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北条政頼が守護する立場にあった宗尊親王について調べて行きました。宗尊親王は、鎌倉幕府6代将軍。皇族で初めて征夷大将軍です。父・後嵯峨天皇の第一皇子でありながら天皇の地位に付けなかったのです。

 

後に、2人の異母兄弟の弟たちは、後深草天皇、亀山天皇になっています。何故、天皇になれなかったのか。それは、北条政頼と同じ境遇だったと推測されます。母親が平氏の出自だったからです。

 

血統が全てという封建社会であるが故、源氏の後継である北条氏にとって、敵対した平氏の系統者を厚遇するはずがありません。宗尊親王は、執権北条氏のお飾りの将軍でしかなかったのです。

 

そのため、和歌の創作に打ち込むようになり、歌会を何度も行ったといいます。悲しく、悔しい思いを歌に込めたのだと感じます。最期は、将軍を更迭され、京都に帰還して32歳で亡くなりました。

 

後嵯峨上皇は、後深草上皇の皇子ではなく、亀山天皇の皇子を皇太子にしました。次期天皇を定めずに亡くなり、後の北朝持明院統(後深草天皇の血統)と南朝大覚寺統(亀山天皇の血統)の確執のきっかけとなりました。

 

南北朝時代の始まりに繋がりました。足利尊氏が京都で光明天皇(北朝持明院統)を擁立し、京都を出た後醍醐天皇(南朝大覚寺統)吉野行宮に遷ったことで、2大勢力の抗争となったのです。


天皇が分かれた南北朝は、最終的に、北朝が勝利し、南朝が敗北しました。魂を上げるために光を降ろす必要があると感じたのは「北条政頼」「宗尊親王」「後醍醐天皇」。

 

北条政頼を意図して光を降ろすと「待っていた感じ」と伴侶が教えてくれました。宗尊親王に光を降ろすと「この人も待っていた」と伴侶が言いました。北条政頼と宗尊親王は、恨みと悲しみを抱えている感じでした。

 

後醍醐天皇に光を降ろすと「恨み。怨念」と伴侶が伝えて来ました。北条政頼と宗尊親王は、血筋によって分け隔てられた権力闘争での敗者。後醍醐天皇は、実際の戦での敗者でした。

 

権力闘争や戦いで敗れ、分け隔てられた人たちが抱えていた恨み、悲しみ、怨念が原動力となって、2大勢力を戦わせて世の中を支配する「同和の闇」という勢力が形成されて来たと思います。

 

同和の闇は、人間のエゴや欲を利用して金で操ることをします。反社会勢力として、脅迫、糾弾、ストーカーなどの嫌がらせを行うことで支配・コントロールして行きます。

 

ある意味、地球で最も深い闇とも言えます。クライアントの方の先祖は、北条政頼の補佐人でした。北条氏内部で行われた深謀の闇がカルマの解消のために子孫に現れた形です。

 

全ては「分離と支配」による深い暗闇を創るため。犠牲になった人々の御魂が光に還って、同和の支配の闇に光が入り、日本に光が広がって行くことを願っています。(おわり)