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国柱会の名称は、日蓮の三大請願の一つ「我日本の柱とならん」から、田中智学によって命名されました。独立した宗派としての正式名称は「本化妙宗」とされます。


戦前日本において、国家主義スローガンとして多用された「八紘一宇(はっこういちう)」は、田中智学の造語であり、最初に標榜したのは国柱会でした。


「日本書紀」の「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむ」を、全世界を一つの家にすると解釈したもので「天の下では民族などに関係なく全ての人は平等である」という思想です。


第二次大戦中、日本の海外侵略を正当化するスローガンとして用いられたともいいます。「八紘一宇」は、「天皇の下での支配」という概念を示していると感じます。

 
「八紘一宇」のワードは、天皇派の象徴でもあったのです。国柱会の創始者の田中智学の御魂が光に還り、東京都江戸川区にある国柱会の本部が開かれるよう光を降ろしました。

 
「いいと思います」と伴侶が伝えて来ました。宮沢賢治が「経埋ムベキ山」の封印と国柱会の信者だったことから、天皇派工作員として活動していたと感じました。

 
再度、宮沢賢治についてネットで調べて行くと《「クラムボン」の正体、ついに明らかに 論争に終止符》(Kyoko Shimbun)に行き着きました。宮沢賢治が「ロシアのスパイだった」と書かれていました。 

 
宮沢賢治の短編「やまなし」で、長らく研究者の間で議論になっていた言葉「クラムボン」が当時新興国家であったソ連に向けての暗号であったことが明らかになったといいます。

 
岩手県立陸山大学文学部・柏林世高教授(近代文学)は、ロシア政府が2009年に公開した旧ソ連時代の外交機密文書の中に、宮沢賢治の名前と「クラムボン」の記述を発見しました。


この文書によると、賢治はソ連が建国される数年前からソビエトのスパイとして、主に農業分野での諜報活動を行っていたとされます。やはり宮沢賢治は、スパイでした。


クラムボンは、日本に潜伏していたロシア人スパイで、作品中の「クラムボンは死んだよ」などの記述は、スパイが日本の公安警察に暗殺されたことを伝えていたといいます。


過去のヒプノセラピーから石川啄木、夏目漱石などの作家も工作員(米国派工作員)だったと分かっています。米国派と天皇派の抗争の中での工作活動を担っていました。

 
ソ連は、天皇派の国家でした。天皇派の闇は、光を封じる純粋な闇です。宮沢賢治の故郷の岩手県の地が開かれて、本来の輝く姿になっていくことを願っています。(おわり)