
乳歯混入問題が生じた170億円の売上を誇るロングセラー商品「チョコパイ」を製造販売している「株式会社ロッテ」を追跡していきました。ロッテの情報はwikiに記載されています。『株式会社ロッテは、日本の東京都新宿区西新宿に本社を置く大手菓子メーカー。[概要]重光武雄(しげみつたけお・辛格浩)が1948年(昭和23年)に日本で創業。創業以来、世界各地でグループを展開し重光の出身地である韓国で積極的に投資して大規模に事業している。非上場企業であり、みどり会の会員企業で三和グループに属している。株式会社ロッテは持株会社ロッテホールディングスに移行した。
菓子メーカーとしての現在の株式会社ロッテは分離して新設され、持株会社の傘下となっている。現在、ロッテのCEOは牛腸栄一である(代表取締役社長、元ロッテ商事取締役営業部長)。創業家における経営権紛争(ロッテお家騒動)などを受けて、経営の透明性を高めることを目的として、本企業を上場させる方向で検討していることを2018年(平成30年)に明らかにしている。当初は2022年(令和4年)を目処に日本の証券取引所に上場するとしていたが、新型コロナウイルスによる影響もあり、延期されている状態である。[名称]ドイツの文豪ゲーテの「若きウェルテルの悩み」のヒロイン「シャルロッテ」にちなみ「ロッテ」と命名。
シャルロッテのようにいつまでも愛される会社となる思いが込められ、カタカナのロゴは上部を波のような曲線とし軽やかな雰囲気を演出した。「お口の恋人
ロッテ」をキャッチコピーにしている。日経BPコンサルティングによる「コーポレート・メッセージ調査」の「想起率」ランキングで5年連続で第1位を記録している。[歴史]・1945年(昭和20年)- 重光武雄(辛格浩)が、杉並区荻窪で「ひかり特殊化学研究所」を設立して石鹸、ポマードなどの製造販売を手掛ける。・1947年(昭和22年)-チューインガムの製造を開始。・1948年(昭和23年)-株式会社ロッテを設立。
当時輸入規制の対象であった天然チクルの輸入解禁を国に働きかけ、チクルを使用したチューインガムの製造販売を開始。社長自らリヤカーにガムを積んで移動販売し、スペアミントガムと続いて発売したグリーンガムを大量に販売した。のちに工場を東京都新宿区の新大久保駅付近に移転して後のロッテ新宿工場となる。・・[主な事業所]〈営業拠点〉・本社(東京都新宿区西新宿3-20-1)〈工場〉・浦和工場(埼玉県さいたま市南区沼影3-1-1)工場の敷地内にプロ野球・千葉ロッテマリーンズの2軍本拠地であるロッテ浦和球場があり、選手の練習場が隣接している。JR埼京線の武蔵浦和駅に近く、同線の他に東北・上越新幹線からも見える。
・中央研究所 浦和工場と同一敷地に所在する。・狭山工場(埼玉県狭山市新狭山1-2-1) ・滋賀工場(滋賀県近江八幡市安土町西老蘇147-1) ・神戸工場(兵庫県神戸市西区伊川谷町潤和824-1)ロッテアイスより移管 ・九州工場(福岡県筑後市長浜1818)〈過去の事業所〉・新宿工場(東京都新宿区百人町2-2-33)1950年に操業を開始、最初の本格的な工場でチューイングガムを製造していた。移転前の旧本社も所在したが、生産拠点再編により2013年に閉鎖された』。株式会社ロッテの創業者は韓国出身の重光武雄(しげみつたけお)/本名:辛格浩シン・ギョクホ)です。重光武雄の経歴はwikiに記されています。
『重光武雄(1921年-2020年)は、韓国の実業家。ロッテグループ創業者、ロッテホールディングス名誉会長、韓国第5位のロッテ財閥元総帥。日本領朝鮮慶尚南道蔚山郡(現在の蔚山広域市)出身の在日韓国人一世で、本名は辛格浩。日本プロ野球の千葉ロッテマリーンズと韓国プロ野球のロッテ・ジャイアンツのオーナーも務めた。1980年代から1990年代にかけての日本のバブル経済時代には、アメリカのフォーブス誌選定の世界第3-4位の富豪になり、韓国人としては史上最高の富豪記録を達成したこともあった。[経歴]重光は1921年、日本領朝鮮慶尚南道蔚山郡(現在の蔚山広域市)に5男5女の長男として生まれた。
戸籍上の生年月日は1922年10月4日。1939年に蔚山農業高等学校を卒業。老人が牛耳る故郷に未来はないと見切りをつけ、妻と娘を残したまま1941年に関釜連絡船に乗って所持金わずか83円(当時国家公務員の初任給は75円)で日本に移住。重光も文学を専攻するつもりだったが、徴兵を避けるには工学の専攻が必要ということになり、化学工学を専攻した。新聞・牛乳配達などをしながら、1944年までには早稲田実業学校及び早稲田高等工学校(現在の早稲田大学)を卒業した。・・資源が乏しい韓国には観光立国づくりが必要になると考え、韓国には一流ホテルがなかったため将来性があると判断し観光業への参入を決めた。
ホテル業の経験はなかったので世界各国にある一流ホテルを回って勉強し、国際観光公社(現在の韓国観光公社)が経営していた半島ホテルを買収した上で、日本の帝国ホテルをモデルにした38階建てのロッテホテルを建設することにした。ホテルは1979年に完成し成功を収め、1988年のソウルオリンピックの際には同ホテルに五輪組織委員会本部が置かれた。こうした功績が評価され、1995年には観光産業分野では初めて金塔産業勲章を受章した。1997年3月に釜山ロッテワールドがオープン。開館式のテープカットには日本の元首相4人が参加し、交遊の幅広さを示した』。
ロッテHDの創業者・重光武雄が生まれたのが、日本統治下の朝鮮慶尚南道蔚山郡(大韓民国(韓国)蔚山広域市)であることがポイントです。重光武雄は、支配層・八咫烏亀派(米国・朝鮮・ロックフェラー・統一教会)の工作員の役割だったと捉えています。1997年3月の釜山ロッテワールドの開館式テープカットに日本の元首相4人が参加していることでも分かります。重光武雄は、日本球界との関りで安倍晋三元首相の祖父の岸信介元首相と深い関係にあったようです。wikiには『1969年、重光は親交のあった岸信介元首相による仲介で東京オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)のスポンサーとなったことから野球との関わりが始まった』とあります。
また、重光武雄は、祖国韓国の観光業への参入し成功しています。観光業の裏には支配層の松利権があります。八咫烏亀派工作員として表裏の金儲けビジネスを展開していたことが頷けます。wikiによれば、重光武雄の晩年は、創業者一族に会社資金が流れる不正疑惑や横領、脱税などの罪で汚れたものになっています。『2016年6月、会社資金が不当に創業者一族に流れているのではないかという疑惑により、ソウル中央地検により、韓国ロッテ本社のほか武雄の居室や次男昭夫の自宅などが家宅捜査され、同年7月には長女英子がキックバック疑惑で逮捕、8月には昭夫の側近の一人が自殺。同年10月には長男宏之、次男昭夫とともに武雄も在宅起訴される。
2017年、重光は次男の昭夫と共に勤務実態のない親族らに計500億ウォン(当時のレートで約52億円)台の給与を支払うなどしたとして横領、脱税などの罪に問われ、12月22日に韓国で懲役4年(求刑懲役10年)の実刑判決を言い渡され、2019年に刑が確定したが、健康上の理由から収監はされなかった』。ロッテ創業家や社内での汚職の明るみになり、韓国内のナショナリズムの問題へも発展した原点が「ロッテお家騒動」というロッテホールディングスの経営権を巡る内紛です。現実的には、ロッテHDの創業者・重光武雄の後継となるロッテグループの経営権を巡る長男・重光宏之と次男・重光昭夫の兄弟による経営分割の闘争です。
これまで日本は長男の重光宏之、韓国は二男の重光昭夫が、父親の重光武雄会長の意を受けて経営を行ってきました。それが突然、2015年1月に重光宏之が日本ロッテHDの副会長職から解任されたことが始まりでした。最終的には、2003年3月に作成された直筆の遺言状が、重光武雄の死後に東京事務所の金庫から発見されたことで、二男・重光昭夫が後継者に定められ、公表されました。一連のロッテ創業家の重光家におけるお家騒動と汚職問題は、実質的な闇の掃除が成されたと見ています。ロッテHDの創業者・重光武雄の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「統一」と伝えられました。やはり、ロッテの創業者は、統一教会の工作員の役割だったようです。(つづく)