宮沢賢治の手帳に記された32箇所の埋経の封印を解くために、地図を観て全体に光を降ろした後、気になる箇所に降ろすことにしました。32箇所の埋経の封印を意図して光を降ろしました。
「いいです」と伴侶が伝えて来ました。六角牛山(ろっこうしさん)が気になりました。六角牛山は、岩手県遠野市と釜石市の境界の北上山地にある標高1294mの山です。
遠野小富士の異名を持ち、早池峰山、石上山と共に遠野三山とされます。「ここに目玉があるかもしれない」と伴侶が言いました。光を降ろすと「牛の赤目があった」と教えてくれました。
名前にある通り、「牛の赤目」の闇で封じられていました。続いて、早池峰山に移りました。早池峰山は、岩手県にある標高1917mの山で、北上山地の最高峰です。
早池峰山に光を降ろすと「光は入りました」と伴侶が伝えて来ました。次に、北上川を開くために源流の山を調べると、「七時時雨山(ななしぐれやま)」でした。
七時時雨山は、岩手県北西部に位置で、八幡平市にある標高1060mの溶岩ドームの山です。七時時雨山が開くよう意図して光を降ろすと「OKです」と伴侶が伝えて来ました。
最後に、北上川を解除することにしました。北上川は、岩手県中央部を北から南に流れ、宮城県東部の石巻市で追波湾に注ぐ、流路延長249kmの一級河川です。
北上川が開くよう意図して光を降ろすと「でっかいエネルギーが出た」と伴侶が教えてくれました。「ここは天の川のような大きな龍のエネルギーが封印されていたと思う」といいます。
解放されたものは、シリウスの純粋な光のエネルギーだと感じました。宮沢賢治のウィキペディアで、2つ目にに気になった「国柱会(こくちゅうかい)」でした。
国柱会は、元日蓮宗僧侶・田中智学によって創設された法華宗系在家仏教団体で、純正日蓮主義を奉じる右派として知られています。宮沢賢治は、国柱会の会員でした。
国柱会の思想は、帝国陸軍・石原莞爾中将の「東亜連盟構想」や「世界最終戦論」、更には、満州国建国の思想的バックボーンとして、多大な影響を及ぼしたとされます。(つづく)