
高市早苗首相に3,000万円の巨額献金を行った宗教法人「神奈我良(かむながら)」の創始者は、現代表・川井徳子の父親である「川井春三」です。川井春三の経歴はwikiに記載されています。『川井春三(1922年-1989年)は、奈良県奈良市出身の政治活動家、実業家。[経歴]奈良市の魚問屋の四男に生まれた。1940年、旧制大阪城東商業学校卒業。1942年3月、大阪YMCA無線電機学校高等科卒業。同時に大日本帝国陸軍参謀本部に入り、北多摩陸軍通信所に配属されて無線情報活動に従事した。1943年1月、関東軍特殊情報部隊に入営し、幹部候補生として教育を受けた。同年末、北多摩通信所に教育要員として復帰。
1945年、派遣先の長野分遣隊で終戦を迎えた。1946年4月、旧制大阪専門学校(現在の近畿大学)経済学部に入学。のち中途退学し、父の営む奈良県魚株式会社で働いた。1957年の父の死を契機に、民族運動への挺身を決意した。この頃、千葉県柏市の道徳科学研究所(現在のモラロジー道徳教育財団)社会教育講座を2年間受講した。1958年8月、「祖国を愛し以って国運の隆昌発展を図る。国民道徳の高揚に努め以って国民の福祉増進に寄与す。世界の平和を図り以って人類の安心と幸福に貢献す。」との宣言を掲げ、政治団体大日本菊水会を結成した。三曜会世話人、黒龍クラブ同人を務めた。
パレスチナ解放運動に関心を持ち、現地のパレスチナ解放機構(PLO)幹部と接触、この運動は民族運動であると共鳴して、PLOに対し資金や資材を支援した。1972年6月7日、訪問先のベイルートで記者会見を開き、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)は日本赤軍をおだてて利用している、と述べた。日本はPLOを承認すべきであり、国益に合致すると主張した。1974年6月、8団体による菊水連合連絡会議を発足させ議長に就任した。職安自由労働組合を掌握し活動した。政治活動の傍らで、奈良市の運送会社新日本輸送を経営するなど、実業面で成功した。1966年、宗教法人公道社精神道場(現在の神奈我良)を創設、一時期を除き、死去まで代表役員を務めた』。
経歴を見ると、川井春三は筋金入りの現場工作員の役割だったと感じます。まず、大阪YMCA無線電機学校高等科卒業して、大日本帝国陸軍参謀本部に入り、関東軍特殊情報部隊を経て終戦を迎えています。YMCAはキリスト教組織であり、日本陸軍は、天皇を頂点とする支配層・八咫烏の松取り(松果体収穫)工作部隊の役目です。明らかに八咫烏工作員の役割を成していたと感じます。《ライナス・ポーリングから繋がる創価学会と拉致問題の救う会に結びつくモラロジー道徳教育財団》にありますが、川井春三が2年間社会教育講座を受講した「道徳科学研究所(現・モラロジー道徳教育財団)」は、創価学会と統一教会に両方に関係しています。
八咫烏鶴派と亀派を戦わせて利益を得る勢力である八咫烏同和派の工作の役割を担っています。モラロジー道徳教育財団は《日本の教育を暗闇にして日本人を目覚めさせないための国家プロジェクト》でもあったと捉えています。2つの勢力を戦わせて利益を得る同和工作は、川井春三がパレスチナ解放機構(PLO)に深く関わっていたことからも分かります。《中東戦争の裏工作を成したパレスチナのアラファト議長とイスラエルの諜報機関モサド》に記述しましたが、中東戦争は、PLOとイスラエルを戦わせて行う松取り工作なのです。実質的には、戦場で死体を集めたり、戦争孤児をさらったりして、支配層の裏の仕事が成されていたのです。
これは日本の戦国時代などで行われて来た戦(いくさ)での松工作と同じです。最終的には人命を金に換える汚い工作を支配層は行ってきました。特に近代戦争において、民族解放運動を隠れ蓑にした松工作は、戦時中の日本軍が得意とした工作です。太平洋戦争で、アジア諸国を欧米の植民地支配から解放するという名目でアジア諸国に加担して英国などの列強と戦わせてきました。実質的に若い兵士や庶民を犠牲にし、多くの遺体を集めて金に換えて裏金の蓄財を成してきたのです。川井春三は、八咫烏同和派の先陣を切る現場工作員だと睨んでいます。最終的には、右翼団体である「大日本菊水会」や「菊水連合連絡会議」を設立してトップに就いていました。
右翼団体も八咫烏の同和工作と同じです。反体制側などの集団に喧嘩を売って利益を得る工作を成しています。2つの集団を戦わせることを仕掛けるのです。川井春三は、ビジネスを隠れ蓑にして松工作による松利権の裏金を得ていたと見ています。実業面では、奈良市の運送会社新日本輸送を設立し経営していました。運送会社は、支配層の松運びです。表のビジネスの裏で、子どもなどの生の松や松製品を運搬していたのです。宗教法人・神奈我良(公道社精神道場の後身)を創設したのも、松工作の隠れ蓑だと見ています。あらゆる宗教の裏には、支配層の松利権の闇が潜んでいます。宗教団体が隠れ蓑に使われる理由がそこにあります。
宗教法人・神奈我良の現代表・川井徳子が同じ奈良を地盤に持ち政治のトップまで上り詰めた高市早苗首相に巨額献金を行った背景には、支配層の配下で、父親・川井春三の代から行ってきた松利権の裏金に直結する松工作の仕事があるのです。宗教法人・神奈我良の創始者・川井春三の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「天理教と同じ。糞便に覆われた工作員」と伝えらえました。10年程前に、天理教のトップに光を降ろすと、四方に火がともる蝋燭が置かれた中に蜷局を巻いて法被を着た糞便の姿の闇のエネルギー体がいました。人間のエゴ・金の汚い闇で覆われていたのです。
本来、八咫烏工作員は、思想信条で動く純粋な役割ですが、川井春三は、サンカ工作員の役割で大金を掴んだことにより、金の亡者となり重たく汚い闇に陥ったと感じます。次に、宗教法人・神奈我良の創始者・川井春三が設立した右翼団体「大日本菊水会」を追っていきました。大日本菊水会の情報はwikiに記されています。『大日本菊水会は、1958年から2007年まで活動した政治団体、右翼団体である。[沿革]1958年8月、結成。初代会長川井春三。日本教職員組合や原水爆禁止日本協議会に抗議する活動を行ってきた。1959年4月2日、「大阪で赤い知事、市長の出現を阻止せよ」とのポスターを掲示した公職選挙法違反により、逮捕者を出した。
1960年3月24日、三重県四日市市内の労働争議をめぐって乱闘事件が起き、会員1人が労働組合員3人とともに逮捕された。1960年10月12日に起きた浅沼稲次郎暗殺事件の犯人山口二矢を称賛するビラを配布し、同年11月5日公職選挙法違反で会員3人が検挙された。「四十五年の危機迫る!!国民よ決起せよ!!大日本菊水会本部」などと印刷したビラ合計26枚を、禁止されているにもかかわらず大阪市内13か所の橋柱・電柱・電信柱に糊で貼り付けたとして、会員2人が1965年6月14日大阪簡易裁判所により罰金刑を言い渡された。屋外広告物条例が表現の自由を規定した日本国憲法第21条に違反するか争われた。
しかし、1968年12月18日最高裁判所大法廷は上告を棄却し、罰金刑が確定した(大阪市屋外広告物条例事件)。1967年8月5日、奈良市長鍵田忠三郎を会員が木刀で襲撃。この事件により、同年10月18日、解散した。1970年4月20日、再結成。会長川井春三。1970年9月18日、北方領土問題の抗議行動として、在日ロシア連邦大使館に発炎筒を投げつけ、逮捕された。1971年11月29日、大阪市で開催されたチッソ第44回定時株主総会の会場入口で、入場開始を待つ300人の列に先立ち、列に並んでいなかった会員18人や社員株主が入場した。これに一株株主らが抗議し、警官隊が出動、もみあいや乱闘が発生した。
開会前までに、会員3人が凶器準備集合罪で、全国から駆け付けた告発する会会員のうち7人が暴行と公務執行妨害罪で、それぞれ逮捕された。1974年5月10日、8団体による菊水連合連絡会議を発足させた。1981年1月1日、二代目会長に荒井忍、本部長に中村一議が就任。1997年6月17日、三代目会長に中村一議が就任。2006年12月5日、奈良市部落解放同盟員給与不正詐取事件をめぐって、奈良市長藤原昭に対し公開質問状を提出した。2007年1月18日、会の発展的解消を決定。関係者による「菊水連合」連絡会議が発足した。2007年2月25日、製作総指揮中村一議の映像作品「実録・大日本菊水会-~双龍伝~」が株式会社ライツキューブから発売された』。(つづく)