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これまでのヒプノセラピーやエネルギーワークから日本の深い暗闇の要因の1つが繊維産業だと感じていました。その理由は、光の役割の「麻」が封印されたからです。

 

日本を深い闇にするために、麻という光を封印したのです。過去のヒプノセラピーで「日本には封印された麻が復興する」「麻が光のものだということを伝えていく」と伝えられています。


「麻は原発の放射能を浄化する。麻の服は放射能を遮る。土地も浄化する。人間を覚醒する」「プレアデスで大麻を育てていた」「大麻はお金と同じ。良いも悪いも使う人しだい」といいます。

 

日本の麻は、戦後の米国・GHQの上陸によって封じられました。1つは、日本に合成繊維であるポリエステルを広めたこと。もう1つは、大麻取締法によって規制したことです。

 

繊維産業についてネットで調べて行くと《繊維の歴史と日本の衣生活》に有用な情報がありました。日本の繊維の織物は、麻、絹、綿、合成繊維へと移り変わって来ました。


麻は、日本で約5000年前の縄文時代から、一般の衣料でありました。麻の織物だけの期間は長く、約3200年も続きました。絹は、日本で利用が始まったのは2世紀の初頭、卑弥呼の時代の頃のようです。


綿は、6世紀末の豊臣秀吉の時代に知られるようになりました。日本の綿作りは、17世紀後半の徳川時代の中期から20世紀初頭の大正時代にかけて盛んになり、綿織物が普及しました。

 

羊毛の生産は、日本で本格的に行われることはなく、原料羊毛の加工工業として発展するほかはありませんでした。1933年(昭和8年)、日本は綿織物の輸出が世界一となります。


この功績の陰には、明治30年に木製動力織機を発明した豊田佐吉の存在があります。さらに、人造絹糸(合成繊維)は、次第に日本人に普及して1936年(昭和11年)には世界一の生産になります。

 

米国のカロザースが発明した合成繊維「ナイロン」は絹に似た光沢を持ち強度も高いものでした。当時、天然に代わる「夢の合成繊維」とうたわれていました。


米国は、合成繊維を広めるために、古い歴史のある麻を封じたのです。日本の光の中心だった麻を封印したことで、繊維産業は深くて大きな闇の役割に変わって行ったと感じます。(つづく)