
2026年2月20日(金)の夕方、函館巡礼の旅から電車で帰宅する際、終点のJR札幌駅の駅ビルの蕎麦屋で伴侶と共に夕食を済ませました。お店は「ごまそば八雲」。札幌では老舗の蕎麦店といいますが、私は初めて入る店でした。温かい蕎麦のセットを食べましたが、私好みの甘い感じのそばつゆで美味しい蕎麦でした。しかし、家に着いた後、喉が渇くような軽い違和感を覚えていました。これまでには、何かを食べた後のサインは余り経験はないのですが、「この喉が渇くような違和感は蕎麦屋のワークを促すサインだ」と直感しました。今回は、「ごまそば八雲」について調査とワークを行っていきました。
まず、名前の「ごまそば八雲」で「八雲」が気になり、ネットで調べると、《ごまそば八雲 Webサイトリニューアル》に説明がありました。『「八雲」という名は、日本最古の和歌に登場します。須佐之男命が詠んだとされる、この歌。"八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を" 誰かを想い、守るために重ねられた八重の垣。このイメージを、私たちは今回のメインビジュアルに据えることにしました。幾重にもかさなる雲を、蕎麦を茹でる湯気に見立てる。そばの香りと、笑顔がひろがるお店でありたいという想い。50年間、札幌の人々の日常を支えてきた八雲の本質が、この古の和歌と重なって見えました』。
「八雲」は「出雲」を象徴する言葉です。八雲-wikiには、『八雲(やくも)は、八重に(幾重にも)重なり合った雲である。日本神話においてスサノオが詠んだ「八雲立つ
出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」が日本初の和歌とされることから、和歌の別名ともされる。また、上記の歌に因んで「八雲立つ」・「八雲さす」は出雲にかかる枕詞となっており、八雲は出雲国を象徴する言葉となっている』と記されています。これまでのヒプノセラピーやエネルギーワークから「出雲」は、渡来人が先住民を征服した闇の土台となる闇の源流の場所だと理解しています。日本の闇の土台は、生贄による「支配」と捉えています。
過去のヒプノセラピー記事《出雲の国を守るために渡来人に生贄を捧げていたクシナダヒメ》には、クシナダヒメが渡来人に生贄を捧げていたことが伝えられました。記事の要旨には、『クシナダヒメは、生贄から逃れて出雲の国を良くすることをしていた。八重垣神社の所。古墳。渡来人に襲撃された。自分のために人を差し出していた。沢山の者を守るために生贄になった。ヤマタノオロチはトリック。出雲大社で神官をしていた。こうすれば稲が取れるとか、こうすればいいと伝えていた。神はアマテラス。ただ祈ると聞えてきた』とあります。公式サイトには、ごまそば八雲の歴史などの情報が記述されています。
『ごまそば八雲の歴史は、創業者廣川十郎の歴史にはじまる。時代は昭和初期、ソバ、ウドンは十二銭の札幌。「ごまそば八雲」の創業者、廣川十郎は丸井今井の北大共済レストランで働くことから、飲食への道をスタートさせた。昼夜を問わず働き続けて、譲り受けた「
銀の壺」は黒と銀の配色の少し異様な雰囲気の喫茶店。それから80年以上の月日を経て、札幌の地で愛されるごまそば八雲が生まれるまでの、そばよりも長い物語。どうぞ、ご賞味ください。〈歴史〉1936:昭和11年。 創業者・廣川十郎が「喫茶店 銀の壺」を開業。当時の価格で「喫茶店
銀の壺」は900円。
時給は15円、廣川の貯蓄は390円だったので最初は譲り受けを断られたが、廣川のきわめて誠実で勤勉な努力型の生き方を認められ、残りは月賦で支払うことで譲り受けた。1947:昭和22年4月、「茶房
西林」を開業(札幌市中央区南1条西4丁目)。当時は10坪ほどのお店だった。廣川十郎は、南部文男とともに「茶房
西林」を開業。場所は、西野林産という家具店の奥。喫茶と誠意だけを頼りに、静かに店を開いた。やがて丁寧な一杯と誠実な姿勢が評判を呼び、客足は少しずつ増えていく。数年後には大幅な拡張とともに、十郎は単独での道を歩み始める。ここから、「にしりん」の名が広まっていく。・・
1954:昭和29年、株式会社
にしりん、設立。・・1971:昭和46年9月、4丁目プラザビル完成にともない「コーヒープラザ 西林」を出店(再開)。この後、閉館までの約50年にわたり市民に親しまれた。廣川十郎は4丁目プラザの代表取締役専務として参画し、地下に「コーヒープラザ 西林」、4階に「喫茶
円山」、7階に「コーヒーギャラリー 南蛮倉庫」と「ごまそば八雲」を展開。「コーヒープラザ 西林」では、サイフォンで丁寧に淹れるコーヒーと、カレーやスパゲティなどの軽食が人気を集め、地下街の喫茶文化を象徴する存在となった。・・』。「ごまそば八雲」を展開する「㈱にしりん」の会社概要は公式サイトに記載されています。
『社名:株式会社にしりん 住所:札幌市中央区南3条西4丁目8番2号 アーバン札幌ビル8階 代表者:代表取締役社長 廣川貴久 設立:昭和29年3月26日 事業内容:そば・うどん・丼物等販売および飲食店の運営(店舗経営・製造業) 従業員数:130名(2025年3月時点)』。㈱にしりんの創業者、会長、代表取締役社長の経歴のネット情報は見つかりませんでした。㈱にしりんの創業者・廣川十郎、会長・広川雄一、代表取締役社長・廣川貴久、本社所在地(札幌市中央区南3条西4丁目8番2号 アーバン札幌ビル8階)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「中国」「中国」「中国」「いいです(OKです)」と伝えられました。
㈱にしりんの関係者は、皆、支配層・八咫烏鶴派(欧州・中国・ロスチャイルド・創価学会)の勢力の工作員の役割を担っていたようです。ネット検索の過程で、㈱にしりんの会長・広川雄一の有用なプロフィール情報に行き着きました。《Facebook》には、『26期・広川雄一さん経営の「にしりん(ごまそば八雲)」道新に登場。広川さんは4丁目プラザ社長も兼任、同窓会ではかつて副会長の重責を務められた(北海道新聞 2月3日朝刊より)』と記されていました。「4丁目プラザ社長」が重要なキーワードでした。ごまそば八雲の運営会社の会長は、札幌のファッションの発信地とされた「4丁目プラザ(4プラ)」の社長だったのです。
商業ビル「4丁目プラザ」は2025年4月に複合ビル「札幌4丁目プレイス(4PLA)」に建て替えられました。「4丁目プラザ」の情報はwikiに記されています。『4丁目プラザ(よんちょうめプラザ)は、北海道札幌市中央区にあったファッションビル。通称4プラ(4pla)。[概要]札幌駅前通の拡幅事業をきっかけに近隣の商店による協業店舗(寄合百貨店)として建設。札幌の繁華街である四番街と札幌一番街の交点に立地しているため、北海道内で有数の地価が高い場所になっている。「南1西4」スクランブル交差点側の壁面には大型映像ビジョン「メガ・ビジョン・4プラ」を設置していた。半世紀にわたって札幌の若者文化の発信地といわれた。
ピーク時の1991年には110店舗のテナントを擁し、売上は125億円にのぼった。しかし札幌市の調査の結果当施設が耐震強度を満たしてないことが判明。2022年1月末に老朽化により閉館。2025年4月に跡地に複合ビル「札幌4丁目プレイス」が開業、商業区画は「4PLA」と名付けられた。[沿革]・1971年(昭和46年):「4丁目プラザ」開業。・1977年(昭和52年):「自由市場」オープン。・2008年(平成20年):「109 MEN'S」オープン。・2022年(令和4年):1月末に閉館』。「4丁目プラザ」は、ファッションの発信地として、若者をターゲットにした協業店舗(寄合百貨店)でした。この裏には、支配層による"若者集めの若者さらい"の松工作の闇が潜んでいたと見ています。(つづく)