「清」の字は、父親の名前にもあります。私が23年間、勤務した会社の名前には「日清」が付きます。さらに、伴侶の旧姓にも「清」の字が使われています。
これらは単なる偶然ではなく、中国の「清」の国や「日清戦争」がワークにおいて重要なヒントになることを暗示していたと思います。「台湾」は、日本の最初の植民地となりました。
日清戦争後、下関条約によって割譲されました。その後、南樺太、関東州、朝鮮、南洋諸島、満州国が植民地となったのです。1868年の明治維新、1894年の日清戦争で、日本の闇は深くなって行きます。
《知られざる「麻薬大国」ニッポンの裏面史~芸能界「薬物汚染」の源流はこんなところにあった!》の中に、「星製薬」の名がありました。日本で最初にモルヒネの製造に成功した会社です。
「星製薬」の創業者・星一(ほしはじめ)は、作家・星新一(本名:星親一)の父親で、驚きました。学生時代、私は、星新一のショートショートを好んで読んでいました。
鎮痛剤のモルヒネは、アヘンを原料に作られます。医療用にも使われますが、「麻薬」としての使い道もありました。第一次大戦終結後、日本政府は製薬会社を保護する政策を行いました。
在庫過多になっていた朝鮮でモルヒネの販売制限を緩和し、在庫処分を図りました。日本の麻薬生産は拡大し、1935年の国際連盟の統計によれば、日本のモルヒネ生産額は世界第4位。
モルヒネから合成され、依存性が高いヘロインの生産額は世界第1位。コカの葉より生産されるコカインの生産額も世界第1位となりました。日本は、世界有数の「麻薬大国」になったのです。
モルヒネ製造は、星製薬の他に、大日本製薬(現:大日本住友製薬)、三共株式会社(現:第一三共)、武田薬品等も加わりました。1930年代、日本が中国大陸に侵出すると、麻薬の生産販売は一層組織的になって行きました。(つづく)