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村上水軍は、中世の瀬戸内海で活動した水軍で、勢力拠点は芸予諸島を中心とした中国地方四国地方の間の海域でした。その活動は主として、破壊、略奪など暴力的行為です。


航行船の破壊・略奪や信書の開封・破棄等を通じた同盟関係の分断、瀬戸内海各所の海峡関所に見立てた通航料の徴収でした。現在の暴力団、ヤクザ、半グレなどの裏世界や反社の原型だと感じます。

 

日本を暗闇にするために、昔から闇の役割の人たちが海岸線を闇にして来ました。実際、ヤクザは、港湾業から派生して来たとされます。昔の漁師も闇の役割でした。

 

「縄張り」という言葉もあり、漁に用いる「網」からも、海岸線を封じていたと感じます。近代において、函館、横浜、神戸、長崎という貿易港を闇で封じたのと同じです。

 

村上水軍の多くは「真言宗」の信徒で、京都に数多く菩提寺が残されています。東寺領の弓削庄付近で海上警護を請け負っていたのが理由とされますが、それだけではないと思います。

 

ウィキペディアには村上水軍の起源について「河内源氏の庶流信濃村上氏を起源とする説が有力」とあります。個人的には、「信濃国」から「同和派」の源流となった「諏訪神党」と関係していると感じます。

 

村上水軍は、最終的に能島村上家因島村上家来島村上家の三家へ分かれました。その中で、能島村上水軍の祖とされる「村上義弘」に焦点を当てました。


村上義弘は、南北朝時代武将で、伊予(愛媛県)新居大島を本拠とし、海賊大将と呼ばれました。元弘の乱では瀬戸内海で北条時直の水軍を破り、その後も南朝方として活躍したといいます。

 

瀬戸内海の無人島・能島に設けた「能島城跡」、村上水軍の本拠地の大島の中央にある標高215mの「八幡山」、村上義弘の菩提寺とされる「高龍寺」に、それぞれ光を降ろしました。

 

「光が入りました」と伴侶が伝えて来ました。さらに、4大軍港としての横須賀、舞鶴、呉、佐世保の地が開かれるよう意図して、光を降ろしました。

 

「いいと思います」と伴侶が言いました。日本を封印にする役割としての水軍であり、軍港です。それらは輝くための封印です。これから日本が輝いて行くことを願っています。(おわり)