
1週間程前、夜寝ていると左足のふくらはぎの外側にチクっとした痛みがありました。解除の場所を知らせるために、弱い痛みにして加減してくれていると感じました。
場所的には、鹿児島県の薩摩半島と分かりました。翌日、PCで調べて行くと鹿児島県「南さつま市」と思いました。これまでのセッションとワークから鹿児島は深い闇の場所だと理解していました。
「裏インドの闇」という深い闇を広げる役割をする土地でした。その主役が薩摩を拠点とする島津氏です。島津氏は、家祖・島津忠久が源頼朝に薩摩国を含む南九州の守護職を命じられたのが始まりです。
源頼朝は、日本を暗闇にするために「裏インドの闇」を広げる役割をしていた人物です。「裏インドの闇」は、現在でいうと「米国派」のエゴの闇と言えます。
現在の伊豆と鹿児島の2箇所から深い闇を広げて来たと感じます。南さつま市に縁ある土地を調べ、亀ヶ城神社、金峰神社から「島津忠良」「安閑天皇」に焦点を合わせました。
土地を開いて魂が上がるよう意図して、亀ヶ城神社と島津忠良のそれぞれに光を降ろしました。島津忠良に対して「同和の人」と伴侶が伝えて来ました。
島津忠良は島津家の分家・伊作家の出身で、幼少期から桂庵禅師から「朱子学」「論語」を学んで、儒学、禅、神道を融合した日学という流派を開いたといいます。
島津忠良は、日新斎と改名して、人間としての履み行うべき道を教え諭した「いろは歌」の創作したとされています。後で調べると桂庵禅師も重要なキーパーソンでした。
桂庵禅師は、室町時代の臨済宗の僧です。本名が「桂庵玄樹」で、薩南学派を形成しています。同和の拠点の地としての「赤間神宮」のある長門国(山口県)赤間関の出身でした。
桂庵玄樹に学んだ島津忠良は、薩摩の地に、中国大陸の文化の影響を与えた人物です。島津氏は、その闇の役割が米国派から同和派に移行していったのだと感じます。(つづく)