Furano_Vineyard


北海道美瑛町の開拓の歴史を調べると、初期の入植者には、キリスト教徒がいました。《清教徒が入植した米国マサチューセッツ州と繋がる北海道開拓》には、清教徒が入植した米国と同様に、北海道開拓においてもキリスト教の闇が中核を成すことが記されています。地球の闇の底流には、生贄、松取りの闇があります。その根源が宇宙人アヌンナキに関わる原始キリスト教なのです。キリスト教の分離と隠す闇によって人知れず裏で松取りを成してきた北海道開拓という暗闇が成されてきました。《美瑛の開拓の歴史、かつての生活》には、美瑛の開拓の情報が記されています。

 

1894(明治27) 入植者第一号として、 小林直三郎 (兵庫出身) 3人の雇人と ともに美瑛へ。 旭農場を創設。 1895(明治28) 小野担原野 1~4線に三沢藤助 (山形出身) が入植。 1896(明治29) 人田仲義太郎 (和歌山出身)らが美瑛原野 (現 市街地)に入植』。美瑛の地を開拓した小林直三郎 (兵庫出身) と三沢藤助 (山形出身) をワーク対象に選びました。小林直三のプロフィールは、《[美瑛町] 小林 直三郎》に記載されています。『明治初期、北海道には西洋型近代農法を実現しようとする野心家、米国のピルグリム・ファーザーズを北海道で実現しようとしたキリスト教徒がフロンティアの二大潮流をつくります。

 

これらの人々が同時期あらわれて拓いたのが美瑛でした。・・第一陣に入地したのが兵庫県人小林直三郎であった。彼は、この前年(明治27)915日、雇人3名を伴い、辺別原野に来たのである。従って彼は美瑛における入地第1号であり、草分け(狭義)となるが、しかも他の保護移民とはもとより、自由移民とも撰を異にし、初めからここに北米式大農場を建設せんとするいわば理想移住者とも言うべきものであったのである。すなわち彼は、明治23年頃、カナダおよびアメリカ合衆国に遊学して農牧業を研蹟した。帰朝後、この北米式農牧業を日本で試みた。

 

資本金6万円(当時の貨幣価値よりすれば、少くもこれを1500倍じて推算せよ)の合資会社を組織し、事業地として、本道を選定したのである。・・こうして美瑛の開拓が始まります。今、北海道の中でも内外のあこがれを誘う美瑛が、アメリカ式近代農業を実現すべく北米大陸から帰朝した小林直三郎と、キリスト教による理想郷の建設を夢見た小野怛、三沢藤助という理想主義開拓者によって拓かれたというのは感慨深いものがあります』。《美瑛伝道所–日本キリスト教会 北海道中会》には、三沢藤助について書かれています。

 

18953月、日本基督教会旭川講義所小野担伝道師によって伝道開始。ピアソン宣教師と信徒三沢藤助の協力により、19033月講義所建物を新築して美瑛伝道所が開設された(「美瑛村史」の記録。中会記録初記載は1914年「各教会伝道教会教情報告」中の「美瑛講義所」として。1919年中会加入伝道所になる)』。北海道開拓は、アイヌ民族などの開拓の労働者を犠牲にした松取り工作が成されていました。キリスト教の奥義は、人知れず多くの松を採取することです。美瑛町の開拓者の小林直三郎 (兵庫出身) 三沢藤助 (山形出身) の御魂が上がるよう意図して各々に光を降ろしました。

 

「トカゲ。工作員」「サンカ」と伝えられました。2人の開拓者は、大きな光のある美瑛の地を暗闇にする工作員の役割だったと思います。ピアソン宣教師、ピアソン夫妻については、《北見市の裏拠点となるピアソン記念館と日本初の缶詰工場が設立された石狩市の松運搬拠点の石狩湾新港》にも記されています。北海道開拓において、キリスト教宣教師としてのピアソン夫妻は、裏の松工作を成す重要な闇の役割を担っていました。北海道開拓の裏で松取りが行われることで、光だった精霊が闇に変えられ、美瑛の地が光から闇の地に変えられたのです。

 

目に見えない光の粒子である精霊が闇に変わると魔物の使いに成ります。支配層の人間たちの大きなエゴと同調して闇の仕事をするようになるのです。その終着点が現在の観光による金・エゴ・松の闇で汚れた美瑛の地に成ります。重たく汚くなった美瑛の地を本来の姿に戻していくためには、支配層の工作拠点と山・川などの自然の場所に、祈りを通じて光を降ろすことが重要になります。美瑛町に関係する9つの山と3つの川に光を降ろしていきました。忠別岳(標高1,963m)、トムラウシ山(標高2,141m)、オプタテシケ山(標高2,013m)、美瑛富士(標高1,888m)、美瑛岳(標高2,052m)に闇の解除・統合を意図して順に光を降ろしました。

 

いずれも「いいです」と伝えられました。十勝岳(標高2,077m)、上ホロカメットク山(標高1,920m)、富良野岳(標高1,912m)、旭岳(標高2,291m・北海道最高峰)に闇の解除・統合を意図して順番に光を降ろすと、全て「いいです」と伝えられました。山のワークの最後に、北の旭岳から南の富良野岳までの地下のエネルギーが流れるよう意図して光を降ろすと「いいです」と伝えられました。次に、美瑛町を流れる河川に移りました。山も川も地下・地底があることが分かっています。山や川の地上表面だけではなく、地下・地底を意図して光を降ろすとことが重要です。

 

忠別川(ちゅうべつがわ:水源・忠別岳/石狩川(旭川市)に合流する石狩川水系の支流)辺別川(べべつがわ:水源・三川台(上川郡美瑛町)/石狩川水系の一級河川で美瑛川最大の支流)美瑛川(水源・ツリガネ山(美瑛町)/忠別川(旭川市)に合流する石狩川の支流)に闇の解除・統合を意図して順に光を降ろすと、いずれも「いいです」と伝えられました。ここで、グーグルマップを観ていた伴侶が「糠平湖(ぬかびらこ)が気になる」と話してきました。昔、訪れたことがある湖だと言います。北海道上士幌町にある糠平湖が開くよう意図して光を降ろしました。

 

「龍ちゃんが出た」と伝えてきました。封印されていた龍が解放されました。マグマの光の火のエネルギーが解放される構造線や断層も光を降ろす対象になります。美瑛町の周辺の断層を調べると《財界さっぽろ》の地図に「富良野断層帯」が載っていました。富良野断層帯は、富良野盆地の西縁及び東縁に位置する活断層帯です。美瑛・富良野・占冠という観光名所の闇のラインは、この富良野断層帯の光を封じる役割になっていたとも感じます。富良野断層帯が開かれるよう意図して光を降ろすと「いいです」と伝えられました。

 

観光名所としてエゴ・金の闇で覆われている地は、火山や断層がある場所であり、精霊が闇に変わって深い闇になっていると感じます。北海道の観光名所で外国人が大勢押し寄せて物価が上昇しているニセコも火山や断層が存在する場所です。本来、光の火が置かれた場所を開いていく必要があります。北海道美瑛町は、本来、大きな自然の光がある場所です。支配層によって意図的に観光名所にされ深いエゴの闇の地に変えられました。支配層の闇の仕組が終焉となり、美瑛の地が本来の光を取戻すことを願っています。(おわり)