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数日前、10年程前にお世話になった知人の方からメールが届きました。現在でも問合せが来るので、講演会の告知記事の中の連絡先を削除して欲しいという要望でした。

「講演会」は、創作など多彩な活動をされる著名な方の講演会でした。ブログ記事の訂正後「どうして今頃なんだろう」と思っていると、軽い頭痛を覚え「闇の解除のサインだ」と直感しました。

 

知人は、当時、神奈川県相模原市の在住でした。調べると相模原は「軍都」でした。「軍都計画」に基づき、土地区画整理事業が行われました。1874(明治7)年に陸軍将校の養成機関「陸軍士官学校」が開校。

 

終戦後「米陸軍第1騎兵師団」が進駐。1950(昭和25)年に「米陸軍第8軍司令部」が設置され、「キャンプ座間」となりました。現在は「在日米陸軍司令部」などが「在日米陸軍」の中枢部となっています。

 

また、相模原市は、相模湖、相模川などの水源となる水の場所が点在しており、大事な光の場所だと感じます。水の場所という光の土地を封じるために軍都の闇を置いたのです。

 

過去のワークでは、在日米軍関係を主に相模原の各所に光を降ろして、アークの人たちが還って行ったのを覚えています。今回の相模原は、大日本帝国陸軍関連です。

 

講演会の主であった著名な方と軍都としての相模原の闇の解除・統合です。著名な方は「シリウスの術師がいる」と感じました。実際に光を降ろすと「術師がいた」と伴侶が伝えて来ました。

 

次に、軍都であった相模原市の土地に留まっている亡くなった人たちの御魂を上げるよう意図して、光を降ろしました。「いいと思います」と伴侶が言いました。

 

最後に、軍都の闇に光が入るよう意図して光を降ろすと「本来は光の場所だった」と伴侶が伝えて来ました。当時、知人の家に幾度か足を運んだことがありました。

 

以前の会社の得意先も相模原市で、定期的に通っていました。縁のあった所は意味がある場所です。知人への感謝を込め、相模原の地が開かれるよう願っています。