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木曾駒ケ岳を封印する山岳信仰としては、《第20回ライチョウ会議報告書》から、明治18年に成立した「神宮教駒ヶ岳会」の可能性があり、現在は宮田村の「里宮神社」となっているといいます。引用サイトには、『山岳信仰ですけれども 、山の上だけではなて、麓の里部に おいても盛んに行われておりました。麓の宮田村ですけれども、明治18年に神宮教駒ヶ岳会というものが成立しておりまして 、これは 、後に出てきますけれども 、現在宮田村にございます。里宮神社になって現在に至っております』とあります。「宮田村」がカギに成ると感じて、長野県宮田村の調査とワークを進めました。

 

宮田村の情報はwikiに記載されています。『宮田村(みやだむら)は、長野県上伊那郡の村。[概要]宮田式農業で知られる。 木曽駒ヶ岳、千畳敷、宝剣岳など、中央アルプスの主要な山岳観光地を抱えている。 20193月、中央アルプスは中央アルプス国定公園となったが、宮田村は特別保護地区の80.6%を占めている。 また、津島神社の祇園祭は神輿を打ち壊す奇祭として知られている。宮田村は大字の設定が無い自治体であり、住所表記時には「宮田村」の直後に番地を記載する。[地理]〈位置〉村の西端には中央アルプスの最高峰である木曽駒ヶ岳がそびえ、東端に天竜川、南端に太田切川が流れている。

 

東のなだらかな平野部と、西の駒ヶ岳まで至る深い山地からなっている。〈地形〉(山岳)主な山:・木曽駒ヶ岳 ・将棊頭山 ・宝剣岳 (河川) 主な川:・太田切川 ・黒川 ・天竜川 (湖沼) 主な湖:・大久保ダム(人造湖) ・濃ヶ池 [歴史]〈先史〉「中越式」で知られる中越遺跡に代表される多くの遺跡が物語るように、この地では、古くから人々が生活を営んできた。〈古代〉(平安時代)村名は平安時代の律令に関する資料である「延喜式」や、百科事典的な資料「倭名類聚抄」の中に出てくる「宮田」による。 この時代は東山道の宮田駅が置かれ、この地方の中心地であった。

 

〈近世〉(江戸時代)江戸時代は高遠藩に属して三州街道の宮田宿が置かれ、交通の要衝として信濃十五宿にも数えられて、伝馬や中馬の中継地点として、また近代以降は木曽駒ヶ岳の登山基地として賑わっている。〈近現代〉(昭和時代)合併前の()宮田村は、1954年に町制を施行し宮田町となっていた。 その後近隣町村と市町村合併し、()駒ヶ根市となった。 当初は旧赤穂町(現駒ヶ根市)等の市制施行のための合併で、その後分立させる計画だったが、合併後に駒ヶ根市議会が否決。激しい住民運動の末、宮田村として分立した。 宮田町として復活せず、宮田村として復活したのは、この間に長野県の条例が改正による。

 

町となる人口要件の変更が行われており、その条件を満たさなくなったためである。1956(昭和31)930-駒ヶ根市の区域から分立して、上伊那郡宮田村が発足する。〈現代〉(平成時代)1999(平成11)119-田原市と友好都市提携締結。平成の大合併では駒ヶ根市、上伊那郡飯島町、中川村と2003324日に任意協議会設置を立ち上げるも、20031210日に合併協議から離脱を表明し、協議会は解散した』。宮田村は、中央アルプスの主要な山岳観光地を抱えている村であることがポイントで、比較的大きな松利権を有していると感じます。wikiに出て来る「宮田式農業」が気になって調べました。

 

長野県宮田村の移住・定住促進サイト》に情報があります。『「宮田方式」とは、村を1つの農場と考え、村全体の農地の利用計画を作成したうえで、村が土地所有者に地代を払って農地の利用権を得、それを就農者へ貸し出す仕組みです』。農業において金による支配を含めて、宮田村が個人の自由を制限して支配が強くなる構図になっていると感じます。宮田村の支配層として村長・村議会議長・観光協会会長・商工会会長をベースにピックアップしてワーク対象に選びました。宮田村の村長は「天野早人(あめのはやと・1期目)」です。

 

SBC信越放送の記事《パワハラや公職選挙法違反の疑い指摘受け前村長が辞職 宮田村長選挙が告示 46歳の前村議会議長が立候補》がありました。『パワハラや公職選挙法違反の疑いが指摘されたことをきっかけに前の村長が辞職したことに伴う長野県宮田(みやだ)村の村長選挙が21日に告示され、これまでに前の村議会議長が立候補を届け出ました。宮田村長選挙に立候補したのは、無所属の新人で前の村議会議長の天野早人(あまの・はやと)さん46歳です。他に表立った動きはなく、選挙戦となった場合には26日に投開票されます。宮田村では、小田切和彦前村長が、公選法違反やパワハラの疑いを受けて、11日付けで辞職しました』。

 

前村長・小田切和彦の公選法違反やパワハラの疑いを受けての辞任については、朝日新聞が報じていました。2024124日の朝日新聞の記事《村長が「公務員は視野狭い」 パワハラ疑惑で調査へ 長野・宮田村》に詳細が伝えられています。小田切和彦元村長は、伊那市の電子部品メーカー「ルビコン」の元常務です。副村長を経て、2013年の村長選で初当選し、3期目でした。宮田村長選挙においては、無所属新顔で村議会議長だった天野早人は、他に立候補の届け出はなく無投票で初当選しています。宮田村長の天野早人の経歴は、《天野早人 | 宮田人:中央アルプス駒ヶ岳のまち宮田村》に記されています。

 

『宮田村長(37) 前宮田村議会議長 前伊南行政組合議会議長 前長野県町村議会議長会監事 前上伊那町村議長連絡協議会会長 宮田観光開発株式会社非常勤取締役 株式会社エコーシティー・駒ヶ岳取締役 略歴:1978(昭和53)年、長野県上伊那郡宮田村生まれ。幼少期を愛知県名古屋市、石川県金沢市、大阪府高槻市、東京都東村山市で過ごし、小学5年生の2学期に宮田村へ帰郷。​日本福祉大学卒業、愛知淑徳大学大学院修了(学術修士)、明治大学大学院修了(公共政策学修士)10代の頃から、宮田村を拠点とした産学官連携や地域情報化などに取り組み、2008(平成20)4月から宮田村議会議員(20051月に議員辞職)

 

​​2019(平成31)2月から2025(令和7)1月まで宮田村議会議長(40歳での議長就任は歴代最年少)2022(令和4)8月から2025(令和7)1月まで伊南行政組合議会議長。​​20251月、第37代宮田村長に就任(46歳での村長就任は歴代最年少)』。宮田村の村長・天野早人村役場所在地(長野県上伊那郡宮田村98番地)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「バックがある」「いいです(OKです)」と伝えられました。現・宮田村長は、前村長が公選法違反やパワハラの疑惑で辞任した後、歴代最年少の村長が無投票で当選した経緯を鑑みると、背後に創価などの工作組織の大きな力が働いていた可能性も感じます。(つづく)