yoake3

先日の電話セッションは「同和の闇の支配」の起源を示唆されたセッションでした。「同和の闇」とは、2大勢力を戦わせることで、世の中を支配する勢力のこと。

 

現在では、日本の政治、経済、メディア、芸能など全ての領域を支配している「既得権益層」を指します。「分け隔てられた集団」による日本の支配体制を意味します。

 

クライアントの方が解決したい問題は、子供夫婦の事。子供の配偶者に対する強い恨みや怒りが表面化しているということでした。配偶者の実家は「鎌倉」です。

 

セッションやクライアントの方から伝えられたヒントは「信濃国(長野県)」「北条政頼」「君石」。セッションの中で「北条氏内部での裏切り」が関係していると感じました。

 

セッション後、ネットで「北条政頼」「君石」について調べました。北条政頼は、第5代執権北条時頼の子で、第8代執権・北条時宗の弟に当たり、通称は六郎です。

 

「時頼は、息子・政頼を信濃に派遣し駐在させたが、若くして病没した」と記されていました。「君石」は、補佐人たちが政頼の亡骸をその土地に葬り、石を建てて供養したといいます。

 

調べて行くと疑問点が幾つかありました。まず、北条政頼の墓所がどこにも見当たらないこと。北条氏の系図に、北条政頼の名前がないこと。生没年不詳であること。


父親の時頼の通称が五郎だったことです。北条時頼が、我が子・政頼を可愛がっていたことが伺えます。さらに、政頼には、異母兄弟を含めた7人兄弟がいました。


「北条政頼は暗殺された」と感じました。北条時頼は、哀れに思って、高野山の大阿闍梨を呼んで供養し、その後、加賀から白山権現を勧請して君石に寺院を建立しました。

 

「白山権現」がポイントでした。実は、多くの同和部落には、白山権現が祀られる白山神社があるのです。穢れ、禍、災禍を浄めるという意図で白山権現を祀ったと感じます。

 

恐らく、北条政頼の母親は、平氏の系統か、または、高家ではなかったのだと思います。「能力」よりも「血筋」で、権力を持つ後継者が選ばれて来たことが容易に想像できます。

 

逆を言えば、権力者の邪魔になる者は、例え身内であろうと命を奪って排除するのです。さらに「6代将軍・宗尊親王が京都へ帰還する際、供奉人として付き従った」ことに注目しました。

 

どうやら北条政頼は、宗尊親王を守護する立場にあったようです。宗尊親王は、南北朝の分裂の原因となった後嵯峨天皇の第一皇子。宗尊親王について調べて行くことにしました。(つづく)