
千葉工業大学の学長・伊藤穣一らが発起人となって推進する「沼津倶楽部継承プロジェクト」の前身は、北山雅史(きたやままさひと)が、二代目三輪善兵衛が建築した別邸として数寄屋造りの「松岩亭」の保存を支援したプロジェクトNです。公式サイトには、次のように記載されています。『建築後半世紀以上を過ぎた1980年ごろから建物の老朽化が目立つようなり、割烹としての営業も休止状態に。そんな中、株式会社プロジェクトN代表の北山雅史氏が「文化財と言える建築物を将来に残すべき」と援助を名乗りでたのが、2008年のことでした。「残せるものはすべて残す」ことを基本方針にして、傷んだ部分を修繕しました。
さらに同じ敷地内に建築家
渡辺明氏による宿泊棟「別邸」を設け、宿泊施設「千本松・沼津倶楽部」として再興。新たな息を吹き込まれた沼津倶楽部は、その歴史的、美術的価値が評価され、2015年には国の有形文化財に登録されました。その後、プロジェクトNによる経営は2022年に幕を下ろし、その未来は現・継承プロジェクトチームに託されました』。株式会社プロジェクトN代表の北山雅史を追っていきました。北山雅史の経歴はwikiに記されています。『北山雅史(1943年-)は徳島県生まれの日本の実業家、教育関係者。栄光ゼミナールを経営する株式会社栄光創業者・最高顧問。[略歴]・1968年埼玉大学教育学部在籍中に学習塾研修学院開設。
・1978年学習塾教材制作・販売の学伸社設立、取締役就任(1993年合併により会社消滅)。・1980年研修学院を辞めて栄光ゼミナール(現在の株式会社栄光)設立、代表取締役社長就任(2008年退任)。・1991年社会福祉法人カナの会(障害者支援施設カーサ・ミナノ)理事長就任(2010年退任)。・1993年株式会社エデュプレス設立
代表取締役就任(2008年退任)。・1993年学校法人北山学園(ろりぽっぷ幼稚園)理事長就任(2010年退任)。・1995年株式会社栄光の株式を店頭公開(現JASDAQ上場)。・1996年株式会社栄光の株式を東証二部上場(2015年上場廃止)。・1997年エンタプライズ代表取締役就任(2008年退任)。・1997年シークコーポレーション代表取締役就任(2008年退任)。
・1998年産学社代表取締役就任(2008年退任)。・2003年エデュケーショナルネットワーク設立、代表取締役就任(2008年退任)。・2006年学校法人昌平学園(昌平中学校・高等学校) 理事就任(2008年退任)。・2008年栄光代表取締役退任、最高顧問就任。・2008年社団法人日本家庭生活研究協会 理事長就任。・2008年株式会社シルフィアンドコーポレーション設立、代表取締役就任。・2008年株式会社プロジェクトN(千本松・沼津倶楽部) 代表取締役就任。・2015年株式会社エデュリンク設立、代表取締役就任』。北山雅史は、大手学習塾の栄光ゼミナール(現・㈱栄光)の設立者でした。経歴によると、学習塾運営会社、学校法人の設立し、社会福祉法人の役員にも就いています。
客観的には、子どもや若者、そして障碍者を対象にした企業・団体に深く関係しており、支配層の松利権を有している人物だと感じます。㈱プロジェクトN代表の北山雅史に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「プレアデス」と伝えられました。やはり、真実を隠す工作に長けたプレアデスの闇の存在が憑く工作員の役割のようです。次に、ワーク済の伊藤穣一を除く3人の「沼津倶楽部継承プロジェクト」の発起人を追いました。具体的には林郁(はやしかおる)、元榮太一郎(もとえたいちろう)、佐藤輝英(さとうてるひで)の3人です。林郁の経歴はwikiに記載されています。『林郁(1959年-)は、北海道斜里郡小清水町生まれ東京都国立市で育ちの実業家。
デジタルガレージ創業者・代表取締役兼社長執行役員グループCEO、DGフィナンシャルテクノロジー取締役会長、カカクコム取締役会長。[人物・来歴]東洋大学社会学部応用社会学科卒業。マスコミュニケーション学を専攻。1983年に広告・編集制作会社のフロムガレージを設立。その後デザイン会社のクリエイティブガレージ、マルチメディアソフト制作のスタジオガレージを設立し、3社グループとなる。1995年に3社グループと、日本初の個人ホームページ「富ヶ谷」を作ったエコシスを合併し、伊藤穰一とデジタルガレージを共同創業、代表取締役に就任。1996年デジタル・アドバタイジング・コンソーシアム代表取締役。
2002年カカクコムに出資し、代表取締役会長に就任。2003年カカクコム取締役会長。2010年に日本初のシードアクセラレーションプログラム「Open Network Lab」を設立、現在にいたるまで審査員長を務める。2012年マネックスグループ取締役。2013年ベリトランス取締役会長。2016年クレディセゾン取締役。2021年DGフィナンシャルテクノロジー取締役会長。2017年、シュヴァリエ・デュ・タストヴァン(ブルゴーニュワインの騎士団)を叙任。2021年、アメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタンにあるメトロポリタン美術館へ、人間国宝の作品9点を含む日本の現代工芸作品18点を寄贈している。2021年に日本のインターネットの歴史の25年を振り返る。
それとともに、次の25年の未来を語る「デジタルガレージ 未来が生まれ始まるところ 次のファーストペンギンたちへ」を出版。2023年、日本を代表する茶道文化の文化財を次世代に継承することを目的に、林郁の呼びかけで、伊藤穰一、元榮太一郎、佐藤輝英を加えた4名が発起人となり、各界の第一人者がアドバイザーとして参画する「沼津倶楽部継承プロジェクト」を開始。国の有形文化財として文化庁に登録されている「千本松・沼津倶楽部」の歴史的建築と文化価値の継承、発信を推進』。林郁は、伊藤穰一と共にデジタルガレージの共同創業者です。IT・デジタルの裏には松利権の闇があり、闇のエネルギーを利用した遠隔操作を通じて自動支配・機械支配の世界に繋がってきます。
闇の宇宙人などが背後で操る支配層は、一般大衆を思いのまま支配できる世界の構築を目論んでいます。《BTSのワークが示唆するムーンショット計画の一環であるアバター制御の嘘の闇》にありますが、日本の内閣府公式サイトでは「MOONSHOT型研究開発制度」が公表されています。沼津倶楽部継承プロジェクトの発起人・林郁に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「プレアデス」と伝えらえました。やはり工作の叡智を持つプレアデスの闇の存在が憑依する工作員の役割を担っているようです。元榮太一郎の経歴はwikiに記されています。『元榮太一郎(1975年-)は、米国イリノイ州エバンストン市出身の実業家、弁護士、政治家。弁護士ドットコム株式会社創業者・代表取締役社長。
弁護士法人Authense法律事務所最高経営責任者。公益社団法人日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)理事。自由民主党所属の元参議院議員(1期)。元財務大臣政務官。第二東京弁護士会所属。[経歴]米国イリノイ州エバンストン市に生まれる。1978年に家族とともに帰国して神奈川県藤沢市で居住した。中学生で家族とともにドイツへ移住後、単身帰国して神奈川県立湘南高等学校に入学した。1998年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業して、1999年に旧司法試験を合格して第54期司法修習、2001年に第二東京弁護士会へ登録して「アンダーソン・毛利法律事務所」でM&Aや金融など企業法務を専門とした。2005年に退所して法律事務所オーセンスを開業してオーセンスグループを設立した。
現在は法律相談ポータルサイト「弁護士ドットコム」と税務相談ポータルサイト「税理士ドットコム」を運営する。2016年の第24回参議院議員通常選挙に千葉県選挙区(改選数3)から自民党公認候補として立候補し、得票数2位で初当選した。2017年に弁護士ドットコム株式会社代表取締役会長となる。2020年に財務大臣政務官に就き、代表取締役会長を退任する。2021年6月11日に自民党千葉県連国会議員団の会議で、冒頭に元榮は翌年の参院選へ立候補しない意向を伝えて当日に了承された。2022年1月31日に微熱やのどの痛みを自覚して医療機関のPCR検査で新型コロナウイルス陽性が確認された。2021年 参議院文教科学委員長。2022年6月 弁護士ドットコム株式会社代表取締役社長に復帰。
2022年7月25日 参議院議員任期満了。2023年1月 公益社団法人日本プロサッカーリーグ理事。2023年に日本を代表する茶道文化の文化財を次世代に継承することを目的に、林郁、伊藤穰一、佐藤輝英とともに発起人として「沼津倶楽部継承プロジェクト」を開始した。国の有形文化財として文化庁に登録されている「千本松・沼津倶楽部」の歴史的建築と文化価値の継承、発信を推進する』。元榮太一郎は、米国生まれの弁護士であり、実業家で国会議員でもあります。個人的には、既に本人ではなく替え玉になっていると感じます。沼津倶楽部継承プロジェクトの発起人・元榮太一郎に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「同和」と伝えられました。(つづく)