3月28日、左手の親指に痛みを感じました。能登半島の右側の能都町の解除を行う必要があると思い、ネットで候補地を探しました。藤ノ瀬甌穴群、真脇(まわき)遺跡、チカモリ遺跡、大伴家持(おおとものやかもち)を選びました。
藤ノ瀬甌穴群は、能都町藤ノ瀬地区の川原にある凹(甌穴)の岩である均質な軽石凝灰岩層が広く分布している場所です。北海道石狩川の神居古潭も同様な甌穴岩があります。
藤ノ瀬甌穴群に光を降ろすと「ここは闇じゃない光の所」と伴侶が伝えて来ました。神居古潭は闇が放たれていましたが、ここは光が放出されている場所でした。
真脇遺跡は、能都町にある縄文時代前期から晩期にいたる集落跡の遺跡です。チカモリ遺跡は、石川県金沢市新保本町にある縄文時代後期から晩期の遺跡です。
この2つの遺跡の特徴は「環状木柱列」です。かまぼこ状の木柱6本~10本が環状になって並べられているものです。何のための施設だったのか不明です。
同様の構造物は石川、富山県を中心に約20遺跡で見つかっているといいます。環状木柱列は、環状列石と同様にレイライン(光の道)を構築するためのものだったと感じます。
石川県、富山県には光の文化圏が存在したと推測します。2つの遺跡に光を降ろすと「いいです。死んだ人もいた」と伝えられました。大伴家持は、奈良時代の公卿(くぎょう)、歌人です。
小倉百人一首では中納言家持の名での歌人として知られています。ネットで調べると「大伴家持の能登巡行」があり、越中国国守として1年に1回、国中を巡って住民の視察を行っていたといいます。
その際、能登半島の富山湾側をルートをまわり、要所で歌を記していました。大伴家持は、能登半島の光の場所を封じていたと感じます。光を降ろすと「歌人、政治家であり術師だった」と伴侶が教えてくれました。
やはり大伴家持は、密かに封じる闇の仕事をしていました。翌日、左手の薬指にささくれが出来て少し痛みました。まだ解除が残っていたようで、調べると「山口誓子句碑」と感じました。
山口誓子句碑は、石川県珠洲市狼煙町・禄剛埼灯台台地にあります。山口誓子を調べると北海道から鹿児島まで全国201箇所の句碑を残しているのです。
明らかに土地を封じる仕事をして来た人だと感じました。さらに、俳人・山口誓子は「天狼(てんろう)」の俳誌を主宰しました。天狼とは「シリウス」の別名なのです。
シリウスの闇のサポートの下で封印の仕事をしていたのです。石川啄木は、文芸雑誌「スバル」の創刊号の発行人です。スバルは「プレアデス」のことです。石川啄木は、北海道の函館、小樽、釧路の地を封じていたと分かっています。
近代日本を代表する著名な作家、小説家には、土地を封じる闇の仕事をしていた人が多いと感じます。山口誓子の御魂が上がるよう光を降ろすと「ムーミン谷の生き物みたいな宇宙人がいた」と伴侶が言いました。
封印の仕事は暗闇の環境を創るための役割です。深い闇を経験して大きな光になるためです。能登の地が開かれて、本来の輝く姿になることを願っています。(おわり)