3月8日、朝起きると、夢の中で「がもう」と伝えられたのを覚えていました。「がもう」は名字だと感じました。ネットで調べると「蒲生氏郷(がもううじさと)」と行き当たりました。
蒲生氏郷(1556年-1595年)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将です。近江国(現滋賀県)蒲生郡日野に六角承禎の重臣・蒲生賢秀の三男として生まれ、幼名は鶴千代と名付けられました。
人質の身から織田信長の一門になり、豊富秀吉にも仕えた智将です。一連の統一事業の功績により、奥州仕置において42万石の陸奥国会津の領地を与えられました。
会津で7層楼の天守を有する鶴ヶ城を構築しました。鶴ヶ城は、幼名の鶴千代にちなんで名づけられたといいます。千利休の高弟7人を意味する利休七哲の中でも蒲生氏郷は筆頭とされます。
蒲生氏郷の特徴は、キリシタン大名だったことです。高山右近に誘われて洗礼を受け、レオンの洗礼名を持ちます。会津はもとより、東北地方にキリスト教を広めた第一人者と感じました。
東北地方の隠れキリシタンは、金山などの鉱山での労働者として使われました。純粋な闇のカトリックが同和の闇のプロテスタントに封じられていきました。ウィキペディアの中に「韮山城を落とした」と記載されていました。
北条氏の城の小田原征伐において、私の故郷・韮山と繋がっており、魂的な関係があると感じました。福島県の会津・鶴ヶ城には、2014年3月の会津巡礼の旅で訪れて、光を降ろしていました。
城内では、沢山の亡くなった人たちの魂が上がり、龍神が解放されました。会津の地は、幾つかのレイラインが交差する大事な場所です。蒲生氏郷の御魂が光に還るよう意図して光を降ろしました。
「過去世かもしれない」と伴侶が伝えて来ました。しかし、私には確信がありませんでした。しばらくすると「曾お祖父さんの過去世だと思う」と教えてくれました。
父親が「良作爺さん」と呼んでいたという曽祖父です。「畳を作ったり何でも出来る器用な祖父さんだった」と話していました。重要な役割を果たしたご先祖を垣間見た感じです。