Shirogane-Blue-Pond_summer


光の講座の中の簡易ヒプノセラピーで、「日本の龍体を解放するには、封印されている出雲と伊豆を開く必要がある」という趣旨のメッセージを受けていました。具体的には伊豆の「松崎町」と出雲の「出雲大社」について、《奴奈川姫の龍体が動くための出雲と伊豆の地の解放と創価の裏の本拠地となる静岡県の伊豆・松崎町の地》のシリーズ記事で調査とワークを行いました。その中で、松崎町が「日本で最も美しい村連合」に参加していることを知り、「日本で最も美しい村連合」と発足地の北海道上川郡の「美瑛町(びえいちょう)」の調査とワークを行うことにしました。

 

「日本で最も美しい村連合」の情報はwikiに記載されています。『「日本で最も美しい村」連合(特定非営利活動法人日本で最も美しい村連合)は、失ったら二度と取り戻せない日本の農山漁村の景観・文化を守りつつ、「日本で最も美しい村」(the most beautiful villages in Japan)の名称の使用権を管理し、加盟団体の観光の広報活動などをする特定非営利活動法人。通称「美しい村連合」。町村などの地方自治体やその内部地域からなる連合体であり、サポーター企業を有するなどの特徴がある。[概要]〈目的〉素晴らしい地域資源を持ちながら過疎にある美しい町や村が、「日本で最も美しい村」を宣言することで下記を達成するのが目的である。

 

1. 自らの地域に誇りを持ち、将来にわたって美しい地域づくりを行うこと。2. 住民によるまちづくり活動を展開することで地域の活性化を図り、地域の自立を推進すること。3. 生活の営みにより作られてきた景観や環境を守りこれらを活用することで観光的付加価値を高め、地域の資源の保護と地域経済の発展に寄与すること。〈設立の経緯〉「フランスの最も美しい村協会」の活動を知った松尾雅彦カルビー社長(当時)が、カルビー関連会社のあった北海道美瑛町の浜田哲町長(当時)に提案し、浜田町長の呼びかけにより全国の7つの町村で2005(平成17)104日に任意団体として設立された』。

 

「日本で最も美しい村連合」は、一見、美しさと経済的な豊かさを追求する耳障りの良い連合体だと思われます。しかし、その実体は、物質的、エネルギー的にも自然を不純にして汚くする闇の手法と言えます。支配層は、観光名所を作ることで、多くの観光客を集めて、松利権を含めた、表裏の金儲けを目的にしていると感じます。しかし、こうした観光名所づくりの施策は、逆風が吹いています。HBCニュース 北海道放送のYouTube動画ニュース《町の人口の250倍以上の観光客、オーバーツーリズム対策が財政を圧迫で「おもてなし税」導入へ…1泊300円「青い池」駐車料金1000円 北海道美瑛町》に詳細があります。

 

観光名所の「青い池」のある美瑛町は、オーバーツーリズム状態です。美瑛町に昨年訪れた観光客は年間239万人で美瑛町の人口(9,235)250倍以上であり闇が闇を壊す状況になっています。エネルギー的には、支配層のエゴによって多くの人々を集めることで、豊かな自然の光を人間のエゴの闇で封印していることに成ります。綺麗で純粋なエネルギーの地が人間の重たいエゴの闇のエネルギーで汚されているのです。「日本で最も美しい村連合」の設立に関わる提案者、設立者、会長をワーク対象に選びました。「日本で最も美しい村連合」の提案者は、カルビー第3代社長の松尾雅彦(まつおまさひこ)です。

 

経歴はwikiに記されています。『松尾雅彦(1941-2018)は、広島市楠木町(現・広島市西区)出身の実業家。広島県広島市出身。カルビー第3代社長。「カルビー中興の祖」。スマート・テロワール(農村自給圏構想)提唱者。[来歴]〈若年期〉カルビー創業者松尾孝の三男。194586日、4歳の時に広島市への原子爆弾投下により被爆。自宅近くで母と一緒に疎開する荷物を積んだ馬車の上にいた(爆心地から1.5km)ものの、両側の家屋が倒壊したことでそれに遮られて助かったという。松尾は被爆後の火の粉で軽い火傷をおったが怪我はそれだけで、三篠橋から旧太田川に入り夕方まで過ごした。

 

母と一緒に筏につかまっていると、貴重品袋に入っていた砂糖が溶けて流れていった様子を鮮明に覚えている、とのちに回想している。1946年父・孝は宇品陸軍糧秣支廠を買い取り事務所兼工場とした。松尾は広島師範学校付属小学校(現広大附属東雲小学校)2年から工場でキャラメル包装のアルバイトをしていた。1949年父・孝はカルビーの前身である松尾糧食工業を設立するも、1953年不渡りを出す。そこから再スタートとしたのがカルビー製菓(現カルビー)になる。広島大学附属中学校・高等学校卒業。中高では生徒会長を務めた。次兄でのちにカルビー会長を務めた松尾康二、松尾雅彦がカルビー社長時代に会長を務めた川瀬博之も同高校卒業。

 

一浪の後、1960年慶應義塾大学法学部に入学する。安保闘争の最中、慶應自治会は覇気がないからと全日本学生自治会総連合のデモに入り大学に行かないようになる。1961年から再び慶應に通う(一浪一留)。そこで慶應自治会委員に選ばれ、大学4年時には全塾自治会委員長に就任した。この大学時代にカルビーでかっぱえびせんが発売され、夏休みに帰って家業を手伝った。卒業間近の1月、慶應初の全学ストが行われ、その余波で卒論を書かずに卒業したという。当時慶應自治会で活動していたものに栗本慎一郎・中田康雄・野口建彦らがおり、うち栗本は松尾の次に全塾自治会委員長を務めている。3人はのちに松尾を介してカルビーに関わることになる』。

 

松尾雅彦(カルビー第3代社長)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「松喰い」と伝えられました。《食人の闇の缶詰工場を暗示する広島県の宇品陸軍糧秣支廠跡が発祥の地となるカルビー》にありますが、カルビーは、松の缶詰工場があったと推測される宇品陸軍糧秣支廠跡を引継いだ企業です。カルビーの創業家の松尾家は、「松」がつく苗字であり、松の闇の役割を担っていたと感じます。日本で最も美しい村連合の設立者/前会長は、元北海道美瑛町町長の浜田哲(はまださとし)です。浜田哲の経歴は《日仏経済交流会》に記されています。

 

『浜田哲 NPO法人「日本で最も美しい村」連合会長 北海道・美瑛町長 ・北海道美瑛町生まれ。秋田大学土木工学部卒後、地元企業入社、のち同社役員。・1991年美瑛町会議員(2) ・1999年 美瑛町長(現在5期目) ・2005年「日本で最も美しい村」連合会長』。日本で最も美しい村連合の設立者/前会長・浜田哲(元北海道美瑛町町長)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「創価」と伝えられました。支配層・八咫烏の胴元工作組織の創価学会の工作員の役割のようです。日本で最も美しい村連合の現会長は、京都府伊根町長である吉本秀樹(よしもとひでき)です。

 

経歴は《公共空間》によると、『19557月に、京都府伊根町に生まれ、高校卒業まで同調で過ごす。1978年に同志社大学を卒業後、漁師をしていた父親の元で漁業に従事し、父親の死後は家族で民宿を経営する。1998年に伊根町町議会議員となって二期務めたのち、2006年に伊根町長就任』と記されています。日本で最も美しい村連合の現会長・吉本秀樹(伊根町長・5期目)本部所在地(東京都千代田区鍛冶町1丁目10-4 丸石ビルディング 3F)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「創価」「いいです」と伝えられました。やはり創価工作員の役割を担っているようです。(つづく)