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スマートコミュニティ稲毛の運営会社・㈱スマートコミュニティの実質的なオーナーである「宮本雅史(みやもとまさふみ)」について追跡していきました。宮本雅史は、ファイナルファンタジーを世に出したゲーム会社の㈱スクウェアの創業者・初代社長です。宮本雅史は、四国の徳島県出身であり、徳島の名門ゴルフクラブのサンピアゴルフクラブの経営会社のサンピアや四国銀行と関係しています。《はる坊の雑記》には、四国における宮本雅史の有用情報が記載されています。『宮本雅史さんは徳島県徳島市のご出身です。

 

宮本家が運営する、徳島では名門と位置づけられているサンピアゴルフクラブも徳島市内にあります。それなのに。徳島県の指定金融機関である阿波銀行とは関係なく、高知県に本店を置く四国銀行との関わりが強いです。これはなぜか。一説には宮本國一さんと阿波銀行との間にトラブルがあり、その最中に独島に進出をはかっていた四国銀行が、宮本さんに食い込んで、宮本家のメインバンクになったという話があります。また、現在サンピアゴルフクラブの代表を務めておられる宮本家の方が四国銀行OBだと言うことも関係していると思います。

 

四国銀行からは当初、スクエア株式上場準備のために社長室長として、そしてのちに社長、会長を務めた武市智行さんをはじめ、経営の一翼を担った幹部も何名も在籍しています。開発力に定評あったスクエアでしたが。銀行出身の幹部があって発展を遂げたとも言えるのではないでしょうか。株式上場のため、四国銀行から1990年に武市智行さんを社長室長に迎えていた199112月。宮本さんはスクウェア社長職を水野哲夫さんに譲ります。理由は「35歳になったら違う事業やりたい」と思っていたからでした。

 

宮本さんは会長職に就くこともなく、過半数の株式を持つオーナーとしてスクウェアの経営を見守ります。宮本雅史さんは1988年に設立していた自身の会社、株式会社エスシステムの経営を本格化させて、19953月から女性ブランド、ファイナルステージを展開。森ビルが手掛けたショッピングモールのビーナスフォートにアイディアを提供するなど、アパレル業界で活躍します。その一方で一年の半分をアメリカで過ごし、名詞に"Fisherman"と刷り込むなど事業家と投資家のバランスを取りながら、スクウェア社長以降の人生を歩みます』。

 

宮本雅史が深く絡んでいるサンピアゴルフクラブの運営会社の「()サンピア」と「四国銀行」に着目しました。《みずほゴルフ》には、サンピアゴルフクラブの情報が記されています。『ゴルフ場名:サンピアゴルフクラブ 経営会社:()サンピア ゴルフ場所在地:徳島県 徳島市入田町安都真215-1 設計者:宮本国一/三浦一美 開場年月日:1990/10/16』。《三和プランニング㈱》によると、()サンピアの代表者は、宮本国一となっています。宮本国一は、宮本雅史の父親です。宮本雅史-wikiによると、『宮本雅史が実家に戻ってから、父(宮本国一)が経営する電気工事会社・電友社のソフトウェア制作部門を横浜市に開設。

 

自ら統括していたが19869月、電友社からソフト部門を買い取る形でスクウェアを設立』と記されています。()サンピアの代表者の宮本国一、設計者の三浦一美所在地(徳島県 徳島市入田町安都真215-1)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「創価」「創価」「いいです」と伝えられました。父親の宮本国一は、支配層・八咫烏の胴元工作組織・創価学会の工作員の役割だったようです。《YELLOWPAGE》には、()サンピアの役員名を含めた会社情報が掲載されていました。『株式会社サンピア リゾート施設(ゴルフ場・スキー場) 株式会社サンピアはゴルフ場「サンピアゴルフクラブ」の運営を行う。

 

オープンコンペを開催し、施設内のクラブハウスを運営する。代表者名:宮本雅史 役員:宮本雅史(代表取締役)/宮本健吉(代表取締役) 中岡邦憲(代表取締役)/宮本浩志(取締役)』。()サンピアの代表者は、父親の宮本国一から息子の宮本雅史に代替わりしているようです。また、()サンピアの代表取締役の中岡邦憲は、㈱スマートコミュニティの代表取締役副社長でもあります。㈱サンピアは、役員4人中、代表取締役の宮本雅史はじめ、宮本健吉(代表取締役)、宮本浩志(取締役)3人が「宮本」姓であり、宮本一族の企業であることが頷けます。

 

宮本健吉は、ネット情報では宮本雅史の伯父の可能性があるといいます。㈱サンピアの代表取締役・宮本健吉に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「創価」と伝えられました。やはり創価の工作員の役割のようです。YELLOWPAGEの検索から、宮本雅史が代表者になっている企業に「美土利建設工業株式会社」がありました。《YELLOWPAGE》には、美土利建設工業㈱の会社情報が掲載されています。『美土利建設工業株式会社はコンクリート建築物の建築工事を行う。1947年の設立。本社は徳島県徳島市。所在地:徳島県徳島市下助任町1丁目4 

 

上場区分:非上場 資本金:2,000万円 設立:19471028日 代表者名:宮本雅史 役員:宮本雅史(代表取締役)/上田美治(取締役) 上田尚彦(取締役)/上田三都子(監査役)』。ゲーム会社のスクウェアの創業者で、老人施設兼シニア向け分譲マンションの運営会社の会長に就任する宮本雅史が建設会社の社長になっているのは、不自然に感じます。しかし、全ては、裏の松利権で繋がっているのです。ゼネコンを含めた建設会社は、古くから支配層の松利権の現場工作の役割を担っていることが分かっています。

 

詳細は、《福井県若狭湾沿岸の原発銀座の原発建設という松利権工作で拡大し準大手ゼネコンとなった「熊谷組」》等の記事にあります。美土利建設工業株式会社は、コンクリート建築物の建築工事を行う建設会社です。「コンクリート」が、もう1つの松利権の闇が潜んでいます。《反社が絡む生コン利権からコンクリートに混和剤としての添加の可能性が浮かぶ松取り後の遺体廃棄物》にありますが、反社や同和が絡む生コン利権の裏には、コンクリートの混和剤も含めた松利権があります。それ故に、建設会社は松利権の闇が深くなるのです。

 

美土利建設工業()の公式サイトには、「沿革」が記されています。『美土利建設工業()は、初代阿部良隆が、1947(昭和22)()阿部組として創業、1950(昭和25)に徳島高等工業学校土木工学科卒業生9名が集まり美土利建設工業()に改称、現在に至っております。技術屋としてのレパートリーは、戦前~戦中を通し、ダム・水力発電建設、タンク設備、地下鉄、下水道、橋梁の建設と様々で、那賀奥の電源開発、樋門や河川築堤、道路建設工事に実力を発揮したと聞いております』。

 

終戦直後に設立された()阿部組は、建設業の裏の松利権が絡む松工作員のサンカの役割を担ってきたと感じます。美土利建設工業()の取締役・上田美治をネットで調べると、公益財団法人 徳島の盲導犬を育てる会の理事長と分かりました。《公益財団法人 徳島の盲導犬を育てる会》に掲載された徳島新聞記事に載っており、同和の役割だと感じます。美土利建設工業()の取締役・上田美治に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「創価」と伝えられました。やはり、創価の同和工作員の役割だと見ています。(つづく)