Shirakawa_Spring_2023


1956
51日に最初の公式認定がされた水俣病の舞台となる、熊本県水俣市の支配層の要人の調査とワークを行いました。水俣市の情報はwikiに記載されています。『水俣市は、熊本県最南部に位置する市である。西は不知火海に面して天草の島々を望み、もともと海の幸、山の幸に恵まれた風光明媚な土地である。重く長い公害の歴史を経て、2017年現在では環境都市づくりを推進している。1949(昭和24)市制施行。[地理]熊本県の最南部、熊本市から南西に約70kmの場所に位置する。南は鹿児島県に接し、西は不知火海(八代海)に面するリアス式海岸である。

 

中心部はJNC(チッソの子会社)とその関連工場などが多く立地し工業都市のイメージがあるが、北・東・南の三方を山に囲まれ緑の多い土地である。人口は水俣病発生後しばらくしてから減少傾向が続いており、2000年代前半に 3万人を割り込んでいる。水俣川支流の久木野川上流久木野地区は97%が森に覆われた水の美しい地域で、農林水産省の日本の棚田百選に選ばれた寒川地区の棚田もある。また、大学山の照葉樹林は環境省のかおり風景100選に選ばれており、明治時代より林業に力をいれ、スギ、ヒノキの植林を行っている。1996年から市民参加により、大学山の緑を倍増すべく「水源の森」において植樹、下刈りを行っている。

 

水源の森は、全ての市民参加で植えた森としては全国有数規模であり、水俣病患者、漁師、住民参加も得て、不知火海の再生の一端を担っている』。wikiには、現・チッソ水俣工場に天皇が巡幸した歴史が記述されています。『1931(昭和6)1116-昭和天皇が日本窒素水俣工場を視察』『1949(昭和24)530-昭和天皇が水俣市日本窒素を巡幸(昭和天皇の戦後巡幸)』。これまでの調査とワークから、天皇の視察や巡幸(行幸)は、天皇がその地で松果体摂取を成していることを意味すると理解しています。裏を返せば、それだけ水俣の地が大事な光の地であるということです。

 

個人的な水俣市の歴史についての関心の1つは、水俣病が公式認定された当時の水俣市長や熊本県知事がどういう人物だったのか、です。水俣市-wiki歴代市長を調べてみると、水俣病発覚(19565)当時の水俣市長(初代市長)は、橋本彦七で、元チッソ水俣工場長でした。水俣病が支配層の大規模工作と仮定すると、当時の市長が元チッソ水俣工場長という従業員であれば、抜け目なく工作を成し遂げられると頷けます。元水俣市長(初代市長)の橋本彦七(はしもとひこしち)の経歴はwikiに記されています。『橋本彦七(1897-1972)は、北海道札幌市出身の政治家、技術者。熊本県水俣市長(4)

 

日本窒素肥料株式会社(現・チッソ)水俣工場勤務時代、水銀触媒を用いたアセトアルデヒドと酢酸の合成法を発明。1938(昭和6)から1946(昭和21)まで水俣工場長を務めた。[来歴]現在の北海道札幌市に南部家の四男として生まれる。旧制札幌第一中学校卒業後、1916(大正5)、東京市日本橋在住の橋本家の養子となる。1919(大正8)、東京高等工業学校電気化学科(現・東京工業大学)卒業。同年、日本窒素肥料(現・チッソ)に入社。・・1971(昭和46)、水俣市名誉市民を受章。市長在任中の1953(昭和28)に水俣市立病院(現・国保水俣市立総合医療センター)を開設した。

 

1965(昭和40)には水俣病患者の機能訓練を目的とした同病院附属湯之児病院(リハビリテーションセンター、現在は国保水俣市立総合医療センターに統合)を開設するなど、地域医療の充実にもつとめた』。橋本彦七が生まれた南部家は、南部藩に繋がる八咫烏亀派に通じる家系だと感じます。晩年には、支配層の松工作拠点となる医療施設の拡充に注力しました。水俣病発覚(19565)当時の水俣市長(初代市長)橋本彦七の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「八咫烏」と伝えられました。やはり、真実を隠して暗闇にする八咫烏工作員の役割のようでした。

 

熊本県知事一覧-wikiから、水俣病発覚(19565)当時の熊本県知事は、桜井三郎(さくらいさぶろう)と分かりました。経歴は、wikiによると、『桜井三郎(1899-1960)は、新潟県現燕市出身の政治家、内務官僚。熊本県知事、参議院議員(1)。位階は正三位。医学者、参議院議員の高桑栄松は弟。[来歴・人物]新潟県西蒲原郡地蔵堂町(現燕市)10人兄弟の長兄として生まれる。旧制新潟県立巻中学校、旧制第四高等学校を経て、1926年に京都帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し、島根県書記官・警察部長、警視庁部長・消防部長、徳島、福岡両県の内政部長などを歴任。

 

戦中は熊本県で官選知事を務め、1947年の熊本県知事選挙に出馬。細川隆元らを退けて当選した』。水俣病発覚(19565)当時の熊本県知事・桜井三郎の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「八咫烏」と伝えられました。水俣病が公式認定された当時の熊本県知事も八咫烏工作員の役割でした。八咫烏の役割からも純粋な意味で真実を隠して暗闇にする仕事を成していたと感じます。現・水俣市長は、高岡利治です。経歴はwikiに記されています。『高岡利治(1958-)は、熊本県菊池市出身の政治家。熊本県水俣市長(2)、元水俣市議会議員(3)。[来歴]鎮西高等学校卒業。

 

2017(平成29)1218日、チッソの事業子会社JNCの労組水俣支部で記者会見し、任期満了に伴う水俣市長選挙に立候補する意向を表明。2018(平成30)115日、市議を辞職。同年24日に行われた市長選に、JNC労組の全面支援を受けて立候補。除名処分を受けていたことから自民党水俣市支部は自主投票としたが、市議6人が高岡を支援した。現職の西田弘志との一騎打ちを制し初当選を果たした。222日、第19代水俣市長就任。2022(令和4)26日に行われた市長選挙で再選』。現・水俣市長も、チッソの子会社のJNC労組の支援を受けて当選しています。水俣市長は、チッソやJNCと強く繋がっていることが分かります。

 

水俣市の現・市長の高岡利治市役所所在地(熊本県水俣市陣内1丁目1-1)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「創価」「いいです」と伝えられました。現・水俣市長は、八咫烏鶴派の胴元工作組織・創価学会の工作員の役割のようです。水俣市の支配層の要人として市長の他に、市議会議長・一般社団法人みなまた観光物産協会代表理事・商工会議所会頭をピックアップしました。水俣市議会議長の岩村龍男(4期・自由民主党)、水俣商工会議所会頭の深水康之(旭印刷()代表)、一般社団法人みなまた観光物産協会 代表理事の福田豊樹(株式会社福田農場)に闇の解除・統合を意図して各々に光を降ろすと「反社」「半島」「半島」と伝えられました。

 

2025524日のNEWS WEBの記事《トライの教材「水俣病は遺伝」患者団体などの訂正要求受け陳謝》は、非常に不可解だと思いました。『4大公害病の1つの水俣病について「家庭教師のトライ」を運営する会社のオンライン教材のなかに、「この病気が恐ろしいのは、遺伝してしまうこと」などと事実と異なる記述があったとして水俣病の患者などでつくる団体などが会社側に訂正を求めていたことがわかりました。会社側は、ホームページで「不正確な表現になった」などとして陳謝するとともに、該当する部分を削除したと発表しました』。教育に携わる企業として一般常識的な水俣病についての誤情報は発信しないと感じます。

 

これは、水俣病が工作であることをほのめかすものと捉えています。どうして熊本県水俣市の地で、水俣病という支配層の大規模工作が成されたのかを思案すると、「もしかすると断層が走っているのかもしれない」と直感しました。調べてみると《熊本県の地震活動の特徴 | 地震本部》に断層の情報がありました。《日奈久断層帯の詳細地図》から熊本県水俣市は、日奈久断層帯など八代海を中心に、多くの断層が走っている重要な場所だと分かりました。水俣湾を含む八代海には無数の断層があります。断層(構造線)は、マグマの光のエネルギー(光の火の精霊)が放出される場所です。

 

精霊は目に見えない光の粒子ですが、松取り工作などで闇に反転します。白だった精霊が黒に変わるのです。水俣病は、魚や妊婦(胎児)も関係しており、水俣湾(八代海)を含め、水俣の地が闇に変えられてきたと見ています。八代海や有明海に現れるという怪火の一種の不知火(しらぬい)は、断層から出て来る火の精霊だと感じます。八代海の無数の断層が開かれてマグマの光が解放するよう意図して光を降ろしました。《熊本県の隧道型遺構トンカラリンと繋がるエジプトのピラミッド》にありますが、熊本県の地は、大きな光の地でしたが、深い闇の地に変えられてきました。

 

古くから渡来人の和邇氏などの支配層により、熊襲(くまそ)などの先住民の松取りが行われてきており、光の精霊が闇に反転されて深い闇の地に変えられてきたのです。《熊本 阿蘇山 ~巡礼の旅(23)~》には、2014年に阿蘇山や白川水源などを訪れてエネルギーワークを行った旅紀行を記しています。白川水源は、阿蘇山の南麓にある、とても美味しい水が湧く水源地です。支配層の工作の仕組が終焉して、水俣の地に隠された真実が明らかになり、水俣市を含む熊本県の地が本来の光の姿を取戻すことを願っています。(おわり)