、江戸時代の日本において、支配層の松利権網が構築されていたことが窺えます。松崎町は、なまこ壁が有名な場所です。江戸時代から続く松利権網を構築してきた支配層・八咫烏の胴元工作組織の創価学会の中心拠点だったことの証でもあります。(つづく)