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ブログ記事《清和源氏多田満仲同族会》のブログ主は、現奈良県高取町議会の新澤良文議員です。新澤良文は、元山口組系暴力団の組員から町議会議員になった比較的有名な人です。2021/03/26PRESIDENT Onlineの記事《「携帯は禁止、銀行口座もダメ」行き場のない元ヤクザは、犯罪者になるしかない 離脱から20年が経っても「元ヤクザ」》 には、新澤良文の経歴情報が記述されています。『2019年、永田町を騒がせた内閣総理大臣主催の「桜を見る会」の招待客問題──「反社を招待していた」とマスコミが取り上げました。

 

──で話題になった一人で、暴力団を離脱して郷里に戻り一から信用を積み上げ、奈良県高取町議になった新澤良文氏のケースは、我が国の不寛容性を如実に表しています。「反社というラベル」を一度貼られたら、反省し、カタギで頑張ろうが、そのことを忘れさせてくれない日本社会の厳しさを再確認する代表例と思います。この問題は、「FRIDAY2019126日号(1122日発売)にて、「安倍晋三総理主催「桜を見る会」元山口組組員まで招待されていた」という見出しの記事で掲載されました。掲載後の124日、新澤議員から筆者に届いたメッセンジャーには、やるせなさが滲んでいます。

 

「今度は文春が来ました。日陰者が表舞台で滅私奉公することの難しさを実感しました」。離脱から20年以上の歳月が経っているのに…平成9年頃に山健組の枝組織である臥龍会からきれいさっぱり足を洗って以来、郷里で頑張ってきた町議が、令和に改元する年の「桜を見る会」に参加したばかりに、「反社会的人物を招待していた」とマスコミ各社が大騒ぎするのが、日本社会の悲しい現実です。新澤議員は、各自治体の暴排条例が定める「元暴5年条項」の縛りを十二分にクリアしており、もはや反社ではありません。このタイミングで記事になる理由が筆者には理解できませんでした。

 

この記事に対して、新澤議員の地元の有権者は、「Ⅹちゃん(=新澤議員 筆者注)のことを、過去も含めて知らん町民はおらんのです。元ヤクザっていうのも誰でも知っとる。それでもⅩちゃんが町議になれたんは、人徳があってこそ」と記者に語っています(NEWSポストセブン2019123)。ちなみに、前回、前々回と、選挙ではトップ当選しているそうです。筆者が見るところ、これは政治的な意図に基づいた、公職に就いている暴力団離脱者への糾弾であり、反社への不寛容な世論を味方に政権叩きに利用した事例であるといえます。新澤町議は当時52歳、30歳の頃に離脱したと言いますから、20年以上の歳月が経っています。

 

反社という負のラベルは、いつになったら剝がしてもらえるのでしょうか』。新澤良文議員は、安倍晋三元総理の主催「桜を見る会」で注目されたようです。「桜を見る会」は、支配層・八咫烏亀派のリーダー的存在の安倍晋三元総理が松利権の現場作業を担う反社工作員を労い、箔付けするための催しだと理解しています。新澤良文議員が所属していた山健組(やまけんぐみ)は、兵庫県神戸市中央区に本部を置いていた暴力団で、特定抗争指定暴力団の六代目山口組の二次団体です。ブログ記事《清和源氏多田満仲同族会》に掲載の画像に映っていた2人をワーク対象に選びました。

 

新澤良文(元山健組の臥龍会員・現奈良県高取町議会議員)、清和源氏多田満仲同族会 副会長(氏名不詳・新しい歴史教科書つくる会東京支部幹事)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「半島工作員。反社」「半島。乗っ取り」と伝えられました。やはり裏世界に通じる半島工作員の役割のようです。「清和源氏同族会」の始祖は、多田源氏の始祖・源(多田)満仲(みなもとのみつなか)です。経歴はwikiに記載されています。『源満仲は、平安時代中期の武将。清和源氏、六孫王経基の嫡男。多田源氏の祖で、多田満仲とも呼ばれる。諱は満中とも記される。神号は多田大権現。

 

[生涯]当初は都で活動する武官貴族であった。天徳4(960)平将門の子が入京したとの噂があり、検非違使や大蔵春実らと共にこの捜索を命じられた武士の一人として現れたのが史料上の初見である。武蔵権守の任期を終えていた応和元年(961)に満仲の邸宅が強盗に襲撃される事件が起こり、自ら強盗の一味であった倉橋弘重を捕らえた。弘重の供述によれば醍醐天皇の皇孫親繁王と清和天皇の皇孫源蕃基がそれぞれ主犯と共犯であったという。左馬助在任時の康保2(965)に、多公高・播磨貞理らと共に村上天皇の鷹飼に任ぜられる。

 

4(967)に村上天皇が崩御すると、藤原千晴と共に伊勢国に派遣される固関使に命ぜられるが、離京することを嫌った双方が辞退を申し出たが、満仲のみ病による辞退を許された』。多田源氏の始祖・源(多田)満仲の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「ちょっと頭がなかった。真っすぐ過ぎた」と伝えられました。次に、「新しい歴史教科書をつくる会」について追跡しました。「新しい歴史教科書をつくる会」の情報はwikiに記されています。『一般社団法人新しい歴史教科書をつくる会は、1997年に結成された日本の社会運動団体。2013年に一般社団法人に登録。

 

従来の歴史教科書が「自虐史観」の影響を強く受けているとして、「大東亜戦争肯定史観」にも「東京裁判史観」ないし「コミンテルン史観」にも与しない立場(「自由主義史観」と称する)から、戦後の歴史観を否定する新たな歴史教科書をつくる運動を進めるとしている。[概要]〈発足〉湾岸戦争以前までは日本共産党員であった藤岡信勝は、冷戦終結後の新しい日本近代史観確立の必要性を感じ、保守論客に転身。自身の歴史検証法を「自由主義史観」と名付けた。1996115日、藤岡が代表を務める「自由主義史観研究会」は、産経新聞のオピニオン面に「教科書が教えない歴史」の連載をスタート。

 

同年627日、文部省は翌年度用中学校社会科教科書の検定結果を公表。従軍慰安婦について記述した7冊すべてが合格した。翌28日から、「従軍」慰安婦や南京大虐殺などを教科書に載せるのは「反日的・自虐的・暗黒的」だとして、削除を求める抗議活動が行われた。810日、藤岡は、自由主義史観研究会との共著名義で、「教科書が教えない歴史」(発行:産経新聞ニュースサービス、発売:扶桑社)を出版した。同月、小林よしのりは「SAPIO」連載の「新・ゴーマニズム宣言」で、元従軍慰安婦の証言やメディアの報道内容に疑問を提起した。

 

97日、「日本を守る国民会議」は現行の教科書を攻撃するキャンペーンを開始し、教科書会社の社長名・住所・電話・FAXを公開した。同年122日、藤岡、西尾幹二、小林らは「新しい歴史教科書をつくる会」(略称:つくる会)の結成記者会見を赤坂東急ホテルで開催。西尾は「この度、検定を通過した7社の中学教科書は、証拠不十分のまま従軍慰安婦の強制連行説をいっせいに採用した。安易な自己悪逆史観のたどりついた一つの帰結だ」との声明を発表した。声明文には藤岡、西尾、小林、坂本多加雄、高橋史朗、深田祐介、山本夏彦、阿川佐和子、林真理子の計9人が呼びかけ人として名を連ねた。会見時の賛同者は78人であった』。

 

「新しい歴史教科書をつくる会」の設立者は、西尾幹二、藤岡信勝、小林よしのりなどですが、この3人をワーク対象に選びました。西尾幹二の経歴はwikiによると、『西尾幹二(にしお かんじ・1935-2024)は、東京府(現・東京都)出身のドイツ文学者、評論家。ニーチェの研究で知られる。学位は文学博士(東京大学)。電気通信大学名誉教授。新しい歴史教科書をつくる会名誉会長』と記されています。「新しい歴史教科書をつくる会」の設立者の西尾幹二の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「ガス抜き。創価」と伝えられました。(つづく)