Nakanoshima_Skyscrapers_in_201504_001


マツダの事実上の創業者・松田重次郎は、日窒コンツェルン総帥の野口遵と親交があり、倒産危機の際に融資を受けていました。wikiには、『1923(大正12)に発生した関東大震災によって多くの売掛金が回収不能となって経営は大きな打撃を受けた。かねてから松田重次郎と親交のあった日窒コンツェルン総帥の野口遵からの融資で倒産を回避した・・資金面では野口が保証人となり、芸備銀行から資金を調達した・・前述の債務保証を発端に、日本窒素肥料(現・チッソ)の経営参加が開始され、1931(昭和6)には野口自身も取締役に就任した』と記されています。

 

マツダの事実上の創業者・松田重次郎と日窒コンツェルン総帥の野口遵は、支配層の松利権で繋がっていたと見ています。支配層の表の企業やビジネスは裏の金儲けである松利権のカモフラージュと言えます。日窒コンツェルン総帥の野口遵が創業した「チッソ」を追跡しました。チッソの情報はwikiに記載されています。『チッソ株式会社は、明治後期に創業し、第二次世界大戦をはさみ発展した日本の化学工業メーカー。熊本県水俣市を中心として八代海沿岸地域で発生した水俣病の原因を作った。

 

2011331日をもって事業部門を中核子会社のJNC株式会社に移管し、水俣病の補償業務を専業とした事業持株会社となっている。登記上の本店を大阪市北区中之島に、本社を東京都千代田区大手町に置く。旭化成、積水化学工業、積水ハウス、信越化学工業、センコーグループホールディングス、日本ガスなどの母体企業でもある。主な子会社・関連会社として、JNCJNC石油化学(旧:チッソ石油化学)(事業所:千葉県市原市)、九州化学工業(工場:福岡県北九州市)JNCファイバーズ(旧:チッソポリプロ繊維・事業所:滋賀県守山市)や、ポリプロピレン事業合弁会社の日本ポリプロなどがある。

 

また、日本国内の合弁相手に吉野石膏や同社と同根である旭化成がある。事業内容:持株会社として事業会社であるJNC株式会社の管理・監督。[有していた事業部門]液晶事業において、ドイツのメルク社と並び世界のトップシェアを誇り事業の柱としていた。バイオテクノロジー・電子部品部門も展開する一方、旧来からの肥料事業・農事産業部門も継続していた。石油化学部門では、三菱化学の石化セグメント子会社、日本ポリケムとのポリプロ事業統合などで、事業のさらなる展開を図っていた。

 

[沿革]・1906-下谷銀行支配人・千沢平三郎の出資により曾木電気株式会社設立。資本金20万円。社長は野口遵。鹿児島県伊佐郡。・1907-日本カーバイド商会設立。・1908-曾木電気株式会社と日本カーバイド商会が合併し、商号を日本窒素肥料株式会社に変更。・1923-延岡工場完成。・1927-朝鮮窒素肥料株式会社設立。・1931-延岡アンモニア絹絲株式会社設立。社長は野口遵。本店は大阪市北区宗是町。・1950112日、日本窒素肥料株式会社は、企業再建整備法に基づき、新日本窒素肥料株式会社(新日窒)として再発足(資本金4億円)。本社は東京都千代田区。

 

1956-日窒アセテート株式会社設立。水俣病患者の公式確認。・1958年日窒電子化学株式会社設立。新日本窒素肥料社長に吉岡喜一が就任。・1960-九州化学工業株式会社設立。・196189-水俣工場でタンクが爆発する事故。死者・行方不明者12人。・1962-チッソ石油化学株式会社設立。・196511-商号をチッソ株式会社に変更。・1970-水島工場竣工。・2011112-製造販売等の事業分割先としてJNC株式会社を設立』。現在のチッソは、従来の事業部門を子会社のJNC㈱に移管して、水俣病の補償業務を専業とした事業持株会社となっています。

 

JNC㈱は、毎年度、約80億円の配当金を株主のチッソに支払っています。チッソは、この配当金を原資として水俣病関連の補償と公的借入金の返済を行っています。チッソの創業者は、野口遵(のぐちしたがう)です。経歴はwikiに記されています。『野口遵(1873-1944)は、石川県金沢市出身の実業家。日本窒素肥料(現・チッソ)を中核とする日窒コンツェルンを一代で築いた。「電気化学工業の父」や「朝鮮半島の事業王」などと称された。チッソの他にも、旭化成、積水化学工業、積水ハウス、信越化学工業の実質的な創業者でもある。

 

朝鮮半島進出後の野口遵は政商であった。朝鮮総督府の手厚い庇護の下、鴨緑江水系に赴戦江発電所など大規模な水力発電所をいくつも建設し、咸鏡南道興南(現・咸興市の一部)に巨大なコンビナートを造成した。さらに、日本軍の進出とともに満州、海南島にまで進出した。森矗昶、鮎川義介らと共に当時「財界新人三羽烏」として並び称されていた』。これまでの調査とワークから野口遵が手掛けてきた、朝鮮半島を含めた、電気・ダム・窒素肥料・アンモニアなどの事業の裏には、支配層の松利権の闇が潜んでいることが分かっています。野口遵は、日本軍とも手を組んでいた様子が窺えます。

 

野口遵は、「財界新人三羽烏」と称された森矗昶(もりのぶてる)、鮎川義介(あゆかわよしすけ)と共に大きな松利権を有していたと見ています。野口遵-wikiには、『1944 115日 療養先の静岡県韮山町の別邸にて病没。享年数え72歳』と記されており、驚きました。私の故郷の静岡県韮山町で死去していたことは、私と縁があると感じます。野口遵については、《水を封じる隠された闇が水俣病を引き起こした野口遵・創業のチッソ》のワークで「ロスチャ」と伝えられていました。野口遵は、支配層の八咫烏鶴派・中国・ロスチャイルド勢力の工作員の役割だったようです。

 

ワーク済ですが、再度、野口遵の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「工作員」と伝えられました。チッソの源流である日本窒素肥料㈱の前身の1社の曾木電気株式会社設立時の出資者だった千沢平三郎(1869-没年不詳・下谷銀行支配人)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「アーク」と伝えられました。また、水俣病の原因を作った新日本窒素肥料のトップとして刑事訴追を受けて有罪が確定した新日本窒素肥料元社長・吉岡喜一(1901-1989)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「工作員」と伝えられました。

 

チッソ㈱の代表取締役社長は、山田敬三です。経歴は、《日本経済新聞》によると、『山田敬三氏(やまだ・けいぞう) 84(59)九州工業大院修了、チッソ入社。18JNC取締役常務執行役員、19年社長。福岡県出身。65歳』と記されています。チッソ㈱の代表取締役社長は・山田敬三本社所在地(東京都千代田区大手町2丁目2-1 新大手町ビルヂング)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「八咫烏」「いいです」と伝えられました。チッソの現社長は、八咫烏の工作員の役割を担っているようです。(つづく)