Former_Monbushō_Ministry_of_Education


中国・上海の東亜同文書院を設立した東亜同文会(とうあどうぶんかい)の後身が霞山会(かざんかい)です。東亜同文会-wikiには、『東亜同文会とは、1898(明治31)から1946(昭和21)にかけて、日本に存在した民間外交団体及びアジア主義団体。上海に設立された東亜同文書院の経営母体であったことで知られる。現在の霞山会の前身である』と記されています。東亜同文会が支配層の創価の工作組織である故、東亜同文会の後身である「霞山会」は、現在の支配層の創価学会の基盤だと捉えています。「霞山会」について追跡していくことにしました。霞山会の情報はwikiに記載されています。

 

『一般財団法人霞山会は、日本の財団法人。東亜同文会を前身とし、日本とアジア諸国の国際交流を目的とする。財団の事業の一つとして、会議室・宴会場・レストランなどの施設を持つ霞山会館を運営している。同会館は、霞が関コモンゲート西館(霞山会館ビル)37階に所在する。[概要]財団法人の定款によれば、霞山会の目的は「わが国と中国をはじめとするアジア諸国との文化交流を通じてアジア諸国民との相互理解と友好の促進を図り、アジアひいては世界の平和と安定に貢献すること」である。また、会の事業としては、次の6つが挙げられている。

 

1. アジア諸国にかかわる留学生、研究者等の相互交流の促進及びその支援 2. アジア諸国にかかわる調査研究、図書の出版及び講演会、研究会等の実施 3. 本邦及び海外における関係機関との連携 4. 語学教育機関の運営 5. 所有不動産の維持運営 6.その他この法人の目的を達成するために必要な事業[沿革]〈東亜同文会時代(戦前)1898(明治31)11月、霞山会の前身である財団法人東亜同文会が「東亜の保全と輯協」を目的として発足した。会長は近衞篤麿公爵・貴族院議長。1928(昭和3)12月、東亜同文会が東亜同文会館を竣工させた。

 

同会館は、近衞家より寄贈された東京目白の地所の売却代金を基金に、有志の寄付を加え、千代田区霞が関3-4(当時麹町区三年町1)の御料地を借りて建設されたものである。名称は、初代会長近衞篤麿の雅号を冠して霞山会館とした。〈東亜同文会の解散・霞山倶楽部時代〉東亜同文会は1945(昭和20)の終戦によって歴史的使命を終え、1946(昭和21)31日付で解散の認可を受けた。清算完了後、1948(昭和23)324日、同会主要資産を継承して、「財団法人霞山倶楽部」が正式に設立された。

 

1948(昭和23)に新体制の霞山倶楽部が設立された後も、事業の本拠となるべき霞山会館はGHQに接収されたままであった。そのため、西神田にある東方学会に仮事務所を設置して事業を継続した。1955(昭和30)、霞山会館は返還されたものの著しく荒廃していたため、1959(昭和34)、資産の拡大と恒久的な自主経営の基盤形成のため新しい会館ビルの建設に取り組むこととなった。〈霞山会時代〉同倶楽部は、1958(昭和33)に「財団法人霞山会」へと改称した。2013(平成25)41日に「一般財団法人霞山会」となった。

 

1960(昭和35)12月に国有地を買い受け、1961(昭和36)6月に旧霞山会館の解体に着工、1964(昭和39)2月に新ビルは竣工した。新ビルは霞山ビルと命名され、9階に霞山会館を設置して、以後、留学学術研究交流等の事業を展開した。2007(平成19)、霞が関コモンゲート西館(霞山会館ビル)の開業にともない、霞山会館は同ビル最上階37階に移転し、リニューアルオープンした。新霞山会館は、旧霞山会館のファサードを再現している。[組織]事務所は東京都港区赤坂の赤坂霞山ビルに所在』。一般的に、「創価学会」と言うと、宗教団体の「創価学会」を意味します。

 

しかし、支配層・八咫烏鶴派の胴元工作組織の「創価学会」も存在しています。支配層・八咫烏鶴派の胴元工作組織の「創価学会」は、宗教の創価学会を隠れ蓑にした裏の仕事を成す工作組織と言えます。宗教団体の創価学会の本部は、東京都新宿区信濃町にある「広宣流布大誓堂」(東京都新宿区信濃町32-4)となっていまが、支配層・八咫烏鶴派の胴元工作組織の創価学会は、東京都港区赤坂と言われています。202412月のヒプノセラピー《東京赤坂は水の都の光だったが創価の闇になった》では、東京赤坂が支配層の創価の中心的拠点であることが言及されています。

 

『東京赤坂の地には、創価学会のエネルギーが入っている。吸い取っている。純粋な人は具合が悪くなっていた。昔は凄かった。政治を動かしていた。佐藤栄作、田中角栄、TBSも創価。赤坂は創価。水の場所。水の都です。中国的な吸い取るようなゴキブリの街です。ネズミ、ゴキブリの街です。創価を消すことです。どんどん小さくなります』と伝えられました。それ故、東亜同文書院を設立した東亜同文会の後身・霞山会の本部である「赤坂霞山ビル(東京都港区赤坂2丁目17-47)」が支配層・八咫烏鶴派の創価学会の中心拠点だと捉えています。

 

霞山会の役員一覧は公式サイトに記載されています。『理事長:阿部 純一(常勤) 常任理事:六鹿茂夫(常勤) 理事:倉持由美子(常勤) 理事(就任順):茅田泰三(コマツ非常勤顧問 元中央大学大学院戦略経営研究科客員教授) 竹歳誠(元 国土交通事務次官) 駒形哲哉(慶應義塾常任理事・経済学部教授) 小関広洋(経済アナリスト) 高原明生(東京女子大学特別客員教授) 監事:岡本和巳(岡本和巳公認会計士事務所 所長) 上田慎(梶谷綜合法律事務所 弁護士) 評議員(就任順):伊豆見元(東京国際大学国際戦略研究所特命教授) 岩井克文(横浜国立大学客員教授 芝信用金庫 監事) 

 

松本盛雄(元 駐瀋陽総領事 元 駐パプアニューギニア特命全権大使) 近藤晴貞(元 西松建設㈱ 代表取締役社長) 大西康雄(アジア経済研究所 名誉研究員) 濱本良一(元 讀賣新聞中国総局長 元 国際教養大学教授) 安田淳(慶應義塾大学法学部教授)』。霞山会の役員のワーク対象として、理事長:阿部純一(常勤)、常任理事:六鹿茂夫(常勤)、理事:倉持由美子(常勤)3人を選びました。霞山会の理事長・阿部純一の経歴は《JBpress (ジェイビープレス)》に記されています。『霞山会 常任理事、研究主幹。1952年埼玉県生まれ。上智大学外国語学部卒、同大学院国際関係論専攻博士前期課程修了。

 

シカゴ大学、北京大学留学を経て、20124月から現職。専門は中国軍事・外交、東アジア安全保障。著書に「中国軍の本当の実力」(ビジネス社)「中国と東アジアの安全保障」(明徳出版)など』。霞山会の理事長・阿部純一に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「八咫烏」と伝えられました。個人的には、支配層・八咫烏鶴派の工作員の役割を担っている替え玉だと感じます。霞山会の常任理事・六鹿茂夫の経歴はwikiに記されています。『六鹿茂夫(むつしか しげお・1952-)は、愛知県名古屋市出身の政治学者。専門は、国際政治学・広域ヨーロッパ国際政治・黒海国際関係・ルーマニア研究・モルドヴァ研究。

 

学位は、Doctor în Drept(ブカレスト大学・1985)。静岡県立大学名誉教授。上智大学国際関係研究所助手、埼玉女子短期大学教授、静岡県立大学大学院国際関係学研究科教授、静岡県立大学国際関係学部学部長、静岡県立大学大学院国際関係学研究科附属広域ヨーロッパ研究センターセンター長(初代)などを歴任した』。霞山会の常任理事・六鹿茂夫、理事(常勤)・倉持由美子本部所在地(東京都港区赤坂二丁目1747号 赤坂霞山ビル)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「中国」「中国」「いいです」と伝えられました。支配層・八咫烏鶴派(欧州・中国・ロスチャイルド・創価)の工作員の役割のようです。(つづく)