
2025年8月17日(日)、大分県の日出生台(ひじゅうだい)演習場で訓練中だった陸上自衛隊員2人が死亡した事故の報道が流れました。死因は落雷による感電死だったといいます。8月20日の時事通信の記事《死亡の陸自2隊員、落雷で感電 訓練中、事故調設置―大分》では、事故の詳細が伝えられています。『大分県の日出生台演習場で訓練中だった陸上自衛隊員2人が死亡した事故で、陸自玖珠駐屯地は20日、司法解剖の結果、落雷による感電死だったと発表した。大分地方気象台によると、事故のあった17日、県内全域では早朝から夜まで雷注意報が発令されていた。
陸自は18日、事故調査委員会を設置し、安全管理に不備がなかったかなど詳しい状況を調べる。同駐屯地によると、死亡したのはいずれも西部方面戦車隊所属の3等陸曹で、谷津剣斗さん(25)と久保田愛悠さん(21)。2人の死亡推定時刻は17日午後3時ごろだった。部隊は同1時ごろから敵に見つからないように近づく「潜入訓練」を行っており、2人は「敵役」として銃や弾薬などの武器を持たずにペアで行動していた。無線に応答がなかったため捜索したところ、18日午前0時すぎに演習場内で心肺停止の状態で倒れている2人を発見。まもなく死亡が確認されたという。
同駐屯地の中村元彦司令は「訓練中の隊員が亡くなったことは痛恨の極み。再発防止のため、原因究明とともに安全確保に万全を期す」とコメントした』。大分県・日出生台演習場事故は、2025年8月17日(日)に起きています。翌日の8月18日(月)には、2人の消防士が犠牲になった「大阪道頓堀雑居ビル火災」が発生していました。大阪道頓堀雑居ビル火災については、《4年前の隠された土地の闇が潜む曽根崎新地の大阪ビル火災事件を連想する「大阪道頓堀雑居ビル火災」》などの一連の記事で真相を追究しています。大分県・日出生台演習場事故で自衛隊員2人が犠牲になり、翌日、大阪道頓堀雑居ビル火災で消防士2人が命を落としています。
大分県・日出生台演習場事故には、何か隠された闇が潜んでいる可能性を感じて、追究していくことにしました。大分県の日出生台演習場の所在地住所は、「大分県玖珠郡玖珠町日出生」です。グーグルマップで場所を見ると、有名が温泉地の由布院の北側に位置しています。温泉が出るので、断層が通っているかもしれないと感じて、調べると、やはり無数の断層が通る「日出生(ひじう)断層帯」がありました。大分県は、多くの断層が地下を走っている、本来、大事な光の場所です。自衛隊は、支配層の松利権工作を担ってきた大日本帝国軍の任務を実質的に引継いでいます。
日出生台演習場など陸上自衛隊演習場は、こうした断層がある光の地を封印する役割を持っていると見ています。それ故、地上の箱物以外に地下に隠された関連施設があると推測します。「日出生台演習場」にはwikiが存在しており、次のように記述されています。『日出生台演習場は、大分県玖珠郡玖珠町、玖珠郡九重町、由布市、宇佐市にまたがる、大日本帝国陸軍及び陸上自衛隊の演習場である。日出生台の中央部にあり、総面積は約4,900 haで西日本最大の演習場である。[概要]演習場の大部分は玖珠町に属しており、東側の一部が由布市、南西側の一部が九重町、北東側の一部が宇佐市となっている。
演習場の管理は、湯布院駐屯地業務隊日出生台演習場管理班が担当している。明治時代の日出生台は、森林が失われ土壌のやせた農業には適さない草原であったが、仮想戦地となる満州の地勢に似ているとして旧陸軍の演習地として利用されることとなった。初代演習場主管となった横田穰は、水不足の対策、治山治水、集団移転する農民の従事する産業育成のため、植林事業に私財を投じて取り組んだ。当初は反発もあったものの、横田による生活改善のさまざまな取り組み、その人柄により地区住民から慕われるようになり、25年間で460万本の苗木を植林、1500
haを緑化した。
演習場の西には西部方面戦車隊などが駐屯する玖珠駐屯地があり、演習の際には(玖珠)戦車道と通称される駐屯地と演習場の間のコンクリート舗装された公道を戦車などが移動する。また、戦車道沿いに、道の駅童話の里くすがあり、見学する一般人も多い。また、東には西部方面特科隊が駐屯する湯布院駐屯地が駐屯しており、戦車道に対照して、こちらは特科道と呼ばれている。演習場では、230日の実弾演習を含む年間330日の演習が行われており、戦車砲、りゅう弾砲、迫撃砲、対戦車ミサイル、機関砲などの実弾射撃が実施される。
在日米軍も沖縄県道104号線越え射撃訓練対策の一環として使用する。演習場内は関係者以外立ち入り禁止となっているため、1000頭を超すシカやイノシシが生息しており、周辺で農作物の食害が広がっているため、演習の実施されない年末年始に限って、地元猟友会による有害鳥獣捕獲が行われている。[沿革]・1899年(明治32年)-旧帝国陸軍が演習のため日出生台を接収。・1946年(昭和21年)-終戦後米軍が駐留。その後、陸上自衛隊の演習場となる。・1997年(平成9年)-キャンプ・ハンセンで行われていたアメリカ海兵隊の沖縄県道104号線越え実弾演習の一部を本演習場へ移転。
・2025年(令和7年)8月18日-訓練中の隊員2人と連絡が取れなくなり、捜索していた隊員により心肺停止の状態で発見され、その後死亡が確認された。司法解剖の結果、落雷による感電死と判明した』。日出生台演習場は、西日本最大の演習場でした。日出生台演習場-wikiには、何故か「日出生台演習場で馬に乗るやなせたかし(1940年ごろ)」を説明書きがある乗馬姿の"やなせたかし"の画像が掲載されていました。やなせたかし(1919年-2013年)は、高知県出身の漫画家で、「アンパンマン」の原作者として知られています。また、2025年(令和7年)度前期に放送されたNHK「連続テレビ小説」の「あんぱん」のモデルでもあります。
wikiの文章には、やなせたかしについての記述が一切ないことから不自然に感じました。やなせたかし-wikiには、やなせたかしが日出生台演習場と関係していたと思われる以下の記述がありました。『1941年(昭和16年)に徴兵のため大日本帝国陸軍の野戦重砲兵第6連隊補充隊(通称号は西部軍管区の隷下部隊である西部第73部隊)へ入営。学歴を生かし幹部候補生を志願し、その内の乙幹に合格し暗号を担当する下士官となる』。やなせたかしは、戦争体験をした軍人でした。日出生台演習場-wikiに掲載された乗馬姿の"やなせたかし"の画像はヒントだと感じて、「やなせたかし」を追うことにしました。(つづく)