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《首里城で火災 正殿ほぼ全焼 他建築物に燃え広がる けが人の情報なし》(10/31(木) 4:24配信 琉球新報)のヤフーニュースで、沖縄の象徴とされる首里城の火災を知りました。

 

現在、消防が出火の原因を調べています。首里城は、沖縄県那覇市首里にあった琉球王朝の王城です。かつて海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地に築城された県内最大規模の城です。

 

朱色の建物に囲まれた首里城公園には、過去3回、訪れています。ワークのための巡礼の旅でした。世界遺産という観光名所の華やかさの裏に、暗闇の歴史が隠されていました。

 

2013年9月18日(水)の巡礼の旅では、首里城公園内にある沖縄戦の第32軍司令部壕跡を訪れました。その場所は、パンフレットにも、首里城の地図にも掲載されていませんでした。

 

女性の係員の方に聞いて、たどり着きました。地下壕の入口では、全身に鳥肌が立って、非常に深い闇の場所であることが分かりました。多くの人たちが地下壕で亡くなったからでした。

 

その時は、地上に留まっている多くの御魂を上げるために、龍神たちの力も借りて、光を降ろしました。首里城に関する過去のワークやヒプノセラピー記事を読み返しました。

 

首里城の火災の歴史を調べると、過去に4回ありました。1453年、1660年、1709年に焼失するたびに再建され、沖縄戦で焼失後、今年1月に30年に及ぶ復元事業が完了したばかりだったといいます。

 

ウィキペディアを調べると、衝撃的な一文が載っていました。「1945年5月27日の日本軍南部撤退の際には、歩行不能の重傷兵約5000名が首里城の地下陣地で自決した」。

 

壮絶な場面は想像に難くありません。大きな怒りと深い悲しみの気持ちが、同時に湧いて来ました。「気づかずに申し訳ありませんでした」という思いもありました。

 

遠隔で御魂を上げるために、光の柱を降ろしました。「沢山の人が昇っている」と涙目の伴侶が伝えて来ました。多くの犠牲者の存在を隠蔽することが深い闇を作ります。

 

人間のエゴがお金を得るための観光に繋がり、暗闇の真実を隠します。今の私たちは、沖縄戦での多くの人々の犠牲の上に成り立っています。首里城の真実の歴史が広がることを願っています。