新型コロナウイルスによる新型肺炎の拡大の国内観光地の影響についての記事を読みました。《新型肺炎、奈良観光に大打撃 人出は「10分の1に」》(2/2(日) 10:29配信 朝日新聞DIGITAL)。
新型コロナウイルスの感染拡大は奈良の観光にも影響を及ぼしています。1月28日、奈良県内に住むバス運転手の男性(60代)が新型コロナウイルスの感染が判明しました。
奈良県内で感染者が出て初めての週末を迎え、奈良公園(奈良市)周辺の人出は少なかったようです。観光バスの出入りは減り、ホテルや旅館ではキャンセルが相次いでいるといいます。
鹿せんべいを売る行商組合の男性は「春節なのに、すごく少ない。去年の10分の1くらい。中国人だけでなく全体的に減った感じ。しょうがないですが」と話しています。
私も奈良には巡礼の度で3回程、訪れています。奈良公園や東大寺などでは、中国を含む外国人観光客が多いのは実感しています。今回の新型肺炎による影響をどのように受取るのかが重要です。
観光業に携わる多くの人々にとって、影響として、まず第一に考えるのが、経済的損失でしょう。しかし、自分が観光客だったら、どうなのかを想像すれば分かります。
誰も皆、自分の「命」を守ることをします。新型ウイルスの感染リスクのある場所に、命がけで行く必要はありません。それは、観光客だけではなく、観光業の仕事をしている人にとっても同じです。
「命」か「お金」か、のどちらかを取るかの二者択一の選択を迫られています。例えば、火山の麓の温泉地で、火山の噴火が始まって、観光客が少なくなるのは、自然であり、当たり前です。
今回の出来事は「本当に大切なものは何か」を気づくための機会だと思います。現在の「観光」は、とにかく多くの人を集めて、多くのお金を稼ぐというビジネス化してしまっています。
ウィキペディアには、「人類最古の観光の形態は聖地への巡礼の旅であった」と記されています。本来の「観光」とは、「光を観ること」だと思います。
「聖地」は「光の場所」です。本来の「観光」には、「聖地」という「光の場所」が必要になります。お金とエゴの暗闇の「観光地」から本来の光の「観光地」に変わることです。
そのためには「純粋さ」が不可欠です。お金よりも大切なものがあります。多くの人たちが純粋さという光を取戻して、日本の観光が本来の姿になることを願っています。