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第27代天皇の安閑天皇に縁ある場所をネットで調べて「金峰神社」「古市高屋丘陵(ふるちのたかやのおかのみささぎ)」「勾金橋宮(まがりがねはしのみや)」を選びました。

 
金峰神社は、鹿児島県南さつま市の標高636mの金峰山の頂上にある神社です。勾大兄広国押武金日天皇(まかりおおえひろくにおしたけかなひすめらみこと)の名で安閑天皇を祭神としています。

 
金峰神社と金峰山に、それぞれ光を降ろしましたが、特に変化はありませんでした。古市高屋丘陵は、大阪府羽曳野市古市にある安閑天皇の墓所とされます。


古市高屋丘陵に光を降ろすと「光は入りました」と伴侶が伝えて来ました。勾金橋宮は、奈良県橿原市曲川町にある安閑天皇の宮とされます。勾金橋宮に光を降ろすと「重い」と伴侶が伝えて来たので、再度、光を降ろしました。

 
「いいと思います。同和の祖だったみたい」と伴侶が教えてくれました。思い当たることがありました。橿原神宮の場所の近くの畝傍山の麓に洞部落(ほうらぶらく)があったといいます。

 
過去の橿原神宮のワークでは「同和の人たちの聖地だった。やまとびとの大事な場所を奪って同和の聖地とした。大きな杭が打たれている」と伝えられました。


奈良県橿原市は、やまとびとの国である邪馬台国の中心場所でした。橿原神宮は「大切な光の場所を隠すための存在」だと思います。安閑天皇は、何故、鹿児島と奈良の地に関係しているのかが疑問です。

 
ネットで調べていくと「王朝交替説」に行き着きました。王朝交替説とは「古墳時代皇統の断続があり、複数の王朝の交替があった」とする学説です。


王朝交替説は、第二次世界大戦前まで支配的であった「万世一系」という概念に対する批判・懐疑から生まれたもので、1952年の水野祐による三王朝交替説が代表的なものとされます。

 
古墳時代、ヤマト王権が完全に統一出来ていない段階で、日本には複数の王朝が存在して覇権を争っていたと思われます。複数の王朝が交替で天皇を決めていたことは合理的と感じます。


安閑天皇の時に、全国に大量の屯倉と犬養部を置いた意味が、同和の祖という側面から見るとよく分かります。伴侶が古市高屋丘陵をPCで検索していると「十字架がある」と伝えて来ました。


古市高屋丘陵の画像を見ると御堀の手前に「十字架が上に乗った鳥居の画像」がありました。にわかには信じがたい画像でしたが、真実に繋がるヒントだと感じました。(つづく)