hayama umi

長崎のワークの際、佐世保市の歴史を調べていると佐世保が日本の4大軍港の1つと知りました。軍港とは、軍事目的に利用される特別の港です。艦隊および軍艦の根拠地として軍隊のなかでも重要な地位を占めます。

 

日本の4大軍港とは、横須賀(神奈川県)、舞鶴(京都府)、呉(広島県)、佐世保(長崎県)です。明治時代の後半に横須賀、舞鶴、呉、佐世保の4港が軍港に指定されました。

 

各港には鎮守府海軍工廠(こうしょう:軍需工場)がおかれ、艦隊や航空隊の母港・所属地となりました。また大湊(青森県)は軍港の一つ下に位置する要港に指定されました。

 

この5港が戦後の海上自衛隊に引き継がれ、現在でもその艦船の母港として機能しています。また、横須賀と佐世保は在日米海軍の拠点として第7艦隊の事実上の母港のひとつともなっています。

 

第二次大戦前まで、天皇派が主導して日本に軍都や軍港を置き、戦後は、米国派が占有して来たことが分かります。広島県の呉市についてネットで調べていると「村上水軍」の拠点だったと分かりました。

 

「水軍」とは、簡単に言えば「海賊」のことです。陸の武士に対して、海の海賊が存在しました。武士は権力を握りましたが、水軍は権力を握らず自由に活動していました。

 

しかし、武士が天下取りに向かう中で、戦国大名に軍力を提供して、武士の権力の中に組込まれていき、「海の武士団」に変わって行きました。村上水軍は、日本中世瀬戸内海で活動した水軍です。

 

軍港の呉が村上水軍の拠点だったので、「他の軍港にもそれぞれの水軍があったのかもしれない」と感じました。ネットで調べてみると、やはりそうでした。

 

横須賀には、三浦一族の三浦水軍がありました。佐世保は、松浦党とも呼ばれる松浦水軍があり、舞鶴は、下志万(しもじま)水軍がありました。4大軍港は、水軍と繋がっていました。

 

4大軍港は、水軍のカルマの闇を引き継いで来たことになります。村上水軍は、「日本最大の海賊」と呼ばれています。闇の解除を兼ねて、村上水軍を探って行きました。(つづく)