㈱マキヤの役員情報は、プレスリリースの《取締役及び監査役の人事に関するお知らせ》に記載されています。マキヤの代表取締役会長・川原﨑康雄(前社長)と代表取締役社長・早川紀行の2人をワーク対象に選びました。川原﨑康雄の経歴は《パイプオヤジ》に記載されています。『マキヤは八日までに、川原崎康雄専務(五四)が社長に昇格する人事を決めた。創業家以外からの社長就任は初めて。人事は七日付。矢部彰造前社長と矢部隆前会長が、グループの営業力、経営管理体制などの強化には経営者の世代交代が不可欠と判断し、取締役会で辞任を申し出た。
【川原崎康雄氏(かわらさき・やすお)】慶応大卒。1990年マキヤ入社。常務社長室長兼エスポット営業部長などを経て05年専務。富士宮市出身。(静新平成20(2008)年10月9日(木)朝刊)』。マキヤに創業家が存在することは、現在の会長・社長は雇われの形になります。マキヤの創業家とは、矢部彰造前社長と矢部隆前会長から分かるように「矢部家」です。2008年10月7日付で、創業家の矢部彰造前社長と矢部隆前会長が辞任することになったのは、何か大きな理由があると思い、ネットで調べましたが、社長・会長が退陣した理由は見当たりませんでした。
しかし、《[書き起こし・要約] マキヤ(9890)IRセミナー・質疑応答 2024.4.21開催》を見つけました。IRセミナーにて矢部家の創業家が経営から退任した質問が出ていました。『Q. 1年前に創業者系の経営陣が退任されたようですが、その理由を教えてください。A. 創業家の経営陣の交代については、私は後から入社したこともあり、詳しい事情まではつまびらかではありません。申し訳ございません』。創業家・矢部家のマキヤ役員からの退任は、何か隠された意味があると感じます。《【マキヤ】矢部隆=矢部彰造=川原崎康雄 | 社長の家~日本の豪邸写真集》には、マキヤの歴代社長名が記載されています。
『槇屋利八 矢部喜代太郎 矢部利雄 矢部利治 矢部隆(立教大学) 矢部彰造(静岡県立沼津東高等学校) 川原﨑康雄(慶應義塾大学) 早川紀行(城西大学)』。マキヤの代表取締役社長・早川紀行の経歴は《日本経済新聞》に記されています。『早川紀行氏(はやかわ・のりゆき) 81年(昭56年) 城西大経卒。18年マキヤ取締役、21年専務。岐阜県出身。63歳(4月1日就任。川原崎康雄社長は代表権のある会長に)』。マキヤの代表取締役会長・川原﨑康雄、代表取締役社長・早川紀行、本社所在地(静岡県富士市大淵2373)に闇の解除・統合を意図して各々に光を降ろすと「半島。創価」「創価」「いいです」と伝えられました。
ワークの結果からマキヤのトップは、創価学会が胴元工作組織となる八咫烏鶴派に重きを置いた同和派の可能性を感じます。次に、㈱マキヤの大株主の情報を調べました。マキヤ公式サイトの《株式情報》に大株主名が記載されています。『【大株主】株式会社マキリ 4,343(千株) 43.5(%) マキヤ取引先持株会 703(千株) 7.1(%) 公益財団法人マキヤ奨学会 700(千株) 7.0(%) 株式会社静岡銀行 495(千株) 5.0(%) スルガ銀行株式会社 489(千株) 4.9(%) 矢部伸泰
128(千株) 1.3(%) 明治安田生命保険相互会社
114(千株) 1.1(%) 万葉倶楽部株式会社 103(千株) 1.0(%) 矢部利久 93(千株)
0.9(%) 矢部明子 73(千株) 0.7(%)』。
マキヤの株主では、「株式会社マキリ」が筆頭株主であり、創業家(矢部家)の人物が3人が大株主になっています。地元静岡県の地方銀行の静岡銀行、スルガ銀行も大株主です。「株式会社マキリ」の情報は、㈱マキヤのプレスリリース《非上場の親会社等の決算に関するお知らせ》に記載されています。『当社の非上場の親会社等(その他の関係会社)である株式会社マキリの2024年3月期決算が確定いたしましたので、下記のとおりお知らせいたします。
[親会社等の概要](1)親会社等の名称:株式会社マキリ (2)本店所在地:静岡県沼津市住吉町8番12号
(3)代表者の役職・氏名:代表取締役社長 矢部利久 (4)事業内容:資産管理事業 (5)資本金:100百万円 [大株主の状況] 矢部利久 静岡県沼津市 3,702(株) 19.9(%) 矢部正利 静岡県御殿場市 2,284(株) 12.3(%) 矢部伸泰
静岡県沼津市 2,108(株) 11.3(%) 矢部恵子 静岡県沼津市 1,300(株) 7.0(%) 矢部孝治 静岡県御殿場市 1,300(株) 7.0(%) 矢部秀真
静岡県沼津市 900(株) 4.8(%) 森岡博之 東京都北区 860(株)
4.6(%) 矢部正江 静岡県沼津市 710(株) 3.8(%) 矢部利憲 静岡県沼津市
710(株) 3.8(%) 矢部正憲 静岡県沼津市 710(株) 3.8(%)
[役員の状況(2024 年5月28日現在) ・代表取締役社長 矢部利久 (1961年11月18日生) 1989年3月 ㈱マキヤ入社。1988年6月
㈱マキリ取締役。2008年9月 ㈱マキリ代表取締役社長(現任)。2009年1月 ㈱マキヤ取締役 。2022 年6月
同社退社。 ・取締役 矢部正利 (1961年1月 23日生)1988年3月
㈱マキヤ入社(現任)。2004年5月 ㈱マキリ取締役(現任) 。2009年1月 ㈱マキヤ取締役 。2018年6月 同社取締役退任。・取締役 矢部伸泰 (1968年5月25日生) 1998年3月 ㈱マキヤ入社(現任)。2009年5月 ㈱マキリ取締役(現任)。・取締役 矢部孝治 (1965年5月5日生) 2022年5月 ㈱マキリ取締役(現任)。
・監査役 矢部恵子
(1958年2月21日生) 2006年5月 ㈱マキリ監査役(現任)』。「株式会社マキリ」は、㈱マキヤの創業家・矢部家の資産管理会社であることが窺えます。大株主には、矢部家の親族と思われる10人が占めています。株式会社マキリの代表取締役社長・矢部利久のプロフィール情報をネット検索しましたが、全く見つかりませんでした。株式会社マキリの代表取締役社長・矢部利久、本店所在地(静岡県沼津市住吉町8番12号)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「創価の隠密」「いいです」と伝えられました。創価の隠密とは、裏の創価工作員の役割だと推測します。
マキヤの創業家の矢部家は、意図的に裏に回ったと感じます。会長・社長の役職に創業家以外の人物を置いて、創業家が裏で、利権を支配する構図です。表と裏を使い分けていると感じます。㈱マキヤの創業家の矢部家のネット情報が見つからなかったので、「矢部氏」を調べるとwikiに情報がありました。『矢部氏(やべし)は、日本の氏族のひとつ。〈矢部氏(横山党)〉武蔵七党の一つである横山党の一族。現在の相模原市周辺を拠点(矢部城)としていた。和田合戦で宗家とともに討たれたが、1303年(乾元2年)に追善供養されている。〈因幡矢部氏〉因幡国八東郡(現在の鳥取県八頭郡)若桜鬼ヶ城を拠点とする国人領主の一族。
入江氏支流。伝承によれば矢部氏は元々、駿河国有度郡矢部村(現在の静岡市清水区)の地頭であったといい、正治2年(1200年)、梶原景時一族を討ち取った功績で矢部十郎暉種が因幡国八東郡山田村外20か村を与えられて入部した。〈駿河矢部氏〉室町時代には今川氏の被官となった。今川範政の死後は範忠支持に回ったが、次々代では小鹿範満を支持したため討伐された伝承が草薙の首塚稲荷神社に残る。その後、今川氏真の家臣・矢部定則が有度郡矢部村に定住して矢部を名乗るようになる。息子の定清の代より徳川氏に仕え、旗本となった。藤原氏良門流、堤中納言兼輔の後裔と称す。
子孫に矢部定謙がいる』。また、《静岡 源平の2大勢力の裏に存在したサンカの源流としての八巻一族 ~巡礼の旅(759)~》には、山木判官兼高を祖とする八巻一族が日本のサンカの源流となっていることを記載しています。概要は、『伊豆の国市の香山寺は源平の因縁がある禅寺。平氏の目代の山木判官・平兼隆が源頼朝の挙兵で襲撃され討たれた場所。平兼隆は、源氏の裏の松取り部隊長の源義経と通じていた平氏の松取り部隊長・平時忠の実質的家臣。平兼隆は平氏最初の落人で八巻の始祖。八巻一族は全国に散らばったサンカの源流の一族』。
「マキヤ」やマキヤの創業家・矢部家の資産管理会社の「マキリ」は、いずれも「マキ」が使われており、サンカの源流となる八巻(山木)に繋がっていると感じます。静岡県富士市に本社がある㈱マキヤの創業家である矢部家の先祖は、江戸時代に徳川家の配下の松工作の現場工作員だったと見ています。すなわち、支配層の創価のサンカとして働いていたのだと思います。サンカは、その地に住み着いて松利権を有する重たく汚い土着の闇となります。マキヤと創業家の矢部家が古くからの支配層のサンカの闇の役割を終えて、光に反転することを願っています。(おわり)